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福建滞在メモ:閩南流・烏龍茶の飲み方

 2024年7月末から一週間ほど、福建省に行ってきました。まずは福州の空港につき、次に泉州、更に厦門(アモイ)から漳州…というか土楼、最後に厦門空港から日本へ帰る形。要するに台湾の向こう岸、閩南地方をひたすら南下する旅でした。
 目的は色々あったはずだけれども、それらが全てどうでも良くなるくらいインパクトが強かったのが、福建人のお茶文化でした。
 元々興味はあったし色々試して飲んでみたもののイマイチお作法がわからない中国茶。教えを乞いに行ったつもりはなかったのですが、福建人独特のお茶に対する熱意と、今のご時世にわざわざ福建を選んで来た日本人への物珍しさから、気づけばこちらも飲みまくり喋りまくり、色々なことを学んでいました。滞在中に毎日書き溜めた日記の中から、お茶に関する部分のみを抜き、少し文を整えたりして、記憶に新しいうちに早々に留めて備忘録とします。
なお、本文中では滞在当時に毎日書いた最もフレッシュな状態の文をあえて残したい意図から、内容の正否に検証は行っていません。


はじめに 福建と茶

前提知識……福建のお茶文化の背景

 福建は台湾から見て大陸側の向こう岸に位置する。土楼の観光ガイドの言うには「平らなとこが少なくて山だらけ、かといって北部と比べりゃ別にそんなに高い山もない。平地は荒れた土地が多くて作物も育たない」場所。土地の割合は「八山・一水・一分田」ともいうらしく、歴史的にも常々食糧不足に悩まされている土地だ。
 ただし茶葉に関しては格別の名産地で、福州の茉莉花(ジャスミン)茶や武夷山の正山小種、烏龍茶でいえば武夷岩茶、安溪の鉄観音など、枚挙に暇がない。特にかつての中国最大の国際港であった泉州にはマルコ・ポーロが訪れたり、イギリス東インド会社は厦門の茶葉を輸入したおかげで西欧ではお茶のことを「チャ」ではなく閩南語風に「ティー」と呼ぶ……とか地元の人から聞いたが、こういうのはとりあえず眉毛にツバを塗る。
 日本人にとってはやはりサントリー烏龍茶が一番ピンとくる例だろう。

↑ネットの拾い画像を堂々と挙げるリテラシーのかけらもない行為。87年頃の広告らしいが、検証はしていません。

 とにもかくにもこの福建省では、誰も彼もが茶を飲んでいる。平日の白昼堂々と、道端でおっさんたちが椅子と机を出して日陰に集まって、茶杯片手にタバコを吸って世間話したりスマホをいじったりしている。彼らは決まってTシャツとパンツだけで、日本だと問題になりそうな姿をしているが、それでも、茶器だけはちゃんとしたものが一式が揃えてあり、一様にうまそうに中国茶をすすっている。

↑あんまりジロジロ見ちゃ悪いと思いながらも、通り過ぎるフリをしてサクッと撮った、またもやリテラシーの欠片もない一枚。

 聞いた話では福建省人にとっての「こんにちは」は「茶、飲むか?」らしい。後々調べると、閩南語では「来呷茶、話仙」とかいうらしいが、要するに「呷」が「すする」、「話仙」が「おしゃべり」で、「おしゃべりさんや、こっち来て茶でもすすんなさい」らしい。これがデフォ挨拶なのはちょっとやりすぎじゃない?と思わなくもないが、ともあれ福建の人々はそうして茶を一道(一回淹れること)、また一道(中国茶は複数回淹れる前提の飲み物だ)と、何時間もタラタラと喋り続け飲み続けている。今の日本で言えば水タバコ屋とかであるような、他人と嗜好品を片手にとにかく長話をするアレが、自分の訪れた地域ではどこでも行われていた。

早速の結論……自分が美味しけりゃ別になんでもいい

 そういう感じで、茶があまりにも浸透しているこの地域に来た自分は、皆の優しい「お茶でもどーぞ」にノコノコついて行って、そのたびに何時間かを潰して、お茶のいれ方や楽しみ方について聞いた。人によって答えはマチマチだが、共通するのは「別に自分たちで飲むものだし、テキトーでいいよ」だった。
 後述の泉州で出会った二人が言うことには、泉州人は何かを神聖視したり、持ち上げたりすることを極端に嫌う。だから泉州人にとって茶は生活の一部以上の何でもなく、よって淹れ方もどうでもいいというのだ。更に言うなら、泉州人は全員日本の茶道の格式の高さを、茶ごときになにをこだわっとるか、と思っているらしい(人によるだろ)。なので、福建の茶を飲むときはできるだけテキトーでいいのだ。なんなた最近は「東器西用」といって蓋碗でコーヒーを飲む人もいるらしい。もはや、茶ですらない。
 とはいえ、「テキトーでいいよ」は茶に親しんだ福建人だからこそ言えることで、余所者の我々が鵜呑みにすると痛い目を見るだろう。彼らの慣れた手つきの中には確かに「美味しくいただくための定石」が見えるので、それらについて根掘り葉掘り聞いたことを文字として残してみる。
 前置きが長くなったが、このページの主旨はそういう話だ。

 

