歴史が変わるとき
20年近く続いている毎年恒例の温泉旅行が今年で終わるかもしれない。父方の祖父母、両親、妹、叔母一家、私と夫で過ごす一泊二日は開催以来、うちの家族(というより母親、私、妹のいずれか)が「祖父母、特に祖母の配慮のない発言(見た目や人間性の否定、説教、結婚出産に対するあるべき論etc)」を我慢することで成り立っていた。こうした発言は特に、「叔母一家が同じ場にいるとき」に顕著なものだった。
宴会の場で今春から社会人になる妹が、引っ越し準備や恋人の有無についてまたちくちくと刺された(私は私でひ孫の顔をいつ見せるのかと詰め寄られた)。それに対し、妹が初めて自分の言葉で言い返そうと試みたが、畳み掛けられ号泣、過呼吸になり退場。突然の出来事に場が騒然とする中、祖父母は「そんなに泣くことではない」「心配しているからこその言葉」等となおセカンドレイプまがいの発言をした。また、離れた席に座っていて状況を把握していない叔母が「みんな、妹が頑張っていることは知っているのに」と涙ぐんだ。
そんな状況に対し、この四半世紀ダンマリを決め込んでいてた父親が、初めて反旗を翻した。「相手を尊重した発言をなぜしないのか」「年長者が偉いというわけではない、提供するのは説教ではなく相談に乗ること」「良い歳をした大人に、時代遅れなあるべき論を押し付けるな」と正論で殴りかかった。
父親がこんな風に祖母を嗜めたのは今までで初めてだった。ここ数年、亭主関白の父親に対して母親が楯突くようになり、父親自身が家での言動を見直していることが少なからず良い影響を与えていたのだと、個人的には嬉しかった。(可愛がっている妹が泣きじゃくっていたことも勿論あると思う)
大好きな息子から突然ノーを突きつけられた祖母は明らかに狼狽していた。父の言っていることは筋が通っていたし、明確なネクストステップが提示されていた。祖父母を含む全員がこの当たり前の内容に合意すれば、この話は終わりのはずだった。だがしかし、叔母がカットインしたこと状況は一気に複雑になる。
「あなたたちがワクチンの件で家庭内で揉めたことで、どれだけおばあちゃんが心を砕いたか知らないでしょう。それとつながっているのよ」
去年の秋頃、両親が各々の理屈でワクチンを打たないと言い出したことで、家庭内が不穏な空気になった。そして、妹がたまたま近くに遊びにきていた祖父母と叔母にそのことを打ち明け、介入を依頼した。その後、祖母からは父親に対し、それについてコミュニケーションを行った。そうした様々なやりとりの中で「ワクチンを打たないのなら温泉旅行に来るな(と私と妹が言っている)と受け取った」と両親が不参加を表明。認識の齟齬を察知した私と妹が年末年始にテレビ電話を実施、4人で話合いをして関係を修復した。(私と妹は両親に対してワクチンを打ってほしいと思っているが、最終的には本人の意思を尊重するし、打っていないからといって金輪際会わないとか、そういう意図はないということを伝えた)
叔母の言い分はこうだ。
上記の「妹からの打ち明け」及びそれに伴って発生した「父親とのコミュニケーション」によって祖母(と叔母)は心労を抱えた。それに対して私と妹からのフォローアップが不十分(事後にLINEや電話で叔母と祖母に私達からお礼の連絡はした)。この場での全体への謝罪が欲しい
(1.があったために)心配が募っているのだから、その延長戦上で「引っ越しの準備や結婚についてちくちくと刺すこと」を許容しろ
明らかに論点を逸脱していたため隣に座っていた父と二人でスペキャ状態になりつつも、下記のように回答。
1-A: (なぜこのタイミングでその話を持ち出すのかは理解できないものの)不快な思いをさせたことは理解した。謝罪が必要ならいくらでもする
2-A: 「相談に乗ること」と「配慮のない発言」は完全に別物。父親が言うように「会っていない時間や相手を尊重した発言をしてほしい」と思っている。両者を一緒くたに受け入れろと言うのであればもう相談はしない
話が食い違っていることを認識しつつも、宴会場の都合でその場は強制修了となった。(祖父母・従姉妹一家& 両親、妹、私と夫で部屋が分かれていた)その後、個別に従姉妹と話して以下の内容を補足してもらった。
「妹からの打ち明け」及びそれに伴って発生した「父親とのコミュニケーション」に関して、祖母と叔母は「私と妹の考えたさいきょうのシナリオ」の登場人物として都合よく使われたと感じている
祖父母は80歳を超えている。もうあと何回この会が開催されるか分からない。祖父はこの会を「年に一回子や孫が集う楽しい同窓会的な場」と考えているのに、今年こんなふうになってしまって悲しんでいる。叔母も従姉妹たちも同じ気持ち
話が通じていないことを再確認したうえで、妹を含め下記のように回答した。
1-A: 完全に誤解。都合良く使った意図はないし、さいきょうのシナリオも特に準備していない。けれど、不快な思いをさせたことは理解した。謝罪が必要ならいくらでもする
2-A: 祖父のいう「楽しい場」はこれまで、誰かが我慢することで成り立っていた(少なくとも私たちは毎年嫌な思いをしていた)。どう考えたって不健全だし、「誰もが楽しい会」だって実現できる。その為には、会っていない時間や相手を尊重した発言を一人一人がする必要がある。私達も父も、これをずっと主張しているだけ
1.については齟齬を解消する余地があると感じたが、前述のとおり、なぜこのタイミングでその話を持ち出したのか釈然とせず、これ以上の対話は埒が開かないとも感じた。
両親と妹は飛行機の都合で翌朝出発したため、我と夫と残りのメンバーで昼食を共にしたのだが、お葬式のようだった。
誤解のないように言っておきたいが、私たちは祖父母が好きだ。好きじゃなかったら、ただの週末に半日かけて飛行機、電車、車を乗り継いで集まったりしない。だけど、いや、だからこそ、できるだけみんなが楽しく過ごせるように一人一人が心がけて欲しいというのが、私の願いである。
そして、それに向けて皆が足並みを揃えること、即ち相手の立場に立って物を言う心がけができないのならば、角を立たせることを躊躇わないし、何年続いた会であろうと、無くなっても仕方が無いと思う。