小説の題名(Pさん)
僕は小説の題名にはこだわりはなく、それは徹底的でこの間書いた小説の題名で「小説」としたものがあり、最近書いたのは「26節11行」という、本文の構成をそのまま機械的に書いたものあり(これも正確なものかもう忘れた)、「紙飛行機」「何か」、「世界一面白い純文学小説」等と、何か深い意味みたいなものを持たせるのを嫌ってかんたんに決めたり安易に決めたり機械的ナンバリングを施したりと、こうすると逆にこだわりがないようにするこだわりみたいなものが炙り出されるようでややこしい。
題名でカッコいいと思うのは連作短編で文字数を揃えて題名にする一昔前の小説で、古井由吉の一時期の小説は「聖」「栖」など一文字の漢字だったり、小島信夫の「月光」「暮坂」など、全部二文字で揃えたりしていたような気がする。後藤明生にもそんなシリーズがあった気がして、まあカッコいいと思うのはその時期のあるグループの小説がカッコいいのであり、その印象が題名の規則にも波及したのかもしれない。
彼らのこの名付け方はどこか無造作にやっているようで意味が込められているようでもある、というバランスが取られているような気がする。いや、古井由吉の小説なんて、ゴリゴリに意味づけされているのではあるが。
僕がつけた題名でなかなかうまいこといったと思うのは、「とこしなえにゆるいや」、「ベストセット・ヒラーの法則」、これは題名ではないが表紙に書いた「ひゆうれ・ぱかど」の文字、などである。
今後、題名で「おっ!」と思わせる工夫がしたいことがなくもないけれども、やはり基本的には無頓着というか、題名によって別段内容が変わるわけでもないので無頓着なままでいるのかもしれない。
そもそも、書き続けることが出来るのかどうか、瀬戸際である……