胸のしこりを取るまで(5)@葉状腫瘍
以前の投稿から随分と期間が空いてしまった。
葉状腫瘍切除手術を行ない、一年が経ちました。
あまり問題なく手術に向かったつもりだったが、思い返したり
noteを読み返したりするとあまり良い精神状態ではないのがわかる。
手術から半年後に再度検査を行い、一年経って振り返ってやっと
今ここに書く気持ちの余裕があるんだなと思う。
一年前、コロナ禍で緊急事態宣言が発令されかかりつけの総合病院で
コロナ感染者が出たらしく病院が対応に追われていた。
私の葉状腫瘍切除手術はまんまと延期となった。
切除して再発しなければ安心!という葉状腫瘍だが、
腫瘍が育つ速さが早かったり、悪性だと乳がんよりタチが悪いとされる。
心中穏やかであるわけがない。
5月の上旬に手術予定だったが、先生から連絡をもらい
月末の手術にリスケとなった。
元々日帰りの手術でも大丈夫だよ!と先生は言ってくれていたが
家族の勧めで休めるなら一泊にしなよと言われ
一人入院をすることにした。
(結果生命保険などの面で入院にしてよかったと気づくことになる。)
受付は8:30、当日のお昼過ぎに手術。
一晩様子を見て、翌日の午前中には退院の、本当に短期の入院手術だった。実は3年前に急性虫垂炎で手術をしたことがあるが
入院など慣れる訳もなく、しかも前回は急性で入院手続きを自分でできず
家族に行ってもらったので、これから手術するぞ!
という手続きを全部自分で行うのはいささか不思議な気分だった。
若干挙動不審なまま入院フロアのナースセンターに到着。
担当看護師さんと挨拶をして病室に案内された。
古い病院ではあるがキレイで、同じ病室には胸に疾患があるであろう
私より年上の女性が数名いた。
コロナ禍のせいかフロアの患者は少なく、病室の利用も60%の印象だった。
午後の手術の時間まで食事も取れず暇で、ただ着替えて昼寝をしていたら
空いたベッドを一つ挟んだベッドにいたおばあちゃんが病室に一つだけある洗面を使うために私の方へ歩いてきた。
きっかけは忘れたが一言二言話したら世間話になるのは
病室の常である様に思う。
おばあちゃんは長いこと乳がんにかかっているとのことで、
私が切ってもらう先生の前のセンター長の頃から
この病院にかかっているとのこと。
2時間後には切ってもらう先生なのに、私はおばあちゃんから
その先生の噂を聞いた。悪くない噂だったw(よかったw)
私を切ってくれる先生はがんの先進医療にかなり前向きな先生らしく
がんの生存率を上げるための先端医療を試してみましょう!
というアクティブな治療を進める先生らしい。
実際のがん改善率も良いらしく、おばあちゃんはこれから頑張るとのこと。
何度目かの入院と言っていたが元気でいて欲しいなと本当に思う。
時間近くなって血圧や熱、点滴の準備などもろもろ。
カウントダウンな雰囲気になってきたお昼の12時ごろ。
手術場所を間違えない様に鎖骨のあたりにサインペンで◯左と書かれた。
もう引き返せない(当たり前だし受けろよ!)そんな気分になった。
時間になり看護師さんが迎えにきた。手術室まで一緒に歩いて向かう。
手術室の入り口で10分くらい待機、準備ができたので入室の指示があり
病室の看護師さんとそこで別れた。
手術室の看護師さんの後を歩く、独特な嗅いだことのない匂い。
虫垂炎の時こんな匂いしたかなーなどと変な気持ちになる。
自分で手術台に上がったがホカホカに温められたの手術台に
謎にテンションが上がる。
しばらくして15分くらいかな、先生が入ってきた。
手術室は何だか軽快なジャズが流れている。有線らしい。
いつもの調子で陽気な先生がうんうん言いながら
切る場所の特定を始めたのだろうか、私のしこりの周りを触っている。
痛かったり違和感あったら言ってね!辛かったら眠たくなる薬打つから!