一道目 泉州・茶器屋にて

 泉州は13~15世紀頃の中国最大の国際港として栄えており、とりわけ宋代建造の巨大な双塔を有する開元寺の付近は、古い由来を名に持つとりどりの「巷」が京都の中心部さながらに縦横をめぐる。今回宿泊したのはうち会通巷という古い通りに面した「上清楼」という清代客桟のリノベーション宿だ。 
 オーナーが相当なお茶好きらしく、コの字型で囲まれた中庭には、所々に茶器一式と茶菓子、タバコ盆が揃った机が置かれ、茶葉も完備されている。もちろん、部屋の中にも「旅館の例のスペース」があり、そこでも飲める。

↑パイプはピーターソンのシャムロック。中国のライターは異常な火力を出してくるので点火に手こずった。茶葉は「野茶(水仙か仏手?)」といって細くて長いもの。


 みるみるうちに茶へのモチベーションが上がった自分は、福建の誇る窯元、徳化窯の茶器を買うため、開元寺の大通りに面した茶器の卸売「瓷縁居」に向かった。

メモ……泉州人と泉州的な茶点

 真面目に磁気を眺めていたところ、店主に観光客かと尋ねられたので、日本から来たと答えた。普段はトラブルを避けるために自分から日本だと言わないことが多いが、優しそうだったのでつい正直に白状したところ、店の奥で茶を飲め、と誘っていただいた。席に座るなり店主のいうには、泉州人は縁を大事にする「煙火気」が強い民族だという。この煙と火は飯の煮炊きの際に出るものを指し、直接意味を取ればそうした活気が沸き起こるところが好きともいえるし、穿って取れば、泉州人自体がそうした世間の煙火に生きる俗っぽい人間味を良しとする、ともいえる。思えば店の名前にも「縁」の字が入っている。

↑茶盤を置いている四人がけのテーブルは茶卓だそうで、天然の大木からできており、「うろ」を水受けに使う。

 さすがは茶器店というところで、急須に蓋碗と、必要以上に茶器が揃っている。ここでは武夷岩茶と鉄観音を出されたが、茶点(茶菓子)は「肉餅」、五百円玉より一回り大きいくらいで、肉まんの具みたいなのが入りつつ甘みもあるというパイだ。これは福建特有のものではなく、自分の住んでいた江南地方なら(あるいは全国的に)ある食べ物で、一口かじれば唇がテリテリとする。ちなみに、泉州人はその煙火気から、食べ物についても景気がよくガッツリしたもの=揚げ物を好むらしく、神仏へのお供えにまで使うだそうだ。それを聞いた上で肉餅を食べると、また感想が違ってくる。

学び……茶器の選び方

 茶器の選び方について教えてもらった。
 中国茶器の種類については調べればわかるので詳細は略すが、揃え方としては、一人で飲む分の「蓋碗」を一つ用意するところから始まり、「茶杯」人数分、「茶海」一つ、余裕があれば「茶盤」を買ったり、蓋碗を「茶壺」に変更……といった順番がいい。ほかは、茶則(茶をすくうスプーン)と茶海に乗せる茶漉しがあるといいが、必須ではないし安物でいい。日本の百均でもそれっぽいものは売っている。
 さて、茶器選びの極意は、つまるところ「手触り」「口当たり=唇触り」が気にいるかどうかだそうだ。蓋碗や茶壺であれば、好みの大きさでありつつ、お湯を満たしたときに適切な重さであることも勿論検討する点に入る。自分の手にすっぽり納まる形だとか、唇があたって気持ちいい厚みだとか、縁の丸さ薄さとかで判断すればいいので、とにかく可能であれば検討している茶器を撫で回したり、それで一杯飲んでみればいい。
 茶壺は蓋碗より格式が高いらしく、零す心配も少ないため使いやすいが、蓋碗は一つあれば一通りのことはできるという汎用性が魅力だ。なにより蓋碗は洗いやすい。
 ちなみに、洗い方については特にこだわりはないそうだが、洗剤を使わずにきれいに洗いたい場合としてメラミンスポンジをオススメされた。茶渋については、むしろついている方が骨董としてはステータスだったりするらしく、気にしなくていいらしい。どうしても取りたいなら漂白剤などを適宜使用すればいいが、積極的にオススメはしないとのこと。店主の見せてくれた愛用の茶杯には、6年分の茶渋が年輪のようについていたが、これがかえって良いらしい。

学び……徳化窯の白磁の楽しみ方

 徳化窯の白磁(以下、徳化と略す)に限って言えば、「世界の白磁は中国を見て、中国の白磁は徳化を見よ」というほどのもので、近代になって「透明感」をその特徴として確立し、他の茶器の名産に負けない産地として躍り出た。白磁のいいところは、紫砂壺と違って味が染み込まないので、洗いやすいし一杯で立て続けに色んな茶葉を試すことができることだ。ズボラに向いている。
 本来の良い徳化は釉薬を塗らず、色も塗らず、白ければ白いほどいいらしい(ただし近年は色絵付きが高級になりつつある)。そして、入れた茶の色が器の外から見えるほどの透明感が大事だというが、徳化専門の店主に言わせれば「薄くて透けるは当たり前、真の徳化は厚くても透ける」そうで、実際にそういった製品は他の茶器の数倍の値段はした。
 徳化の使い心地については、その店の一番高いものと一番安いものをそれぞれ一撫でさせてもらえば、どんなバカでも手触りの差が理解できる。高いものは釉薬を塗っていなくても指が白磁の面をサラサラと走る。高くて釉がついていればサラサラがツルツルに変わる。安いものは釉薬を塗っていて見た感じはスベスベしていても、指を這わせればやはり引っかかる。安くて釉薬がないものはザラザラした風合いだ。
 徳化はそもそもが特別高級な産地ではないので、福建省内であれば90元あれば最高のクオリティの茶杯、300元程度でそこそこの蓋碗が買えるそうだ。

