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プロフィールを見ない方へ(簡単な自己紹介)
目次
私のnoteで公開するもの
発達障害について
私個人の考え方
私のnoteで公開するもの
まずは下の画像をご覧ください。
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この画像は、私がマイクロソフトのブラウザ「Bing」に搭載された画像生成ツール、IMAGE Createrを利用し生成したものです。
ご覧のとおり「逆さ富士」をイメージしたプロンプト(画像への条件づけをする単語や文章)を入力し、生成する精度を上げています。
私はChatGPTが世に出てからというもの、AIエンジンに関して興味を抱き、特に画像生成AIの検証を何度か行ってきました。
プロンプトに細かな条件を付け加えるほど結果が変化するので、時に思いもよらない画像が現れたりもしますが、イメージに近い画像を出力できた時の感動はひとしおです。
私の記事では、このようなAIコンテンツに関するものやその他サブカルチャーに関する話題を公開していきます。
具体的には<アニメ、ゲーム、映画、特撮、VTuber、ネットミーム>のジャンルをメインにしていきます。
また、不定期ながらAIと自分との対話(ほぼ悩みを打ち明けているだけ)も公開しますので、興味がありましたらそちらもご覧いただけると幸いです。
発達障害について
加えて、私自身の実体験を踏まえた『発達障害』に関してのエッセイも紹介できればと考えております。
今日、発達障害に関して間違った見解をお持ちの方が非常に多いと思われます。
ネット上でも「発達障害者は社会に必要ない」「いるだけで邪魔だから早く排除してくれ」などのヘイトスピーチが日々見受けられる程度には
理解が遅れていると感じ、こんなストレスフルな環境で生きていくのは困難だと
不安になることがしばしばありました。
発達障害を理解する上で特に注意していただきたいのが「発達障害は個々人で程度が違い、同じ診断名でも生活に支障が出る人とそうでない人がいる」という点です。
ASD(自閉症スペクトラム)を例に取ると、日常会話は問題ないけれど面接などの形式が求められる会話が苦手な方がいる反面、
対人恐怖を併発しており他者との会話をしたがらない方もいます。
かくいう私も、後者の傾向がややあります。
仕事や作業の面でも同様で、分類ごとの目立った特徴はあれど100%同じ状態の方はいません。
私も、時折ADHD(注意欠陥多動性障害)の方にみられる「頻繁に忘れ物をする」傾向があるので、作業終了前に必ず周囲を確認するなどの対策を講じています。
定型発達の方々と同じく、発達障害者も出来ること・出来ないことがあり、個々人に程度の違いがあるのは前述したとおりです。
なのに発達障害者だけ、他の障害を持つ方々とは異なる見方をされ《社会に馴染むことが必要条件》と捉えられているのが現状です。
元々興味を向ける対象に偏りがあり、それ以外にはなかなか集中出来ないのに一般社会の常識を当てはめられるのはかなりの苦痛が伴うので、
常に疲労感が身心共に襲ってきて帰宅したら
すぐ休んでしまうのが日常茶飯事。
その結果、やろうと思っていた事すら出来ず一日を終えてしまうのが当たり前になってきます。
今現在、この文を打っている最中にも
「めんどくさい…早く終わらせてゲームやりたいなぁ…」
と考えてしまう時点で精神的疲労がかなり高く、執筆活動に対する悪影響が出ているのは明らか。
結果、「書こうと思っているけど書けない」負のスパイラルが発生し、自己嫌悪に苛まれるのです。
長々と書いてしまいましたが、何が言いたいのかというと
「発達障害を持つ人々は他の障害を持った方と比べ、人生に行き詰まりやすい」ことを伝えたかったのです。
わずかでもご理解いただけたでしょうか。
これから発達障害のことを知らない方々に少しでも理解が広まるよう、そして発達障害を含め「障害を持っているだけで偏見を受けない」よう周知させる為に活動していきたい所存です。
私個人の考え方
最後に、私自身のスタンスについて伝えておきたいことがあります。
私がこれまで生きてきた人生の中で、一つ確固たる結論に至っているものが<一人ひとりの意見は、どれも自分目線であり過度に信用すべきではない>という考え方。
誰もが異なった環境で生まれ育ち、誰にも言えない悩みもそれぞれある中で、自分と異なる境遇を持った人と接する機会がほぼ訪れなかった場合に、自分目線だととても狭い価値観を持つようになってしまいます。
そして、一人ひとりの意見はどこまで行っても「自分の感想」でしかなく、他者を動かすには根拠となるデータや証拠を提示しないと信じてはもらえません。
就職の際に提出する履歴書や職務経歴書が、その最たる例でしょう。
反面、現在ネット上にはびこる人々の意思や意見には、一貫性のない、いわゆる『自分目線』の発言が目立っています。
中でも、影響力のある個人の発言が自分にとって好ましいと感じると、すぐそちらへ右へならえし迎合する人々は、
自ら思考しエゴを持つことを忘れた烏合の衆だと感じるのが、率直な意見です。
自分の欲しい知識や情報が得られるのであればそれでも良いとは思いますが、
多くの場合それらは断片的であったり抽象的で、目標を達成するのに不十分と感じることがままあるのが実情です。
また、過度に倫理観を逸脱した意見を大衆が支持することによって「意思の先鋭化」(必要以上に他罰的な考え方)を生み出す恐れもあります。
『重度障害者は社会に貢献しない存在なので殺してもいい』
『生活保護は傷病などで働くことが出来ない人々に適用されるものであって、
たとえ生活に困窮していても働く気のある者は受け取ってはならない』
『女性に搾取される男性は見返りとして
やましいことを考えているので、被害を受けてもしょうがない』
『お前が惨めな人生を送っているのは今に至るまで自身が選択した結果であり、自己責任だ』
などの、表現に自由があっても口にしてはならない言葉がネット上には壁にスプレーで描かれた落書きのように転がっていて、
それらに多くのいいねや共感を示す反応があるのを見かける度に、この国の潜在犯罪者はどれだけいるのだろうと不安になります。
本当に思いやりの心を持っている方であれば、このような暴言は書き込まないのがルールであり他者と生活していく上で重要な事だと理解しているでしょう。
そして、もう一つ表明しておきたいのが「人間は見える物事にしか対応出来ない」という事実。
私が現在まで生きてきた中で、早くに発達障害に気づかなかった原因の一つであり、なぜ自分の障害を周りの人々が気づけなかったかの理由でもあるのが、この視点です。
結局、人間やその他の動物というのは、今そこで起こっている
物事にしか対応出来ず、その影に隠れた環境・背景・経歴等の
言われなければ気づけない部分を無視している。
だからこそ、私がいじめられた時に誰も助けてくれなかったし、
私自身が親や親しい頼れる人に対し『いじめの報復があったら迷惑になる』と感じ告発しなかったのがまったくの無駄であったのが、
現在の私の人生に照らし合わせると納得がいくからです。
なので私の投稿には、これらのポリシーが少なからず
含まれているという事を念頭に置きつつ読んでいただきたいのです。
ちょっと我がままなことを言っているようで恐縮ですが、その方が認識の食い違いを生みませんし、誰が傷つくことも無いように思えたので、そうすることに致しました。
私をフォローする際には、不定期更新とこの考え方に気をつけて気長にお待ちいただけると幸いです。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました!