読書(Pさん)

 今日、ある本を読んだ。あまり感心しなかった。それは自分が悪いんだろうか。それとも自分の知識や感受性が足りないんだろうか、と思い悩んだ。本を読む人々は、手続きのような感じで、それを悩むのではないだろうか。結論からいえば、僕はほとんどの場合において、そういうことで悩むことはなくなった。それは、傲慢かもしれないが、その、自分の知識不足によって面白くないと感じるのか、それとも、もともとのその作品の性向みたいなものが、とても自分と相容れないものなのか、判別出来ると感じているからだ。しかし、そこから外れるものも、確かにあるかもしれない。たとえば、その文章の、お国事情みたいなものに、精通していないから、その中で交わされる、暗号のようなものについて、感じることが出来ないのだと、ただ、それにしても、何か外側から香ってくるものがある、普通は情報に対して、香るとかなんとか言わないものだけれども、僕はそれを信じている、香るというのは、おそらく、様々な情報を多重に抱えている、たとえば植物の香りを運びつつ、性的なメッセージも同時に含んでいるとか、舌が情報を感知するのと同じように、香りも、その含まれる化学物質の量と種類を嗅ぎ分けているわけだ、それには、苦味とか旨味とか栄養成分とともに毒かどうかという生存にかかわる判断もしているはずだ、それから同種の生物に対するメッセージもそこに含まれる、口がゲロ臭いとか逆にそれほどゲロ臭くもないとか、とにかく多重に情報が積み重なっている。その「感じ」に対して、しかし現代の情報というのは、それを情報とは言わない。何かから何かを察するという、スピーディーさに、判断というものがついていかない。そのような文章の情報に対して、それは情報だとは言わない。誰しもそうなんだろうか。話が逸れた。自分は、自分の判断に対してそれほど疑いを抱くことはないが、その場合に、世に言われるごとく、世界を、見地を広めようというには、そうするにはどうすればいいのかと途方に暮れることがある、そんなこと、別にしなくてもいいんじゃないかというのが、大方の結論ではあるのだが。

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