 今回は店主のオススメを交えつつ検討に検討を重ねた結果、75元の茶杯を2つと90元の茶海、360元の蓋碗を購入した。たった蓋碗2つ分の茶葉で、なんと2時間半の滞在だった。

二道目 泉州・趣味の茶屋にて

 今回宿泊した客桟「上清楼」のオーナーは昔から茶葉の研究にドップリで、趣味が高じて「野茶香時」という茶店を開いている。客桟の真横に位置するこの店はいつみても「CLOSED」という札がかかっており、基本はオーナーを呼び出して開けてもらうという形式らしい。
 客桟の庭に置いてあるものと同じ、お手頃価格で普段使い用だけどクオリティも担保されているというちょうどいい具合の茶葉が置いてあると聞いたので、夜に訪ねてみた。

↑会通巷。左側に「茶」と書いた赤い布が垂れているところが「野茶香時」だ。ちなみに、この通りのパトロールを日課とする巷のアイドル犬こと小白は最近毛が黄ばんでいて、もはや小黄なのではないかともっぱらの話題。

 いただいたのはまず一般の鉄観音と、それに続けて27年ものの鉄観音、いわゆる「老茶」だ。古本屋の本が全部茶壺になったような空間で軽く2時間くらい茶について熱く語られた。
 オーナーはとにかく茶の熟成年代や真贋に関するクロノロジーを形成していくために、一生をかけて泉州の烏龍茶だけに特化して舌を鍛えているらしい。それ以外の茶は美味いまずいは分かるが、それ以上は特にたいそれたことは言えないという。そのため、ここで学んだことは全て「泉州人による、烏龍茶に限定した場合の知識」であることに注意。

学び……「老茶」の楽しみ方

 日本では珍しいこの老茶というものは、乳酸発酵による酸味と深みを楽しむ面が強い。今回いただいた27年ものの鉄観音も、酸味の後にコクを感じて、とても美味しかった。酸味は20年以上の熟成だとよくわかる、と語る店主の背後には「清代」「民国」と書かれた二つの壺が置いてあり、説得力を感じる。
 オーナーいわく烏龍茶は「清甘香活」の4点を評価するものらしいが、これは一般的な新茶の楽しみ方であり、老茶と新茶では評価のベクトルが変わるという。新茶は「清」という軸で考えるもので、ビタミンCの摂取などが主で、人の体の毒素を抜きキレイにするもの(逆に飲みすぎると体力をとられてしまうらしい)。老茶は「降」という軸で考えるもので、血圧や尿酸などを下げる、漢方としての面が強い。泉州の老人も、老茶は薬用、新茶は飲用といって飲むそうで、「清甘香活」に代表される茶の美味しさは老茶の薬的な旨さとは違うものなのだ。
 こうした独特の味わいを良しとする老茶は、ただ茶葉が腐るだけ、カビるだけとは異なる。正しい保存で熟成発酵した茶葉はいつ淹れても明るい色合いをしているので、舌に頼らずに良い茶かどうかを判断する指標になる。人によっては深い色をたたえることが良い老茶の条件だというらしいが、オーナーに言わせればそれは「どう考えても飲まないほうがいいやつ」らしい。なお、近年だと真空パックの中国茶が主流だが、そういうものは保存が効くし、しばらく放置してしまっても、経年もむしろ熟成だと思ってどんどん飲んでみるといいらしい。捨てるなんてもったいないとのこと。
 これらの老茶の集め方だが、茶店で老茶と謳うものを買うのではなく、デッドストックや民家の掘り出し物をネットオークションで買い漁るという、骨董コレクション的な楽しみ方をするらしい。味見をしてダメそうならすぐ捨てるという、ある程度のリスクを冒しながら熟成に成功した老茶を買い求めるのだ。ただし、福建の烏龍茶に限っては80~90年代あたりの福建省茶科所認定茶葉のデッドストックが出回らないらしい。頃を同じくして日本輸出の烏龍茶に関する資料が増え始めるそうで、明らかに伊藤園とサントリーの影響を感じる。日本への大量輸出があったため、当時の茶葉は福建省内に残っていないようだ。
 また気をつけるべき点として、中国には「贋作」の老茶も多いらしい。こうした贋の老茶は外見では判断がつかないため、確かな舌による判断を要する。そこで活躍するのが「茶気」という概念らしい。茶気には高低があるそうで、真の茶葉(正しい経年変化)なら茶気は人間を温めて引き上げてくれるが、贋の茶葉(人工の擬似的な経年劣化)なら茶気は人の体力を奪っていく。その茶葉の持つ茶気を正しく評価するためには、ひたすら同じ種類の茶を飲み続ける必要があると語るオーナーのその目は、マニア特有の狂気をたずさえていた。

