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フィリピン音楽と僕 5 - 爆発的大ヒットと賞金付きのど自慢大会〜児童労働

フィリピンの音楽専門のオンラインショップを軌道に乗せるべくバタバタしていた2007年初頭、フィリピンポップス(OPM)史に残る大ヒット曲が生まれた。
若い女性ポップロックシンガーソングライターYeng Constantino(イェン・コンスタンティーノ)のデビューシングルHawak Kamayだ。

2007年のメガヒットHawak Kamay

Yengは、正直歌はそれほど上手いシンガーではなかった。個性的な歌い回しを売り物に出てきた、ある意味勢いまかせな女の子だった。けれどもその勢いというのもポップ音楽シーンでは重要な意味を持つ。キャッチーでポップなオリジナル曲と個性(勢い)がぴったりとハマった時、ワンアンドオンリーな魅力が爆発するからだ。
YengのHawak Kamayはまさにそんな曲だった。

この曲は2007年当時、フィリピンに行って街を歩けば、ライブレストランのバンド演奏で、カフェのBGM (FM? CD?)で、テレビの歌番組で、どこからともなく漏れ聴こえてくるカラオケの歌声で、1日最低でも一回は必ず耳にするほどの大ヒットとなった。
フィリピンポップス史上最も売れたシングル、というネット記事も見たことがある。真偽の程はわからないけど、あの時の人気ぶりを見ていると、あながち根拠がないわけでもなさそうだ。
フィリピン人の琴線に触れた歌詞は大親友でもあった従兄弟との友情を描いたもので、2011年の東日本大震災の時には日本語歌詞をつけてカバーされたこともあった。

タレントオーディションを兼ねたテレビのリアリティショーPinoy Dream Academyに出演しスターを夢見ていた彼女もこの曲のヒットとともに一躍全国区の人気者となった。

ビッグヒットとなったHawak Kamayは発売当初から2バージョンあって、上のyoutubeはアルバムバージョン、メリハリの効いたポップアレンジのバージョンで、もう一つはアコースティックバージョン。アルバムバージョンより曲全体の起伏を抑え、バッキングではアコースティックギターのカントリータッチのアルペジオが全編に流れるというもの。アコースティックバージョンはなぜかデビューアルバム「Salamat」には収録されておらず(大抵ボーナストラックとして別バージョン扱いでアルバムの最後の方に追加収録されていてもおかしくないのだが)、当時のポップヒットを集めたコンピレーション盤などに収録されている。

楽曲の出来としては文句なくアルバムバージョン(ポップバージョン)と思うが、フィリピンで人気なのは、アコースティックバージョンの方だ。
下のYoutubeがそれ。今、この曲をキーワード検索すると、オフィシャル、アンオフィシャルに関わらず、アコースティックバージョンがトップに表示されることがほとんどだ。

フィリピンでは若者を中心にアコースティックポップが人気なのと、ポップ音楽自体が世代を超えて支持されていることも相まってアコギがある家庭はけっこう多く、ティーンエージャーが家の軒下などでギターコード付きの歌本とにらめっこしながらギターを爪弾いているところによく出くわす。
アコースティックバージョン人気はこういったリスナーに特にアピールしたものと思われる。つまり真似をしやすいバージョンということなのだろう。

カラオケ

真似をする、といえばカラオケだ。
日本で発明されたカラオケはフィリピンでも大人気。Karaokeとアルファベット表記で通じる。
日本から輸入され広がったといわれる「カラオケバー(スナック)」はもちろん、ジュークボックスマシンのようなコインカラオケを設置している店舗もある。また、家庭のテレビにつないでカラオケボックスのように楽しめる機械も人気。また、この機械を販売しているCDショップ、オーディオショップでは店頭で実演販売?をしており、暇を持て余した店員が思い思いの曲を歌っている姿を目にすることも珍しくはない。
カラオケマシンとは関係のない商材を扱う店舗でも店先に設置して通りすがりの客に使わせているところもある。客寄せの一環と思われるが、フィリピンではカラオケがいかに「ヒキの強い」アイテムであるかが窺い知れる。

