万年筆のインクを買った(Pさん)

 先日、もうそろそろ無くなるので、万年筆のインクを買った。とくにこだわっているわけでもないので、試し書きとかは出来なかったが、パッケージに出ている色を見て買った。前までは「孔雀」という色を使っていた。次に買ったのが、「深緑」という色。ともにパイロットから出ている、「色彩雫(いろしずく)」というシリーズのもので、全てのインクが、漢字二文字の、なんかなんとなくの雰囲気を持った単語が、名前としてついている。例えば「月夜」、「深海」など。気取り過ぎといえば、そうかもしれない。前に、ブルーブラックの古典インクと言われる、ひと昔前から伝統的に使われているものを買って使っていたのだが、これが、紙との相性が悪いのか、紙に染みる速度というか量が、極端に少なくなって、かすれたようになってしまったので、使うのを一旦やめてしまった。色彩雫のシリーズは、インクフローというけれども、それがかなり良好なので、固定して使い続けている。
 前の「孔雀」というインクは、使い始めてかたぶん二、三年は経っている。もっとかもしれない。いつ使い終わるか、本当に使い終わるのかわからないという気分だったから、ここまで使ったのは感慨がある。
 ところで、50mlの一ビンを使い切ったということは、どれだけ書いてきたのか。それだけ知りたくて色々と調べていたんだけれども、これが全然見つからない。個人的に調べている人は何人かいた。公式のデータとして、どれくらい、というのがないので驚いた。
 個人的に調べている、という人は、自分で何万字も書いてみて調べているようだった。ご苦労なことだ。それでいて、文字の大きさや筆圧、太さによってかなり差が出ると書いてあった。
 その上で、例えばこの50ml一ビンの色彩雫の場合でいうと、原稿用紙にして、二百枚~六百枚になるらしい。誤差が半端ない。しかし二百枚というのは、去年に書いた量がちょうどそれくらいになり、ぜんぜん使い切ってなどいないから、六百枚程度だといわれると、納得がいく。
 小説の反古や日記や抜き書きなんかをそれだけ書いたわけだけど、もしそれが全部小説自体だったら、どれだけ上達しただろうかと、思わざるをえない。
 今のこの記事も、その前のインクというので書いていて、早く使い切る為にやっているのである。案外、自分の内的な目的なんかがなくても、こういった、取るに足りない外的要因から書いているときの方が、スラスラ書いていたりする。やっぱり、人間そういうものかもしれない。「あなたは今何を考えているのか」「自分の中には何が入っているのか」なんと問うても空しいばかりだが、外に目を向けるととたんにいろんなことが思い出されるということもある。誰かが、フロイトの言う無意識というのは、最内奥にあるんではなくて、むしろ表皮に近いところにあるのではないか、と言っているのを見掛けて、さもありなんと思った。
 もっと書くことに精進します。

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