報道されない真実:フィリピンから来た歌姫ビバリー
ビバリー(Beverly)は2016年に来日、2017年にメジャーレーベルAvexからアルバムをリリース、テレビドラマの主題歌を担当するなど人気のシンガーだが、彼女のフィリピン時代のことは、フィリピン時代の本当のことは、あまり知られていない。
Avexのウェブサイトを見てもビバリーのプロフィールページではほんの1行しか触れられていない。以前、デビュー前後の頃はもう少し分量があったように思うがそれでも大半は現在の記事と同じように日本に関する内容となっていたと記憶している。
「アメリカ、フィリピン等の音楽祭で数々の受賞歴を持ち、日本が初めて体感するハイトーンボイスを持つ世界レベルの実力派シンガー。」
これが現在のAvexのビバリーのサイトからの引用だが、13行ある紹介記事の中で彼女のフィリピン時代について触れられているのは冒頭のたったこれだけである。
これまでの報道やネット記事を見れば、ビバリーは
「類稀なる才能を持ちながら、それを才能として評価し活躍につなげるだけの土壌がなかったフィリピンでは賞こそ受賞したもののあまり注目されなかった、そこで日本の芸能界が発掘し、ついにその才能が花開いた。」
というようなイメージではないだろうか?
しかし実際はかなり違う。
ビバリー、本名ビバリー・カイメン(Beverly Caimen)はもともと歌うことに興味があったが、ハイトーンで歌うことをフィリピンの敏腕プロデューサーから奨められ、あっという間に才能を伸ばした。
彼女は2013年に、当時フィリピン人シンガーが何人もノミネートし評価されてきた毎年アメリカで開催されている新人コンペティション「WCOPA (world championship of performing arts」でグランプリを受賞、その後フィリピンの2大テレビネットワークの一つGMAグループ傘下のレコードレーベル(GMA records)から2015年にアルバムデビューした。
プロデュースしたのは彼女がアマチュア時代からトレーニングをうけていたフィリピン音楽界の重鎮、ヴェニー・サトゥーノ(Vehnee Saturno)氏。
サトゥーノ氏はフィリピンの代表的なプロデューサー、ソングライターを挙げる時必ず名前が出てくる人物で、1980年代から今日に至るまでヒット曲は枚挙にいとまがない。また、アルバムのリリース元のGMA recordsはViva records, Star recordsと並ぶフィリピンの大手メジャーレーベルの一つだ。
このように、デビュー前からアルバムリリースの頃までのビバリーの経歴をざっと見れば彼女は決して埋もれた才能、フィリピンが彼女の才能に気づいていなかったわけではなく、れっきとしたメジャーシンガーでデビュー前から多くのファンの注目を浴びる存在だったのである。
実際、GMAのライバルでフィリピン国内の最大手レコードレーベルStar recordsも彼女に注目、権利関係でStar recordsの親会社ABS-CBNのテレビにはあまり出場する機会がなかったビバリーだが、アルバムデビュー当時はStar recordsの内部でも彼女のことが頻繁に話題に上っていた。というのもビバリーは、2004年にStar recordsからデビューし爆発的人気となって一斉を風靡した女性シンガー、シャーリン・レヒス(Sheryn Regis)に見た目も良く似ていたし高音域を武器とする歌い方もそっくりだったからである。もっともこれにはカラクリがある。シャーリン・レヒスも前出のヴェニー・サトゥーノ氏が発掘しデビューさせたシンガーなのだ。芸風が似ているのも頷ける部分ではある。
さて、そんなビバリー、デビュー時点で既にフィリピンでは多くのファンの注目を浴びていたブライテスト・ホープだったわけだが、2015年にリリースしたデビューアルバムはビッグヒットには至らなかった。この点がのちにAvexの食指が動いたきっかけでもあるのだが、アルバムが不発に終わった理由を探ってみよう。
この頃のフィリピンポップス界を見てみると、先ほどビバリーの「先輩」として紹介したシャーリン・レヒスはまだフィリピン国内で屈指の実力を持つ女声シンガーとして知られる存在だったし、2003年にデビューし現在も「ポップスター・プリンセス」の名前をほしいままにしているトップアイドル、サラ・ヘロニモ(Sarah Geronimo)は歌唱力の面でも海外の音楽ファン、批評家から高く評価されており、ビバリーと並ぶ、あるいはビバリーよりも優れたシンガーとして認知されていたのだ。
また、2008年にフィリピンデビュー、後に米国のセレブリティ、オプラ・ウィンフリーを通じてデイヴィッド・フォスターのもとで全米デビューしたシャリース(Charice Pempengco:現在は男性シンガー、ジェイク・ザイラス(Jake Zyrus)として活躍)の存在もフィリピン国内ではまだ記憶に新しかった頃である。
