水彩の魚たちに投げKISSするけど文句ある?
一番好きな本はなんですか、と聞かれてすぐに思い付くのが森絵都の「カラフル」なんです。
そのあといわゆる世界的な文豪と呼ばれているような作家さんの本が出てきて、カラマーゾフの兄弟について話し合ったあとゲーテにたどり着くあたりで話が読書じゃなくて別の方向に飛びます。
どうでもいいですね。
「カラフル」読んだことありますか?
自分はもう、何年も読んでいません。だから今回ネタバレはしません。
それに、いつか内容を忘れてこの本を読み返したいので内容は尚更秘匿します。
最初に読んだのは中学一年の春あたりだったと思います。
当時湊かなえを一通り読み終えて、分かりやすくて好きだなと思い似たようなものをと物色していたところ、昼休み図書館で優しい色合いの黄色い本を見つけました。
自分は当時、良い本も良い映画や良いカステラと同じで、どこ切り取っても美味しいし、面白いんだ!と持論を展開しておりました。これを中二病と言わないなら、当時学校までハウルと一緒に空中を歩いていってベランダから悠々と登校したいと本気で思っていたことを中二病と呼んでください。
今でも空中散歩withイケメンはしたいと思います。心当たりがあれば私に連絡ください。金額は言い値で構いませんと伝えておいてください。
そんな考えを持っている自分ですから、中盤の数行を読んで図書室の隅に隠れ座ることにしました。
そうすることがなんとなく落ち着いたからです。どうせ少ない人数の田舎の学校ですから自分と、受付の眼鏡の男の子くらいしかいませんし来ません。校内のみんなは大体幼馴染みです。
なぜか人見知りを装っていた自分は、眼鏡を幼馴染みにも関わらず距離を取ろうとして小説コーナーと銘打たれた低い棚の後ろ、自転車置き場が見えるベランダの窓のそばの床に腰を下ろしました。
読み進めるうちに、脳内で様々なことが再生され、三十ページくらい読み進めたあと本を閉じてカラフルを借り、図書室を出たのを覚えています。
放課後、部活が終わって帰りました。
そこからすぐにベッドでカラフルを読むわけですが、読み終わって天井を見ながら、心が疲れてしまったなあと嘯いておりました。一人で。
内容の説明するかどうか迷ったんですが、面倒なのでしません。本を読むか、映画を見るかしてください。もしも野暮ったいけど、ちょっと納得できないけど、面白いと思ったのなら、わたしとあなたはきっと同じ類いだよねと、くくられる運命です。動く城についての情報があればください。
内容を知っている方も知らないかたも楽しめるように書きたいと思います。
自分は「このぎこちなさを抱えて、上手に生きるのとか無理だろ」とか「凝り固まった考えの無自覚人間て本当に性質が悪いな」「上手に泳げないな(暗喩)」「始めようか、天体観測」等々ありがちな考えに囚われていたわたしにとって、この本は意図も容易く自分の心の奥底に入り込んできたのでした。
「若きウェルテルの悩み」が発刊された当時、自らをウェルテルに重ねて拳銃自殺する若者がいたそうです。「曽根崎心中」が公開されたときも物語に準えて、死を選ぶ人たちがいたそうです。
捉え方を変えるならば、無差別殺人なんじゃないかなと思います。乱暴で拙い捉え方ですが。
言い方を変えれば、心のありようの影響元は言葉であることもあるということです。
ウェルテルなんかは、受け取り先の不安定な心を後押ししただけ。
でも自分は同時に思うのです。
人の行動を大きく決定付ける心に影響を与えるのが言葉なら、同じように心に無差別に手を差し伸べることができるのも言葉なんじゃないかと。
言ってみれば当たり前のことです。さもノーベル賞スピーチのように言ってみたりしました。
言葉の性質上、言葉は常に無責任なものであると考えた方が生きやすいですし、ネットリテラシーの姿勢としてそれはあるべき形です。
世の中は相変わらず辻褄合わせで溢れ返ってますし。
そういう極彩色の世界と向き合うのに疲れたとき、「カラフル」はそよ風となって頬に触れてくるであろうから、内容をすべて忘れたいのです。
自分は、生きるのにぎこちなさがついて回ると感じていました。
でもそれは、たぶん二人に一人くらいの割合で本当で、あの眼鏡の男の子だって同じだっかも知れません。いやきっと自分と同じだった。
あの図書室で一人、彼は何を読んでいたのでしょうか。
そんな世界に向けて投げKISSをおしつけたくなる気分になるし、星を落っことしたい気分にもなる。
変だよな、超めんどくさいやつだよな
イギリス被れになりたい、三日に一度は髪色変えたい、ブランドものはいらないけど、十秒に一回死にたくなるよ
ねえ、ほら君間違ってないって言って
そしたら僕何度も何度も何度でもいつでも。
猫になりたい。言葉は儚い。消えないように傷つけてあげるよ。
この焼酎美味しいね。
ほら、
カラフル。