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きょうのーと

感想を書かなくなった。

何も思わなくなった。

世界に流されている。

何が問題なのだろうか。

お金を稼ぐために働いている。

それにつかれている。

嫌になっている。

そういうわけではないけど

わざわざ書いたところでって思ってしまう。

なぜあの頃は本を読み、感想を書き散らしていたのだろうか。

世界が狭かったのだろうか。

おごっていたのだろうか。

何がしたいのだろう。

インプットがなくなった。

アウトプットをしているわけではない。

何がしたいのだろうか。

何がしたくないのだろうか。

そんなことを思って

思ったままにできるようになった。

放っておくようになった。

情報を集めなくなった。

グーグルを眺めて悦に入っているだけ。

無駄をなくすようになって

すべてが無駄になった。

そしてお酒を飲んで忘れるようになった。

だって愉しくないんだもん。

愉しいってなんだっけって気持ち。

本を読んだって

計測できることにしか興味がなくなった。

その道のりを愉しむことができなくなった。

何が問題なんだろうねっていうか

たぶん道のりを愉しんだことがないのだ。

計測できることを計測して

その結果を眺めて喜んでいる。

それでいいと思うけど、

計測機器が増えて

計測できる項目が増えて

どうでもよくなった。

運動したいなって思うけど

運動を距離だったり日数で計測するようになる。

そうならない世界が見えない。

ただの散歩ができない。

四季の変化を愉しめない。

どうでもよくなっている。

安楽椅子が亡くなったからかもしれない。

だから本を読むべき場所がなくなった。

ベッドでは読めない。

椅子に座って読むものではなかった。

私の読書は安楽椅子の上であった。

そこが大きな転換点かもしれない。

世界が変わった。

ついていけてない。

計測して反映する。

その繰り返し。

その中で何ができるのかが問題。

計測して

自己満足

それが満足できなくなった。

人と仕事をするからだろう。

評価があるし

周りの目がある。

今まではなかった。

今までとは一体。

計測できるから

ぜんぜん進んでないのもわかるし

見えないものが見えることはよいことではない場合もある。

毎朝勉強するかっていうと

その努力をしたいのかがわからない。

やる気が満ち溢れてくるわけではない。

退屈ではあるが

お酒より強いわけではない。

それが問題だ。

わかってきたのは

やっぱり手書きだな。

自動でPDFに変換してくれたり

エクセルの帳票にしてくれるけど

そうしたら見ないもんね。

どうでもよくなってしまう。

だから

自分で整理する時間を作る。

その時間が大事になる。

そんなことに気づいた。

一日がどんどん早くなる。

お昼寝していれば終わる。

満足化と言われれば満足していない。

でもそういうものだとおもってしまう。


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魚京童
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