のど自慢大会 - 金儲けと児童労働

このように、スターのビッグヒットを真似して遊んでいると、どこからか腕自慢(のど自慢)な連中が湧き出てくる。
そういう人たちの受け皿のような位置付けなのが、全国津々浦々で行われている「のど自慢大会」だ。
「カラオケ大会」と銘打つのもあるが、「シンギングコンペティション」と大きく出るものもよく見かける。
バランガイ(町内会)主催で、道端に仮設テントを設営して地元の楽しみとして催されることが多いが、モールやスポーツグラウンドなどのスペースを利用して盛大に行われることも少なくはない。そしてなにより特徴的なのは、ほとんどが「賞金付き」ということ。
労働に対する賃金のバランスが悪い(公務員でも本給だけでは家族を養っていけない)フィリピンでは警官ですら新米の頃はホテルや公共施設のガードマンのアルバイトで食っている状況。歌を歌うだけで賞金が転がり込んでくるのど自慢大会は庶民にとってほぼ唯一の「オイシいシノギ」なのだ。
中には年端も行かない子供に歌を仕込んで出場させ、その賞金が家計を大きく助けることもある。さらに、のど自慢大会をきっかけにプロの歌手として大成功するものもいるのだから、その本気度はハンパではない。
しかしフィリピンの賞金付きのど自慢大会は、仕事もなく、その日の食い扶持にも苦労するフィリピンの、ささやかな施し・・・のような微笑ましいものではない。
その辺の事情は、親の強欲とスパルタで、フィリピンの地方で行われるのど自慢大会の賞金稼ぎからスタートし、ついには全米デビュー、アルバムをビルボードのトップ10圏内に送り込むという世界のトップスターにまで上り詰めたフィリピン人シンガー シャリース(ジェイク・ザイラス)の自伝に生々しく描かれている。

そう、フィリピンの賞金付きのど自慢大会は児童労働や虐待・搾取という大きな問題も抱えているのだ。
儲かった賞金でブランド物の服を買うとか、ちょっといいレストランで食事をするとかいう「スケベ心」ではない。本当に生きるか飢え死にするかの瀬戸際で声を振り絞っている出場者は現実にいっぱいいるのだ。

下のYoutube動画は、実際にシャリース(ジェイク・ザイラス)が地元ののど自慢大会からテレビ局主催のシンギングコンペティションに出場するようになった頃の映像だ。この時9歳。
上述の自伝からの引用
「本当にガリガリに痩せていて、頭だけが異様に大きかった・・・道端で人がぶつかっても誰も気づかないんじゃないか?」

前置きなしでこの動画をみると、幼い天才少女がステージで歌を披露している微笑ましく貴重な映像と映るだろうが、その陰には、この歌声ひとつにぶら下りながらやっと食い繋いでいる人たちが何人いたことか。

このようにダークな要素を持っているフィリピンの賞金付きのど自慢大会だが、皮肉にも、全国津々浦々、頻繁に行われるのど自慢大会が、フィリピンのミュージックシーンを世界的なレベルに引き上げている一因となっていることは否定できない。中には純粋に腕試しで出場したものもいただろう。スターへの階段を登るものも。
動画を見ていただければわかる通り、振り付けや、歌詞に合わせた顔の表情は明らかにエンターテインメントを意識したものだ。
歌が上手いのは決して外せないプライオリティだが、それだけではない。観客がいかに満足できるか、楽しめるか、ということもコンペティションで勝ち抜くには非常に重要な要素となる。
ここで彼らは若くして歌のスキルだけでなくオーディエンス(審判員)にアピールできるだけのエンターテインメントを徹底的に磨くのだ。
だからフィリピンでは歌番組やバラエティに登場する若手でも、自分の至らなさを照れ隠しの一発芸のような笑いに変えてやり過ごすなどということはしない。皆、いっぱしのスマートなエンターテイナーなのだ。
このように、フィリピンの人たちにとってポップ音楽とエンターテインメントは我々がその言葉からイメージする以上に特別な意味を持っている。
「フィリピン人にとってのエンターテインメント」についてはまた改めて記事にしようと思う。