学び……烏龍茶の淹れ方(泉州の場合)

 飲み方は以下の通り。
 まず蓋碗に目分量の茶葉を盛る。今回は開ききったら蓋からはみ出るくらい。オーナーいわく、自分で飲むものだから濃い薄いはお好みで調整すればいいとのこと。
 次に、ポット(やかんや急須のように、注ぎ口があるもの)で沸かした100度のお湯を蓋碗の茶葉に注いだら5秒待つ。オーナーいわく、「5秒!それ以上はもうダメだ」そう。早ければ香りと甘みが立ち、待ちすぎたらすぐに渋みが出てしまう。
 蓋を使って器用に表面の滓や泡を拭って、少しずらして茶葉を押さえる。中指と親指で碗の縁を持ち、人差し指で蓋を押さえて、すぐに茶海に移したら、好きなタイミングで各人の茶杯に注ぐ。これで茶漉しいらずだ。あとは茶杯を好きな持ち方でグイッと持ってグビッと飲む。ズズッと行っても勿論いい。
 そうしたらまた次の一道に進み、蓋碗にお湯を注いで、5秒して茶海にストックする。これを味がしなくなるまでやり続けると、良い茶葉なら十道ほど繰り返せるようだが、新茶だとこの方法でガブ飲みすると身体によってはもたないらしいので、茶点を忘れずにつまんでいこう。

↑この店では茶海はお椀で代用し、茶杯にはお椀からレンゲですくってわけわけしていた。手前はオーナーの趣味が高じてかき集めた烏龍茶関係論文の一つ。烏龍茶のビタミンCはフルーツと違い、摂取後72時間という長時間にわたり体内に残留するらしい。

 一道目は飲まずに捨てるという作法もあるが、店主はあえて一道目は別の茶海にストックしておき、茶を飲み続けて濃さがクライマックスを過ぎたあたりで飲むようにする。上記写真左上がその一道目。27年ものだと最初の5秒でここまで色が出るようだ。口にしてみると、全く別の飲み物の味がして、オーナーの言葉を借りれば「神奇」な味がする。
 これについては前述の茶器店の店主も言及していたが、泉州では特に老茶は一杯目も捨てずに飲むらしい。ただし、これを知らない人には逆に失礼だと思われかねないので、相手次第ではしぶしぶ捨てるとも言っていた。
 思えばこれは泉州人と茶の関係に起因するものではないか。ここのオーナーも、茶器点の店主も全く同じことを言っていたが、泉州人は何かを神聖視したり、持ち上げたりすることを極端に嫌うらしい。そのため、日本の茶道に対しても、ハッキリ言って良く思っていない、というか、茶ごときになにを格式張るかと思っている人もいるらしい。
 つまり、一道目を捨てずに飲むことは、「お作法」なんて知ったこっちゃない、という泉州人なりのアンチなのかもしれない。オーナーいわく「随意」、それが泉州人の生活としての中国茶の飲み方なのだ。
(2024-08-08補足 茶器店の店主と後日Wechatで淹れ方の再確認をしていたところ、「とはいえまあ一杯目で茶器を温めたり茶葉を開かせたりする意味合いはあるから、特に新茶は一杯目は捨てるに越したことはないかも。いやでも別に全然飲んでもいいです」と言われた。要するにどっちでもいいけど面倒くさいしもったいないから飲んじゃおうみたいなことなのかもしれない。)

 結局日付が変わるちょっと前まで飲んでしまったので、翌朝再び訪れて「野茶佛手」という茶葉を購入した。去り際、手土産に「老枞水仙」という茶葉もいただき、高速鉄道に乗って厦門に向かった。

 

三道目 雲水謡「和貴楼」・烏龍茶農家にて


 泉州を離れて厦門につくと、街中で茶を飲む光景が全く見られなくなった。宿泊場所もだいぶ都会な雰囲気なので、一概に地域性とは言えないかもしれないが、それにしても露骨な変わりようだった。

↑厦門は租界があった関係で洋風建築が多い。

 観光ガイドを一人雇用して、厦門から高速で内陸に移動すること数時間。福建土楼へ日帰りで観光に行ってきた。

↑観光で定められている土楼群のうち「雲水謡」は、同名の映画のロケ地になった村が土楼より人気という特殊な状況。

 土楼には今も人が住んでいるということが驚きだ。しかも土楼ごとの創始者の氏族を今でもちゃんと受け継いでいる。客家人ということになるが、彼らも漢族なので、見た目で特別わかるものではない。
 土楼は壁が余裕で1メートル以上の厚さを誇るので、中の気温が外と全く違う。どの楼も入り口には地下鉄のような強風が吹き込み、すごく涼しい。観光化する以前は、この地域は地理的な関係から茶葉とタバコ葉が唯二の産業だったようで、今でも土楼の中では手巻きのタバコと自家栽培の茶葉が多く販売されている。厦門で去ったとみえた茶飲みチャンスが再び訪れた。

