文芸誌横断読書(Pさん)

 四大文芸誌の群像、新潮、文學界、文藝の、八月、九月分(文藝は季刊誌なので秋号)をアマゾンで発注し、全部読もうという企画をやっている。
 今の小説というのが、どういうものなのかを全然知らないということに、遠野遥の『破局』を読んで気が付いた。この小説は、こういう仕組みだけれども、これは個人のものなんだろうか、それとも時代性なんだろうか、そこのところがわからない、そもそも最近、小説というもの自体を読まな過ぎたところがある。
 現代に書かれる、小説家と呼ばれる人のものをあらかた読んでから、過去の名作にもう一度戻って、何が違うのか、今の時代に何を書くべきなのか、判断しようと思ったのが動機である。
 早速挫折しかけている。今読んでいる作品は、何だか文体が雑だ。雑なことを目指しているとかならいいかもしれないけれども、特に何も考えずに、つい口から出てしまって、普段使っている会話とか文章でもそうしているんだろうというささいな所が文法的に違っていると感じて、そこが気持ち悪い。
 同様のことは、やはり『破局』でも感じた。同様ではないかもしれない。とにかく、一文ごとに流れがまったくブツブツ切れていて、繋がっているのは情報である。文章の中に情報しかないという気持ち悪さがある。
 これらも全部、あえてやっているというのなら、それ以上言うことはないけれども、どうも、やっぱり、普段から情報でしかない文章に接することが当たり前になっている眼鏡を通じて書かれているんではないか? という感じがする。
 これは僕が目指している所とは違う。

いいなと思ったら応援しよう!