アメリカンロックバンドJourneyに加入したArnel Pineda

若い頃に賞金付きのど自慢大会を経験し、その後世界のトップスターになったフィリピン人シンガーをもう一人挙げておく。
1980年代に世界を席巻し、90年代には低迷したアメリカンロックバンドJourney。2007年にJourneyに加入しバンドの奇跡の復活を成し遂げた立役者といっていいフィリピン人リードシンガーArnel Pineda(アーネル・ピネダ)だ。

この動画は2007年、マニラ首都圏郊外に位置するパンパンガ州の港湾都市オロンガポのナイトクラブに定期出演(いわゆるハコバン)していたアーネルの歌を彼の友人が録画しアップロードしたもの。
この動画を、当時リードボーカルを探していたJourneyのリーダーNeal Schonが偶然見つけ、アーネルを米国に呼び、オーディションの結果Journeyにリードボーカルとして正式加入することになったという、正に奇跡を生んだ動画だ。

アーネル自身は赤貧の家庭の生まれではなかったが、幼い頃に両親を病気で亡くし、一家は離散、ホームレスとなる。屑鉄集めや、前述シャリース(ジェイク・ザイラス)同様のど自慢大会などで日銭を稼ぐなか、1980年代にはフィリピンでプロデビューも果たした。しかしバンドの不和で低迷、フィリピン国内だけでなく、一時は香港のナイトクラブへのどさ回りなどで暮らしていた彼がフィリピンへ戻り、オロンガポでナイトクラブの専属シンガーとして歌っていたところを発見されたのだ。

次に貼付する動画はアーネル加入で再始動したJourneyがマニラでコンサートを行った時の模様を収録したもの。
歌が始まるとアーネルはステージの張り出しへ出てくるのだが、その時、客席から差し出されたフィリピン国旗を取ると大きく振り上げる。


見間違えることはまさかないとは思うが、アーネルが振り上げているのはバンドが拠点を置くアメリカの星条旗ではなく、フィリピンの国旗だ。
感動的なシーンだ。
コンサートでこの勇姿をみていたフィリピン人オーディエンスは何を思っただろう。
アーネルが振り上げたフィリピン国旗は一体なにを意味するのだろう。
会場となった母国フィリピンと、凱旋コンサートに集まったフィリピン人オーディエンスへの感謝として?
それとも、
僕たちフィリピン人は、政治・経済だけでなく文化面でも覇権を握る米国を代表する人気バンドのフロントマンの座にだって実力一本でつくことができるんだ、ということを高らかに宣言するためだったのか?

これはアメリカンドリームというべきか、フィリピーノドリームというべきか。

とにかく、2007年は冒頭で話題にした国内でのYeng Constantinoのビッグヒットとともに、ArnelのJourney加入という、世界的な話題も提供したフィリピンポップス界だった。



貧困は許されざる人権侵害だ。と僕は強く思う。
けれども、我々を含む経済先進国の人たちのように、生活のためのお金を得られるようにすれば彼らは「私たちのように幸せに」なれるのだろうか?
彼らを貧困から救い出すのは、彼らを我々のようにする(変える)ことだけしかないのだろうか?
さまざまなバックグラウンドを持ちながら世界の舞台で活躍するフィリピン人アーティストをみながら、なにか、僕には気づいていない方法で彼らを貧困という恐怖から遠ざける方法があるのでは?とぼんやりと思う日々なのである。

次回も、もう少し2005年から2007,8年くらいのことを。

バタバタしながらも街を歩きながら触れた音楽風景などなど。。。

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