『塔』2024年7月号より①
『塔』2024年7月号から、気になった歌をあげて感想を書きました。
(敬称略)
陸尺とは駕籠をかついで運ぶ人のこと。江戸の町を威勢よくかついで過ぎ行く駕籠かきの男たちの姿や、町の風景に想像がふくらむ。
言われてみれば朝顔のつぼみのような折り畳み傘。
やさしい韻律と言いさしで終わっていることで余韻が残こしている。
雨上がりの青空が見えてくるすがすがしい一首。
冬の間締めきっていた窓が、春の暖かな日差しに開かれて、近所に生活の音がが響きわたったのだろう。まるで森の生き物たちが冬眠から覚めたようでもある。
その生活音を騒音としてではなく肯定的に捉えている様子が伝わってくる。
プールの中でウオーキングをしている作者。
屋内プールには揺らめく陽が射し、屋外には豊かな緑が見える。
水中を歩幅大きくゆったりと歩いていると、それらが交錯するような感覚を得たのだろう。
プールという街中の施設にありながら、日常を抜け出して自然を感じている解放感も伝わってくる。
冬の日暮れの畦道を一人歩く作者。
足もとに伸びている影は半ばで切り離されて上半身は刈田に映っている。「切り離されて」により、畦道と刈田の高さの違いが映像的に立ち上がってくると同時に、作者自身が分断されているように錯覚する。
「枯野」とも響きあい物悲しさも感じる一首である。
経理などの事務的な作業をしているのだろう。
何度も確認するのだが、どうしても数字があわない。
そんな、キツネにつままれたような感覚を「不思議の中に」と表現した。
すると「不思議の中」という空間が存在するような感じさせる点が面白い。
また、仕事の正確さがもとめられる職場の緊張感も背後に感じられる。
秒針がある時計だと時間の経過が視覚的に認識できるが、それがないと時間の流れが掴みにくい。
ここでは自身が身につけている腕時計を見ているようだが、「十五年進む」と長い時間を提示したところに意外性がある。
おそらく、その腕時計を購入してから十五年が経ったということだろう。
作者自身が体感している時間とは別に、腕時計に流れる時間が存在しているような不思議な印象を受ける。
「うたたねのように」という比喩にも納得感がある。
夜が更けて街に静けさが訪れる頃、月の明かりが街が満たしていく。
一日を終えて家路を歩みながら主体は「君のほほえみを心にひらく」のだ。ここに、君への愛情の深さと、それにより主体が癒されてゆく心情が伝わってくる。
夜の静かな情景と下句の温かく深い心情が響きあう美しい一首である。
作者の幼いころを知っている親類は皆亡くなってしまった。
その寂しさを噛みしめながら、ミモザの花を見上げたのだろう。
ミモザは春に鮮やかな黄色の花を咲かせる樹木。
悲しみの満ちる一首だが、どことなく作者が次に踏み出すための決意のようなものも感じる。
それはミモザの明るさもあるが、この歌の的確な言葉の運びに由来しているのかもしれない。
ウエス・モンゴメリーは、オクターブ奏法でも知られる黒人のジャズギタリスト。
多くのジャズギタリストはピックを使って演奏するが、ウエスは親指の先を弦に当てて弾くことで、温かみのある音色を出すことを特徴としていた。
彼の指先は相当硬かったに違いない。
それは、独自のスタイルを生み出すための努力の証であり、彼の歴史そのものであったとも言える。
作者は月のやたら明るい夜にふとそんなウエス・モンゴメリーに思いを馳せたのだろう。
ジャズは夜の音楽であり、月にまつわる名曲も多い。
そして、ウエスの「硬き指先」に注目したことで、一首は奥深いものとなった。
今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。
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