それでもやってこない(ウサギノヴィッチ)
今日もナンバガトリビュート「N.G.T」より、オカワダアキナの『象風景』です。
あらすじは付き合っていた(?)彼女が引っ越すことになって、彼女がバイトだから冷蔵庫が届くを代わりに受け取るという話だ。
テーマ曲は、SAPPUKEIです。
まず初めに思ったのはオカワダさんはやっぱり演劇的なひとだなと思ってしまった。おそらくピロートーク中の話の最中に彼女のお腹にある象のタトゥーを見ながら自分は彼女から生まれたいと思ったと言うっている。
これが僕の胸に刺さった。寺山修司かと。本人も意図するところではないせよ。発想が寺山的だと思った。普段の彼女からは想像できないものが飛んできて僕は驚いた。
さらに、内容に踏み込んでしまうがこの話は待っている冷蔵庫が一日中待っても来なかった。
これも俯瞰して見見ると『ゴドーを待ちながら』である。来ない間にも物語は進行するのだが、目的だった冷蔵庫は来ないままでいた。夜まで待っていると、友人が電車を乗り過ごしていまい、それを助けに行くということになって家を空けてしまう。
助けて家に帰ると彼女は帰ってきていて、今までどこにいたのかどさとっちてられる。そこながら二人の関係がギクシャクする。
それでも彼女の家には冷蔵庫が来ないと主人公は思っている。
流れをすべて書いてしまったがそれでと面白いと思う。
読んでいて思ったのは、演劇やっていた人は妙なギミックを作るのが上手いと思った。物語には関係はないけど、それのおかけまで二人の関係性が見えて来るというか、なくても成立のするんだけど、あったら効果的なもの。意味は違うかめしれないけど、マクガフィン的なもの。
僕はそういうものが好きだ。尊敬する作家はみんないらないようなものを入れてくる。それをあとから笑いに変えたりする。そういうものを僕も書きたいのだが、それは上手くいったなためしがない。ハマるとカッコイイのだが、ハマらないとただの蛇足になってしまう。その調整が出来るのは、作家本人のセンスによるものだと思う。そして、オカワダさんにはそれがあるということだ。
オカワダさんの文章は端的に的確に物事を捉えている。比喩も難しい言葉を使わない。また、一人称のときは非常に安定して読みやすい。まるで作家に主人公が乗り移っているように思えた。また、男の言葉もこういう言葉いうよなと関心してしまうほどだ。
男の女々しさを知っているというか、男の心理を知り尽くしているようでもある。
僕の持論になってしまうが、異性の主人公を書くときにどうしてもその主人公が、作家操り人形になってしまう傾向がある。僕にはそれがその傾向が強いので、それは控えている。
オカワダさんの作品にはそれがない。主人公が作家の手から離れているように思われる。
僕はそんな作家になりたいと思っている。しかしなれないことが悔しい。オカワダさんの小説を読むと自分の不甲斐なさを実感させられることが多い。
書いてる歴が違うというのて言うのもあるのかもしれない。
でも、彼女の書く鈍感のようで繊細な男たちには感服させられる。
男がみんな地に足ついたどっしりした男かと言えば、そうではない。案外、小説に登場する男の方がリアルだと思う。その例に僕は漏れないでいる。
今日はほとんどオカワダアキナ論になってしまったが、彼女は同人作家の中ではトップレベルに入る作家だと思います。
もし読んだことないのだったら是非ともこの作品からでもいいので読んでみてください。