メモ……土楼で飲んだお茶

 土楼の一つである「和貴楼」の外周に位置する、今回のガイドが懇意にしている「得味茶坊」に入った。女将は数代茶畑農家をやっていて、自分の茶畑で生産した茶葉のみを販売している。差し出してくれた茶杯の横には当然のようにタバコが入った小瓶と灰皿があり、土楼流のおもてなしを学ぶ。

↑土楼の茶席の基本スタイル。隣の知らないおじいちゃんが「オラこんなンメぇタバコ久々だぁ 昔はみんな手巻きだった……」としみじみしていた。

 いただいたお茶は3種類で、黄金の葉脈を持った「金線蓮」を干してできた甘茶、自家製の鉄観音、そして岩茶の南靖丹桂。金線蓮も土楼の名物らしく、色々なところで売られていた。

 この店の丹桂は共産党員御用達(中国では党員のお墨付きは結構なステータスらしい)で、毎年開かれる南靖県の「闘茶(茶葉グランプリ)」のその年の入選者だけがプリントすることが許される「土楼ロゴ」がパッケージについている。毎年入選し続けることでデザインの変更発注の手間を省いているというパワースタイルだ。
 味は女将いわく「覇道」で、しっかりと渋みがありいわゆるお茶といった感じ。鉄観音のような淡い甘みではなく、ガッツリ芳醇な茶香が口に広がる。「土楼に住む男はみんな茶の味を知ることがステータスだけど、結局行き着いた先では丹桂しか飲まなくなってしまう」と女将は自慢げに語る。
 特にこれは「耐泡(淹れることに耐える)」お茶で、12~13道はいけるらしい。ちなみに、大邪道としてホットミルクと混ぜてミルクウーロンにしてもいいらしい。

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学び……蓋碗ならではのメリット

 今回の淹れ方などについてもメモをとってみる。まず泉州人と違い、一道目のお茶は捨てていた。一道目は「醒茶」といって、茶の目を覚ます(茶葉を開く)ことが主要の目的であるため、飲まないらしい。これは日本のネットでも調べれば出てくる、いわゆる中国茶の「お作法」であり、泉州と異なる文化圏にいるのを感じる。
 この店主によると、蓋碗で淹れるいいお茶は一道で「揺香」、三道で「蓋香」、五道で「底香」ができるという。
 まず、最初のお湯をすぐさま捨ててから蓋碗の蓋を閉めてカクテルのように振れば、より茶の目覚めがよくなり、あたりに香りが漂う。これが「揺香」である。

↑「揺香」というより、カクテルばりにしっかり振っている。

 三道目の頃には味もよく出てくるので、そのときふと蓋碗の蓋を鼻に近づければ、良い茶葉であれば「蓋香」がする。
 そして、たいがいの茶葉は五道も飲めばクライマックスを過ぎて薄くなってくる頃合いだが、そこで最後に茶葉を捨てて蓋碗の底を嗅げばこれが「底香」だ。「良い茶葉は底から香る」と自慢げに語っていた(実際めっちゃ香ってた)。
 これは舌に頼らない茶の楽しみ方として、結構楽しくてオススメだ。いずれも急須ではできないため、中国茶を楽しむなら蓋碗が一つあってもいいかもしれない。

学び……烏龍茶の色々(土楼の場合)

 泉州でも、土楼のある漳州でも、とにかくここの庶民のスタンダードは鉄観音のようだ。いくつか小ネタを教えてもらったので、以下に記す。
 まず鉄観音などは半発酵の茶なので、冷えたところで保管する、ということ。真空パックであれば半月くらいはそのままでもいいが、この地域の人間は半発酵の茶葉を入手したら家についたらまず冷蔵庫に入れるそうで、飲む前には冷蔵庫に最低2日は入れておくといいらしい。茶葉によってはただ湿気て不味くなるだけということもあるから、あくまで鉄観音などのケースだという点にも注意がいるそうだ。
 ただし、自分の考えるところでは、この保存方法は二道目で紹介した泉州のオーナーの老茶趣味では全く見られなかった説なので、おそらく茶農家のようにガンガン新茶を消費していく地域の人間に限ってのことなのだと思う。そもそも泉州のオーナーは100年前の茶葉を壺で常温保管してるし、どこまで気にするかはあなた次第。「野菜室も良いよ」とも言っていたので、自分は結露が気になるしそっちにする。
 次に、烏龍茶に限ってはグラグラのお湯で素早く淹れることが良いということ。ここの女将いわくは「大きな泡がボコボコしてるやつ」が理想で、紅茶のように80度くらいで〜なんてチマチマしたことは考えなくていいらしい。泉州の二人を含め、これらの店はすべて卓上の電熱ヤカンを使っていたので、同じようにチンチンのお湯でやっていたのだろう。  
 最後に、茶点(茶菓子)についても組み合わせがあるらしい。いわく、鉄観音には落花生などのナッツ類、紅茶やプーアルには多少の油っ気があるおやつがベスト。ただ泉州の茶器店は肉餅を出していたので、厳密な何かではないだろう。茶点は「茶酔」を防ぐための糖分となるので、必要があれば口にするべき、とのことだった。「茶酔」は酒のように、茶を飲み慣れていなかったり、空きっ腹でガブ飲みすると発生するもので、胃を中心とした体調不良が起きる。実際にはカフェイン中毒とか、低血糖のようなものかもしれない。
 ちなみに、烏龍茶の茶葉は痒みに効くらしく、一枚とって患部に擦り付けるといいらしい。

