発達障害という言葉が無かった時代 (ドラマ 透明なゆりかご)1
初出 しょうわ あぶらのじごく
https://ameblo.jp/aburanoji/entry-12405084059.html
ドラマ 透明なゆりかご 発達障害という言葉が無かった時代
透明なゆりかごは発達障害という言葉がようやく専門家の間で認知されてきた頃のお話だったが
それ以前の時代を知る者として書いておかなければならない。
だいたい昭和時代末期頃までは小学校では完全に「ちょっとおかしい子」「情緒不安定」「手間のかかる子」「落着きのない子」
でひとくくりにされてされていたと思う。医者ですら知識が無い時代だから仕方がない。
で、学校では、だいたいそんな子には大ベテランのオバちゃん先生が担任になり面倒を見ることになっていた。
その先生曰く「3、4年おきにこんな子は現れる、私は経験が豊富だから任せなさい!」ということだ。
結論から言うとその先生の集団生活指導の基本は
恫喝、威圧、体罰である。
今ではとんでもない話だが、昭和当時は障害の有無に関わらずそんな教室運営する先生が大多数でごく普通の事であった。
ただ発達障害児の場合なぜ怒られているのかさっぱりわからない様子であったが
とりあえずその先生がいると条件反射で怯えながらも運動会とか普通にこなしていた。(ドラマ『透明なゆりかご』第3話 不機嫌な妊婦役の人におびえる感じ)
パブロフの犬とか日光猿軍団のサルとか、犬のお手のような、そんな人権意識が欠如した指導だったと思う。
ここで話が終わると単なる暴力教師の話で終わってしまうのだが
オバちゃん先生は違った。
掛け算九九や繰り上がりも怪しいこの子の為だけにお手製のドリルと教科書を作り、用務員が教室鍵締めするまで
その子とマンツーマンで繰り返し繰り返し教えていたのである。
(当時はPCもワープロもなくコピー機すら珍しいので大部のドリルをオバちゃん先生は手書きで全部作っていた)
この放課後の学習時間に限ってはこのオバちゃん先生は、少しも怒ることも体罰もなく忍耐強く毎日毎日繰り返し指導するのである。
実の親ですら投げ出しそうな繰り返しを黙々とこなすオバちゃん先生のやり方を当初は周りの児童や保護者からも「ひいきだ、差別だ」と問題にする声もあったが、次第に
この子はこういう子だし、この子の人生に先生が熱意を懸けているような気迫も感じ誰も何も言わななくなった。
結局、そんなこんなで小学生として必要な最低限の学力は身についていたと思う。
ちょっと違うけど知的にそれほどおかしいわけではないの普通のクラスメートだった。
同じ公立中学に進んだのだが、大きな公立中学の場合、発達障害でなくても成績の振るわない子がワンサカいるので
特に目立たず不登校にもならず、高校卒業してから間もなく結婚したそうだ。
このオバちゃん先生の回りにはこうやって指導を受けた子たちが中学生になっても高校生になってもよく遊びに来ていた。
当時小学生だった私にはなぜ中学生や高校生が小学校に遊びに来るのか理解できなかったが・・
今の学校ではどうなんだろうか、
今の学校ではどうなんだろうか、発達障害と診断され
一日中、昆虫見ていてもその子の特性だとか個性とみなされて放置されているのだろうか。
初出 https://ameblo.jp/aburanoji/entry-12405084059.html
2018-09-15 11:12:35 アメーバブログから移植中