閑話 海外TTRPGに対する日本での反応について思うこと
しばらく前に、Wizards of the Coast がD&Dの日本語翻訳権を発行しなくなるかもしれないというニュースがありました。Wizards of the Coastが属しているHasbroとの関係もどうなるのか不透明な部分があり、実際に日本語の翻訳版が出なくなるのかはわかりません。
そのニュースに対して、日本では、一部では「D&Dの最新版が遊べなくなる」というような反応もありました。これは、もちろん「日本語で読める環境で」という前提があっての話です。
で、そういう反応を皆さんはどう思いますか? 日本語ネイティブの方の多くの第2言語は英語だと思います。ですから、私としては、「日本語版が出なくても、英語版を読んで遊べばいいんじゃない?」として思えませんでした。もちろん英語ではなく、その人の得意な第2言語で読めばいいというだけですが。もっとも、D&Dを全部読むのは、日本語だろうと英語だろうと大変ですが。
その時より前だったように思いますが。世の中にはHERO Systemというとても有名なTTRPGが存在します。ところが、どうやら日本では名前すら知られていないようです。そういう状況で、HERO Systemという名前 ―― あるいは他の未訳海外ものTTRPGの名前 ―― を出すとどうなるでしょうか? もちろん、出し方にもよりますが、基本的にはマウントを取ろうとしているように受け止められます。極端な場合だと、「ここは日本なのだから、海外未訳TTRPGの話をするのはおかしい」というようなことにもなります。面白いものがあるのに知らないのはもったいないと思うのですが、そうは思わないのが日本でTRPGを遊んでいる人の優位な意見のようです。日本語版が出ると、やたら喜んだりというお調子者の面もあるようですが。
基本的に、日本のTRPGを遊んでいる人の視野はかなり狭いように思います。
SYDEKICKでそのあたりをどうこうしたいと考えているわけではありません。そこをやろうとしたら、結構注釈をつけることになるでしょうか? それでもできるかわかりませんが。
もう一つ。日本の国産のTRPGは、1995年ごろから日本独自の変化を続けています。その変化がどういうものかというと、TRPGのボードゲーム化とでも言えばいいのでしょうか? たとえばの話として、以前、自閉症スペクトラムをお持ちの方を対象にTRPGを行なったことがあります。その結果、次第に、その場でPCにできることを明示する、つまりコマンド選択式のようなものという方向を採用するようになりました。ダンジョンものでないシナリオの進行も、すごろくの盤面のように明示するようになりました。これは、1995年ごろからの変化でもあるのですが、実際に自分でその変化を作って提供してみると、どこかの時点で「これはまだTTRPGなのだろうか?」という疑問が頭をよぎりました。対象とした方には評判が良かったんですけどね。
さらに、セッションのというかそのTRPGのゴールが1つしかないとか、設定される状況が1つであるとかというTRPGもあります。
それらは、もうTTRPGではないような……
私自身、海外ものに強い思い入れがあるわけではありません。ただ、私にとって面白そうなものを探すと、なぜか海外ものになってしまうだけです。まぁ、翻訳されたら、「じゃぁ、それを積極的には読まなくてもいいや」くらいには思いますが。
まとまりはありませんが、閑話ということでお許しください。
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