 結局ここでは金線蓮、鉄観音、丹桂をそれぞれ買った。「別に買ってほしいからこんなに接待してるわけじゃない」と言われたのだが、シンプルにめちゃめちゃ美味しくて、めちゃめちゃ安かったのだ。さらに言えば、ここでは茶葉を蓋碗一回ごとに個包装で真空パック詰めしているので、お土産で配るのに本当にちょうどよかった。鉄観音は注文したのちにパック詰めしてくれるということで、しばらく土楼を回ったあとに回収しに行った。

四道目 田螺坑「歩雲楼」・紅茶農家にて

 四菜一湯(四つの丸い土楼と一つの四角い土楼)からなる田螺坑土楼に足を運ぶ。ここは黄一族という客家人たちによる土楼で、四角い土楼「歩雲楼」は祖楼と通称され、九世紀の人物である初代黄氏とその三人の妾を祀る廟などがある。隣接した丸い土楼三つには、黄氏の末裔のそれぞれの系統の分家が住む。そして、ここでも茶を飲むことになった。
 

↑右が田螺坑土楼。手前は一面の棚田。

 ここで出会った女性はガイドの友人らしく、祖楼に店を構えて紅茶の生産販売を行っている。彼女は嫁入りで土楼に嫁いできたのだが、当然ながら黄さんという名字で、丸い土楼の一つに居を構えているそうだ。
 

↑歩雲楼内部。店名を記憶していないが、おそらく一階角の「香秀子茶廠」か。

 ここでは紅茶をいただいた。紅茶は、胃を温めるので、茶の飲みすぎなどにはかえって効くらしい。一道目はここでも捨てるようで、蓋碗からお湯を茶盤上のカエルの焼き物にぶっかける。カエルは茶寵といい、「なんかまあ、ペットみたいなもので、かけてあげるものなのよ」というぼんやりとした説明。

↑右のカエルが茶寵。紅茶店らしく赤色でキレイな服を着用されていた。

 淹れ方については特に伺っていないが、手順自体は和貴楼の女将と同じ手付きだった。熱帯魚のブリーダー的なことも趣味半分副業半分でやっているらしく、「お茶飲んで魚見てたらあとは何でも良くなるのよ」という一言が羨ましくてしょうがなかった。

学び……茶杯でお気持ち表明

 数日かけて飲みまくっているので、今更淹れ方などで驚くことはない。紅茶のお湯の温度だけは聞き逃したが、浸出時間は他所と変わらず、蓋碗に数秒で茶海にうつしていた。
 ここでは茶杯についても教えてもらった。茶杯に注ぐお茶の量で、暗に伝えたいことを表明できるというのだ。
 普通であれば、茶杯が空いたらホストがすぐに茶海から継ぎ足す。これにはいちいちありがとうなどと言う必要もないらしい。空いたら注ぐ、空いたら注ぐは基本形だ。
 ここで継ぎ足さなかった場合、「ちょっと用事があるから帰ってくれ」の暗喩になる。客側から「ちょっとお茶足してくれ」というのも禁句で、スマートに「じゃ、今日はこんなとこで…」と立ち去るのが正解らしい。
 そして一杯の量は茶杯の5~7割が理想だ。溢れる心配もないし、見た目としてもいいし、一口で飲みきれる量といえばそんなくらいだろう。
 ここで満杯に入れると熱くて茶杯が持てなくなるので、「実はあなたのことが嫌いです」の暗喩になる。微妙な嫌がらせをしてきているということだ。間違えても手が滑って多めに入れてしまった、なんてことがないよう、気をつけなければいけない。
 このように茶杯を通した婉曲表現があるらしいが、最近の若い人はあんまり知らないらしい。興味深い文化だった。

まとめ

 以上、長々と綴ってしまいましたが、ここまで読んでくれた人なんているのでしょうか。読み飛ばされてもしょうがないという自負があるので、要点をかいつまんで以下にまとめます。ここだけ読んじゃえばぶっちゃけ問題なし。

  1. とりあえず蓋碗があればなんとかなる。なくても普通の急須でいけるが、茶葉がデカいので洗いづらいかも。

  2. 茶葉の量は自由だけど、だいたい蓋碗の底に敷き詰めるくらい=開ききったら蓋碗に収まりきるか、すこしはみ出るくらい。なんにせよ10gもいかないだろう。

  3. お湯はガッツリ沸騰した100度を注いで、5秒で茶葉から出して飲む。蓋碗一杯分というと100ml前後だろうか。熱ければ熱いほどいいので、できれば茶葉を入れる器は温めておく(一道目を捨てるなら醒茶ついでに横着してもいいかも)。

  4. 泉州では一道目(お湯を一回目に注いだとき)も飲む。とっといて後で飲むのもオツ。(2024-08-08追記 一道目も飲むというより、一道目を捨てなきゃいけないとか、飲まなきゃいけないとかのこだわりが特にない、が正しいかもしれない。)