と優しく言いやすい先生、この先生で良かったよって本当に思った。
全身麻酔はしないよ。と元々聞いていたので部分麻酔だなと思っていたが
ほくろ切除の時の麻酔がめちゃくちゃ痛かったのをすっかり忘れていた。。
ブスッと左むねに麻酔の針が刺さり2回、3回とブスブス。
中のいろいろな部分に刺さる感じが気持ち悪く、麻酔液が体内に入る時は
痛くないとはとても言えないものだった。
3回目あたりから麻酔が効き始め、痛さも軽減される。
始めるよーと言われ、もちろん切られた瞬間などさっぱりわからなかった。
ただ、歯科や皮膚科と同様皮膚が引っ張られる感覚というのは感じるわけで
痛くはないが響く感じとか引っ張る感じが気持ち悪く、
奥に触れれば触れるほど増大していった。追加で麻酔を打ってくれるも
耐えきれなくなった私は先生に寝る?と言われ、はいと即答した。
眠たくなるお薬入れますねーと点滴の管から冷たいのが入ってきたー
と思った次の瞬間には先生がもう縫合をしてるであろう動きをしていて
もう終わるよー!って最後のひと針だけ正直チクっとして
眠っている間、あっという間に手術が終わっていた。
アホみたいな止血があるわけでもなく、少し大きめのガーゼをあてがい
無事終了です!お疲れ様ー。と先生。
腫瘍見たかった私は先生見せてと言える余裕もあった。
腫瘍から糸みたいなものが5-6本出ていて、先生それ何?って聞いたら
切った繊維組織だよ〜と教えてくれて中を切った痛みはないのに
傷口の痛みだけあるのがとても不思議だった。
思ったより腫瘍は大きくて(ピンポン球と野球ボールの中間ぐらい)
片方のおっぱいが超小さくなるんじゃないかってくらいのサイズだったけど
術前より先生はバランス悪くはならないと思うよ多分。
結構キワで切れたから(私の腫瘍は左胸のサイドだったのでワキの下あたりを切った)ツレてないね。と言ってくれた。
これまた自分で手術台から降りる。
看護師さんに支えてもらいながら一歩一歩階段を降り、
念のための車椅子に乗った。人に車椅子押してもらうのなんて初めてかも。
病室の看護師さんが迎えにきてくれて、自室まで運んでくれた。
改めて血圧を測り、心電図。問題なし。多分3時くらいだったか。
家族に無事終わったことをLINEして、夕食まで少し眠った。
正直全然動けたし、痛みも思ってたよりほぼなくて
無事に終わった感をありありと感じた。
夕食前に違う先生がきてくれて、何やら術後の説明をしながら
簡単な検診をしてれた。
明日の午前中には担当の先生が検診に来ますと。
病院の夕食は所謂病院食だったけど、疲れた体に染みる美味しさだった。
腫れてる感じが残っているので倦怠感?はあるものの
夜もよく眠れた。
翌朝、朝食を食べ歯磨きをし先生を待った。
こんな朝早く回診!?って時間で先生何時から働いてるのかが、心配になる。
表に見えている縫い目とは別に、中でもひと縫いしてるから
傷が開くことはないよと聞いてとても安心した。
検体検査の時よりも簡易的なテーピングだったので困惑したが、1週間後にはカサブタに、痒さを我慢してひと月経つ頃には
赤紫の線が小さく見えるだけになった。本当に4センチだった。
退院手続きをという中で短い時間に世話になった看護さんにお礼を伝え
事務手続きをしに階下へ向かった。
父が車で迎えにきてくれていて、電車で帰ってもよかったが
正直ありがたかった。傷口が痛いもののスコブル元気で
父とスーパーへ行き惣菜を買って自宅へ荷物を置いて実家に帰った。
朝からブルーインパルスが飛ぶだの噂があって
ちょうど実家で食事をしてる時にニュースが流れた。
もうすぐ6月になるというのに素晴らしい五月晴れで、風の少ない
良い気候だった。
帰宅してまず服を脱ぎ、鏡の前に。
うーん左右の差がテーピングと腫れでよくわからん。。
しょうがないなと思いながら眠りにつく。
病院より数倍よく眠れた気がした。
フレッシュな傷が気になる日々を何日か過ごし、
簡易的なテーピングに切り替わっていく。
ひと月後に検査に行く事になった。
そしてついでに見つかった甲状腺異常の検査もその時に受ける事に。
婦人科系の検査でCTを撮った時によく見つかるのだそうだ。
何だか怖かったが水が溜まっているものの特に異常は見られないので
現状維持とのこと。歳を取るといろいろ見つかりますね。
肝心の胸の方はというと異常なし!後は半年の検診でまた。
とのこと。無事に終わるとびっくりするくらい呆気なく済むものだった。
でもやっぱり女がおっぱいにメス入れるのって、怖いですよね。
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翌2021年、1月末再検査に向かった。
CTとエコーの2本立て。もうこれは年1で一生続くらしい。
検査が終わって久しぶりに先生の顔を見た。
多分私の顔を覚えてはいないだろうが、
葉状腫瘍だから症例としては覚えているのだろうなとは思ったりした。
いつも通り軽快な先生に安心する。
少しお水たまってるけど、問題ない程度だし今後は一年に一回
経過観察で来てね!と言われここ本当に肩の荷が降りた感じがしたのを
はっきり覚えている。
次回は2022年、1月。
何もないと良いな、きっと大丈夫。
傷はたまに痒くなる程度で左右のバランスも綺麗に過ごしています。
この先生に出会えてよかった。
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自分が葉状腫瘍になり調べたものの
ネットに情報の少ない、葉状腫瘍に悩む方へ読んで欲しく
noteに記録しました。
病院情報など知りたい方いましたらtwのdmでお伝えします。