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「大盛り」というものを考えてみること(2022/04/26)
聞いてくれ。
昨日の晩飯にラーメンを食べたんだ。
結構お腹は空いていたんだ。
だから、「大盛り」くらいはぺろりはいけるだろう、と思ったんだ。
ぼくは、ラーメンに100円プラスして「大盛り」を頼んだね。
注文してから、7分くらいして出されたラーメンを見て絶望をしたよ。
具は、チャーシュー1枚、メンマ少々、魚粉が少しかかかったのり一枚、以上。あとは、溢れんばかりの麺。しかも、口に含むと、茹でたてなのか、熱い。
テーブルには、柚子胡椒と酢。
ちなみに、このラーメン屋は塩ラーメン専門店だ。
味変もバリエーションも限られている。
とりあえず、味わうことはやめて、口の中にかきこむことで精一杯だった。
フードファイターだって、食べることに対して喜びはあるのではないだろうか。
ぼくは、食べていることに関して苦痛だった。
食べ終わったときに、なにか荒行から救われた気がした。
ぼくも5月でいい歳になる。
それにあたって、「大盛り」について考えなければならない。
もう若くはないのだから、「大盛り」はやめておこう。
食べれなくはないが、苦しくなって自己嫌悪に陥ってしまう。
話が変わってしまうが、以前、友人と海鮮料理屋に行き、彼は名物の天丼を食べ、ぼくはもう一つの名物の海鮮ひつまぶしの大盛りを食べた。
ここで論点にしたいのは、「大盛り」でなく「天丼」の方にフォーカスしてほしい。
そこは天丼をちょっと山盛りにしていた。
天ぷらが食べられないと思った。
総括すると、ぼくはもう若くはないのだなと思ってしまった。
といいながら、今日はいい値段もするうな重を食べた。
まぁ、そんな日もあるよね~。