  5. 茶葉次第だが、味がしなくなるまで飲める。蓋碗であれば香りも楽しめる。

  6. 茶器の洗い方はそこまで神経質にならなくていいが、気にするならメラミンスポンジで。

  7. 茶酔に気をつけて、おやつをつまもう。特に空腹時は要注意。

  8. 変な味さえしなければ古い茶葉も全然飲める。

  9. 別にどう飲んでも、誰にも怒られない。

 帰りに厦門空港に向かったタクシーの運転手は20代の若い青年でしたが、彼もやっぱりお茶には詳しい様子でした。ガチャガチャと呑んで騒いだあとに一杯お茶を飲んで落ち着くのが楽しいらしく、若者にもしっかりと茶文化が浸透しているのを感じた瞬間でした。また行きたいね、福建。

↑晴れた日の客桟でお茶を飲みながら特に何もしない時間は煙火ゆらめく人間世界で一番尊いものかもしれない。
↑土楼で買った鉄観音の茶葉一回分。ちょうど蓋碗の底が埋まるくらいだが、次の画像のようにすごい膨れ方をする。
↑今回の戦利品。蓋碗と茶杯は蓮がモチーフ。ライトを当てるとしっかり茶の色が透けて見えた。茶盤は泉州の鯉城区で買った鯉柄のカワイイやつ。茶器屋さんに写真を送ったら「いつでも泉州に帰ってきてね」と言ってくれた。帰る!美しい言葉……。

後記……自分で淹れ始めてからの気付き

 帰宅後、自分で飲むようになってから気づいたコツを順次更新していきます。

●蓋碗熱すぎ問題
 思えば、一道淹れてから次に一道淹れるまでの時間(飲んでいる時間)はみんな蓋碗のフタを開けていた。放熱させているのかもしれない。あと、フタの隙間を開けすぎると、手の虎口の方に世界で一番熱い湯気がモワモワと立ち上ってくる。フタをほどほどの隙間にすると途端に淹れやすい。→日課で飲み始めてから一月くらいで気になることがなくなった。お湯はフチの反りの手前程度に留めておいて、できる限りフチをつまむことで全然熱くない。またちゃんとした角度で持てば淹れるときに湯気は手首の横を通って抜けていくので当たらない。

●烏龍茶の製法による分類
 色々と調べてみると烏龍茶は製法によって大まかに3種類に分けられるようだ。
 一、焙煎の軽い緑色の清香
 二、焙煎をしっかりとした茶色の濃香
 三、焙煎をしたうえで経年熟成させた陳香
 「二道目」で紹介した泉州の茶屋で飲んだ「新茶」は清香、「老茶」は陳香にあたる。また、「三道目」で紹介した「自家製の鉄観音(上記写真)」は清香、岩茶の南靖丹桂は濃香にあたる。
 サントリーの烏龍茶は正に濃香の焙煎茶であり、これが本来の鉄観音らしい。近年ではフレッシュな香りが重視され、もっぱら清香タイプが主流になってきているとのこと。また、清香タイプは新茶というほど新鮮さが命なので、土楼で学んだ「冷蔵庫に入れる」というのもこのタイプに限られる保存法らしい。それもそのはず、ヴィンテージの数十年ものの茶が存在するのに新茶は鮮度重視というのも変な話で、要するに烏龍茶の中でも種類が違うからこういう話になるのだ。
 「茶酔」ももっぱら新茶の焙煎不足が原因らしく、伝統の製法で作られた茶を生産量的に「食っている」という市場の現状と合わせて、中国茶好きの中では批判的な目線で語られる場合が多いような気がする。
 どれが好きかは人によるとしか言いようがないのだが、手に入りやすいもので、かつサントリーしか知らない人がビックリ感動するのは清香タイプだろうか。茶葉選びの一助となれば幸いである。

●使うのは水道水?天然水?問題
 これは正直向こうの人の「随意(テキトー)でいいよ」教えに背くことになるが、どうせ飲むなら水にこだわりたい。お茶なんてどこまで行っても「水に葉っぱを浸したもの」に過ぎないのだから、葉っぱに拘るのと同じくらい水にだってこだわりたいというのが正直なところである。
 ネットの意見では日本で販売されている天然水の中にも硬度によって向き不向きがあるとか、炭酸カルシウムが入ると美味いとか、色々言われている。個人的にはやはり茶と同じ土地の水が良いのではないかと思う。お茶に一番合う水ではないかもしれないが、一番本場の味が出せる水には間違いないだろう。
 実際に中国でも、鳳凰単叢を淹れるために潮州では潮州の天然水「潮宝」が販売されていたり、近年では中国最大の飲料水シェアを誇る「農夫山泉」もお茶用に武夷山の天然水を販売している。

農夫山泉の中国茶用飲料水。
普通の水と比べてやたら高いのでネットで物議を醸した。

 これらが日本でも買えたらいいのだろうが、もちろんそこまで頑張りたくない。尾畑納子「東アジアの洗濯事情-中国の調査報告(1)-」(『富山国際大学現代社会学部紀要』第5巻、2013所収、39頁)では武夷山における飲み水・水道水・山水のpH値とCOD、硬度の3点を記している。

