朝食(Pさん)

 日々、関係ないことをしている。今日は特殊な朝だった。ファゴットを買って、吹く夢を見た。自転車の外れたチェーンを直してから出勤した。賭けだった。チェーンは直るかわからなかった。チェーンは直ったが、朝飯を食うことは諦めた。しかし、夕方までそれでイケた。朝飯なんて、もしかしたら必要ないのかもしれない。朝飯を食うとき、朝飯が必要なのか判断することは出来ないから、今まで朝飯を食っていた。朝飯は食うものだという教育があった。その教育の確実性を信じていたわけでもないが、朝飯を食う瞬間に、自分はもし朝飯を食わなかった場合にどうなるのか? などと判断することは出来ない。その結果がわかるのは夕方だ。日が暮れたわけではない。その前に昼飯だか何かを食うことになった。朝飯を食う前に朝飯が必要なのかどうか、判断する事は出来ない。食った時には、必要ないとか必要だったとか判断する必要がなくなる。つまり何も考えなくてもいい。しかし、朝飯をもし食わなかった場合、少なくとも朝飯を本当は食った方が良かったのか? それとも食わなくても何とかなったのか? と迷わなければならない。それには一定の時間を必要とする。その前に仕事をしなければならない。仕事をすると、仕事をしている間中、本当は朝飯を食った方が良いのか、それとも朝飯を食う必要なんてなかったのか? 今までの行動への訂正も含めて考えなければならない。これを考えている自分は、朝飯を食う前、および朝飯を食った/食わなかった直後の自分とは、また違う。考えなければならないことが常にまつわりついたまま仕事をするのは困難だ。なので、たぶん、朝食は食うことになるのだろう、平野レミとかが食えというのだから。

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