1月30日(ウサギノヴィッチ)
なんも考えてない。
今日が来るな、来るなと思って生活していたけど、これとしておっきい自分的なニュースがないので書くことができない。
小説も書けないでいるし、読めないでいる。数日後にはラジオの収録なのに課題本でさえ読めていない。
今日は、あんまり、いや、ほとんど血のながりのないおじさんのお通夜で、両親が帰ってくるの遅くなるから適当に食事をしようとして、メバチマグロを一匹食べようと思ったら、「そんなものはうちにはおいてない」とイトーヨーカドーの店員に言われたので、セブンイレブンでカルビ丼とおにぎり一個を買ってきて食べた。おにぎりの中身は、メバチマグロの親戚のシーチキンマヨだ。
シーチキンマヨは店によってドロっとしていたり、サラッとしていたり、味がマヨネーズ強めや弱めがあったりする。
でも、ぼくはそんなことは気にしない。
食べられればそれでいい。
そういえば、小説が書けないことが悲しい。
土日で書きたいのだが、その土日が埋まってしまっているためにうまくコントールができない。この、夏目漱石と太宰治と筒井康隆の生まれ変わりのぼくがそんなことになってしまっていいのだろうか。小説を書くことが生きることの証明なのに、書くことをやめてしまったら自分にはなにが残るのだろうか。いつかは、プロになって、芥川賞をもらって有名になりたいのに。この、太宰治と筒井康隆と佐々木敦の生まれ変わりのぼくがこんなんじゃダメなんだ。子供のころによく言っていた、「一日には二十四時間じゃ足りないよね」なんて言葉が今もそっくりそのまま出てしまう。日本人は勤勉過ぎる、もっとラフに行って大丈夫なんじゃないの。ツイッターで見る統計とか見ると悲しくなっちゃう。そこでできた時間を、この、筒井康隆と佐々木敦と金原ひとみの生まれ変わりのぼくが小説を書くんだ。
結局、自分には文章を書くことしかできなくて、それを失われると元気というかパワーがなくなる。それは、ドラゴンボールの幼少期の悟空が戦っているときに、尻尾を掴まれると戦意を喪失してしまうのと一緒だ。ドラゴンボールのドラゴンボールを集めるというギミックが無くなったのいつからだろう。冒険譚からバトル漫画にいつの間にかフェーズが移行している。読者もそれは違和感なく読めている。だって、ジャンプだから、強いやつ倒したら、さらに強いやつが出てきて、そいつ倒したらまた強いやつ出て、戦闘力のインフレが起こる。それでも、読者は納得してしまう。話が上手いのか、なんなのかわからないが、ちょっとしたペテンにも似たようなことを周りは納得して読んでいる。
ぼくは、今回のnoteもそう読まれたらいいなと思う。