上記論文より引用

CODは言わば汚さなので一旦無視するとして、2013年時点で飲み水はpH6.6の硬度20、山水はpH7.4の硬度30とのこと。他にも細かい成分とかあるのだろうが、おおよそこの数値に接近した天然水であれば、少なくとも福建省周辺の茶を淹れる分には納得できるのではないか。
 ちなみに鉄観音の産地の安渓だとか、鳳凰単叢の産地の鳳凰連山あたりとか、そこらへんの水は全く調べていない。
 では、pH7.4の硬度30mg/Lに近い天然水とは何か。
 サントリー天然水(南アルプス)は現行のラベル表記によればpHが「約7」、硬度30mg/Lでかなり近い(水なんてpHを約したらだいたい7だろうが)。ただし、南アルプスと商品名に明記してあるものを買わないと、ネット購入では居住地域に合わせて北アルプス、奥大山、阿蘇など別の採水地のものが届く。

ちなみに硬度は最大で50mg/L以上の差が出る。

 Amazonで2Lの大箱で購入できる水のうち、産地のブレがないものは以下のようになっている。

  1. 伊藤園「磨かれて、澄みきった日本の水」pH7.6 硬度21

  2. アイリスオーヤマ「富士山の天然水」pH約7 硬度68

  3. キリン「自然が磨いた天然水」pH6.7 硬度49

  4. 美陽堂「ミネラルウォーター熊本県産」pH7.3 硬度49.5

 ここらで飽きてきた。他にもいくつも調べたが絶妙に当てはまるものがない。意外とどれも硬度30を超えていたり、40以上だってザラにある。自分は近畿圏なので結局砺波(富山県)の硬度27.7mg/Lの水が届くいろはすにした。誰かいい水あったら教えて下さい。

●茶菓子問題 京都の中国茶屋さんからご厚意で山核桃仁(小さいクルミみたいなナッツに塩気をつけたもの)を貰った。思えば小さい頃よくテレビを見ながらコレかヒマワリの種を齧っていたが、久々に食べるとものすごく美味い。茶にもかなり合う。もうこれでいいかも。 また月餅的なものもステレオタイプのお茶菓子イメージとしてはあるのかも知れない。実際美味しいのだろうけど、実はぼくは月餅があまり好きではない。信じられないほど口の水分が取られる。皮も餡も水分を奪い、極めつけには塩っぱいアヒルの黄身がボソボソと襲いかかったり、ナッツのザラザラしたカスが口に残り続ける。何より、中秋節になると人から吐くほど貰う。どんなに食べても減らない思い出があるので、当分食べる予定はない。

●日本の「趣味の中国茶」問題
 帰国後、烏龍茶について色々調べていると、普及に熱心な有志によるやけに細分化された説明がやたらにヒットする。彼らがあまりに勤勉でマニアックであるがゆえそうなっており、本人たちからすれば不本意なのだろうけど、普及啓発活動がむしろ中国茶の敷居を上げている気がする。これについて少し所感を述べたい。
 福建人の奢りで全てを仕込まれた自分には全く馴染みがなかったが、日本の中国茶店で烏龍茶といえば、鳳凰単叢という広東省・潮州の鳳凰連山で生産される茶が結構主流に感じる(あるいは台湾系)。鳳凰単叢はどの地域のどの村のどの一本の木から採るとか、細かいプロフィールでワインみたいな奥深い世界が展開されている。いかにも「趣味の世界」という感じだけど、そこに詳しくなければ中国茶好きとは言えない!みたいなことはないと思う。
 特に日本みたいに遠方の人が嗜むと「産地」というのがただの茶のプロフィールの1項目として距離に関わらず眼前一列に並び、等しく馴染みのない漢字の連なりとして立ちはだかる。
 ただし泉州の現地にいる人のうち、どれほどがわざわざ広東と台湾と福建の茶をそれぞれ買い込んで品評するのだろうか。福建の茶行たちとの会話では福建産の茶以外の一切合切、鳳凰単叢の「鳳」の字も、阿里山高山茶の「阿」の字も、見ることも聞くこともなかった。
 なんなら潮州でもかつては「鳳凰単叢は贈り物、普段は福建茶」という文化だったことが現地で聴取されている(須賀努「台湾茶の歴史を訪ねる(第13回)鉄観音茶は一体いつメジャーになったのか」『交流 台湾情報誌』939号、2019所収、30頁)。そのため、中国の烏龍茶好きを名乗るのに、鳳凰の叢林に飛び込まなければいけないことは……多分ない。人によって楽しみ方が違うのだろう。
 日本では中国茶店の涙ぐましい仕入れの努力から、全国の本当に美味しい茶葉だけが海を越えてくるため、ワインのように楽しむ。
 泉州の宿のオーナーは地の利を活かして、骨董品漁りの様に古い茶葉をディグり、ギャンブル性を楽しむ。
 道端の人たちはきっと近所のラーメン屋とかうどん屋みたいに、安物の中からその値段に見合わない美味しいものを探し求めるとしてる人だっているだろう。
 中国茶はソムリエになろうとするときっと難しいけど、淹れるだけなら100度で数秒待つだけ。至極簡単だ。それで美味しいと思うものが飲めたら十分胸張って中国茶が好きだと言えるんじゃないだろうか。


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