それに何と言っても極め付けはStar music(旧Star records)から鳴り物入りでデビューしたモリセット・アモン(Morissette Amon)。ビバリーより1ヶ月はやくアルバムデビューしたモリセット(2015年3月、ビバリーのデビューアルバムは同年4月)は圧倒的な説得力と表現力を兼ね備えた文字通りフィリピン最高のシンガーで、ライブパフォーマンスを撮影した動画がYoutubeにアップされるや否や世界中の注目をあび、現在はマライア・キャリーをビッグスターにした敏腕プロデューサー、レット・ローレンスが彼女に急接近、彼のもとでアルバムレコーディングをしているとの報道もある。
また、別の機会に書くことになると思うが、フィリピンではレコーディングアーティストとステージアーティスト(ローカルシンガー)との境界線が曖昧でアルバムデビューすらしていない、レコード会社に所属していないにも関わらず優れた才能を発揮しているアーティストがごまんといる。
Avexの言を借りればビバリーは日本人にとって「初めて体感するハイトーンボイスを持つ世界レベルの実力派シンガー」なのかも知れないが、フィリピンにとっては「よくある歌ウマシンガーのデビューの一つ」に過ぎなかったのである。要するにフィリピンのポップス界はビバリーの才能を評価する素地がなかったどころか、ちょっと意地悪な言い方をすれば、ビバリークラスのシンガーはどこにでも転がっている状況だったのだ。
そういうわけで、ビバリーの歌唱力(だけ)を盾に売り上げを伸ばすことが難しいフィリピンでは売れるか売れないかはまさにその時の運次第だったのである。
僕はフィリピンのメジャーレーベルからリリースされるアルバムは網羅的に輸入・紹介しており、ビバリーのアルバムがGMA recordsから届けられた時、上手いシンガーだな、ヴェニー・サトゥーノの新曲もいいなとは感じたが、これはヒット間違い無いとまでは残念ながら思うことは出来なかった。
ところで、僕はビバリーがフィリピンでデビューアルバムをリリースした翌年の2016年、彼女を発掘したプロデューサー、ヴェニー・サトゥーノ氏に会って話をする機会があった。ちょうどビバリーが日本にやってくる前だ。気さくな彼は僕がフィリピンに出張すると言うと、忙しい時間を割いて彼のスタジオに招いてくれた。数々の名曲を生み出したサトゥーノスタジオのミキシングコンソールの前で、彼はフィリピンを代表するプロデューサーとして興味深いフィリピン芸能界の話をたくさん聞かせてくれたのだが、その時僕は、彼が最も最近プロデュースしたビバリーの話を出してみた。日本行きの話を全く知らなかった僕はビバリーは今どうしているのかを聞こうと思ったのだ。
彼は笑顔で今日本のレコードレーベルAvexにビバリーを売り込んでいる最中なんだよ、もうすぐAvexと契約することになると思うよと打ち明けてくれた。
アルバムセールスが芳しくなくフィリピンの芸能界で抜きん出るには今ひとつ決め手に欠けるビバリーだが、埋もれさせるには惜しい才能を持っていると感じたサトゥーノ氏の親心だろうか?欧米はもとよりシンガポールやマレーシアなどアジア諸国の音楽界にも強いコネクションを持つ彼、ひょっとしたら日本以外にもオファーしていたのかも知れない。
晴れて日本デビューすることになったビバリーはAvexのサイトにもあるように最大限の賛辞で紹介されることになった。
日本の音楽界やAvexレーベルのプレゼンスを上げ、同時にビバリーを上手く売っていくためには適切な打ち出しだったとは思うが、フィリピンの芸能事情がありのままの形で伝えられなかったのはフィリピンの音楽に傾倒している僕としては少し残念な気もしている。
日本で新たなプロジェクトでシンガーとして起用されるたびに、僕が輸入して取り扱っているフィリピンでの「プロデビューアルバム」が、僅かではあるけれど注文が入る。新しくビバリーのファンになってくださったファンがどこかで彼女の来歴を検索してこのアルバムの存在を知ってくれたのだろう。
類稀なる才能を持つビバリーがメジャーシンガーとしてデビュー、活躍していたフィリピン時代の足跡を少しでも知っていただきたいと思うと同時にビバリーという才能を産み出したフィリピンの音楽界やフィリピンの社会のことに興味を持ってもらえたらと記事にしてみた。
記事のタイトルには「報道されない真実」という陳腐な表現をあえて使ってみた。
今、「報道されない真実」という文言は、イコール根も葉も無いフェイク記事と思われるくらいの「釣りフレーズ」となっているようだが、本当に本当のことしか書いていないのでご安心あれ。
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