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50年後をぼんやり考えてみた
更年期を迎え新たな自分と向き合う日々に、この先の健康寿命、できることについて考えてみるけどまとまらない。
まとまらないので、春木先生のゼミを少し借りて、10年後、50年後に思いを馳せてみる。
10年後、まだ生きてるかな。62歳の私と30歳を迎える子どもたち。
仕事できてるといいけれど、この年齢で亡くなった伯母が思い出される。父親が発病したのもこの辺りの年齢。なので私の健康寿命はあと10年と思っている。
この世代の会社員のいい噂を聞かない。年功序列で肩書きだけ出世し人を育てることができないと。定年がのびてるのでまだ10年では世の中変わらない気がする。知ったか顔で若い人の価値観を認めないオジがまだ辞めないから。
「心理的安全性」「1on1」「多様性」「コンプライアンス」「DI」「ハラスメント」
これ、全部、どこでもタバコが許されて男というだけで下駄を履かせてもらったオジが、今実践するのは本当に難しいのではないかと思う。
ガチガチになった価値観を変えるのは並大抵ではなく、そのせいで仕事を追われる人を見た。
昔は許されたことが許されない世界はさぞ生きにくいだろう。
そして、50年後。私はいない世界。
何が残って何がなくなっているだろう。
日々厳しくなるコンプライアンスが人間らしさを奪い、実は誰もが生きにくいことに気づくだろうか。
性自認が不安定な知り合いがLGBTQという言葉が嫌いだと言っていた。
世の中の大多数を不安にしたいわけじゃないし、みんなに認めてもらいたいわけでもないと。ただ、多目的トイレを増やして欲しいだけだと。
多様性は違いを知ること。それだけでいいと思う。
グラデーションの世の中で、コンプライアンスを叫ぶ人は自分は世の中の平均だと思っているのだろうか。正しい側にいると本気で信じているのだろうか。
全てを守ることは、人間にはできないのでそれがAIに変わっていく。
私たちがいないということは、消費者が激減する。薬も食べ物も洋服も今よりいらない。
研究成果が経済に直結しにくくなるかもしれないが少ない労働力で大きな消費を支えている今よりも、余裕ができてなんだか素敵な未来な気がしてきた。
過去の栄光を取り戻したい国のトップが頑張っているけれど、過去の栄光を知らない世代が世界をどうするだろう。
長生きしたいと思わないけれど、少しだけ覗き見できたらなぁ。
知見がなさ過ぎて、ぼんやりしたことしか考えられないけれど、それでも子どもたちの未来が面白そうに思えてきたからよしとしよう。
ということは、私も今楽しく生きればいいのだ。
飛躍しすぎかしら笑。