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砂漠のサリー

近藤 和哉
法学部・刑法

 ここのところ、航空業界はさっぱり振るわないと聞く。私の妻子も、この2年ほど、花の都とその周辺をうろつくばかりで、日本の土を踏んでいない。Liberté(=自由)の国に馴染んだ彼ら(主に妻)には、2週間の自主隔離が大変な重圧であるらしい。私とは感覚が違うが、旅費を負担する身としては、あえて異を唱えるまでもない。しかし、ここでFraternité(=友愛)の精神を発揮して迂闊に慰めたりすると、同情するなら米をくれ、とばかりに、彼の地で入手困難な和食材を私に持って来させようとするので、油断がならない。
 そんな緊張感漂う会話を何とか切り抜けたある日の夜、ふと、引き出しからパスポートを取り出して開いてみると、案の定、有効期限が切れていた。フランスの各種窓口でこちらの希望が通るかどうかは、多分に担当者の気分次第だが、さすがにパスポートがないと入国させてもらえない。そもそも、日本を出国できない。小さく安堵して、なおもページをめくっていると、過去に訪れた国々の出入国スタンプが、次々と目に飛び込んできた。そういえば、かつての私は、ずいぶんとあちこちに出かけていたのである。

 1970年代の若者の中には、沢木耕太郎氏の『深夜特急』に感化されて、ある日突然、香港にすっ飛んで行ってしまう人もいたそうだが(ボーイフレンドをもつ女子は、同書を敵視していたと聞く)、私が大学生だった80年代、インドを目指す若者の旅の友は、『地球の歩き方』だった。私も同書に従って、インドへ行くならまずはバンコク、と心得て、某年の2月中旬、イラク航空の片道切符を買って同地に乗り込んだ。
 深夜の中華街で1泊300円の宿を見つけ、まさかの水シャワーに震え上がり、翌日からは、バックパッカー向けの旅行会社を訪ね歩いて、デリー行きの安チケットを手に入れた。デリーでは、北(ダージリン方面)へ行くか西(乾燥地帯方面)へ行くかで迷ったが、インドまでが寒いことにショックを受けていた私は、暖かそうなジャイプルへ。そこにはラクダはいたが、気温はいまいちだったので、さらに西南のウダイプルへ。同地は、もともと温暖なのか、私の移動中に季節が移ったのか、ともかく気温は高かったが、私の方でも、何かの病気に罹って高熱を発し始めていたので、もはや余計なお世話であった。何の暗合か、霊安室のような客室のベッドに横たわり、物憂げに回るシーリングファンと向き合って数日、<今が最後のチャンスですけど?>という真偽不明の啓示に導かれて、客室の雰囲気そのままの女主人に教えられた近所の診療室へ、ふらふらと歩いて行った。机の上の聴診器以外にこれといった医療器具が見当たらない小部屋の中では、細身の身体を涼しげなサリーに包んだ若い女医さんが患者を診ていた。私が訴える症状を聞くと、はいはい、これを飲みなさい、と薬をくれた。文字通りくれた。タダだった。そして、驚いたことに、それを飲んだら、私の病気は、砂漠の熱い砂に水が吸い込まれて行くように、すっと治ってしまったのである。
 喉元過ぎれば何とやらで、その後は、アグラ、エローラ、アウランガバード、マドラス、とインドを精力的に縦断して(各地で色々あったが、書くスペースがない)、折角ここまで来たのなら、とスリランカへと向かった。同地では、機内で隣合ったアメリカ人に誘われるまま、彼の親友だというスリランカ人の家に行くことにしたが、私たちが乗った車は、市街地を突っ切って、熱帯樹が生い茂る昼なお暗い山中へ。もしかしてこれはヤバいのでは、と思わないではなかったが、ここで逃げ出してジャングルでひとりになるのもヤバそうだったので大人しくしていると、かわいらしいお嬢ちゃんが二人いる家に着いて歓待を受けた。翌日、空港までどうやってたどり着いたのか覚えていないが、ともかく、次はジャカルタへ行くはずのところ、これ以上赤道に近づきたくなかった私はバンコクに逃げ帰り、廃車のようなバスに乗って、タイ南部のリゾート、サメット島へ。ところが、この旅程の変更をジャカルタで会うはずの友人に伝えられなかったため(当時、スマホはSF世界のアイテムだった)、心配した友人が私の実家に連絡し、両親は、息子がインドで消息を絶つという珍しい経験をすることになった。母はこのとき、「わたしが探しに行く!」と言ってくれたそうである。この場を借りて、改めて心からの感謝とお詫びとを申し上げたい。
 そして、この駄文に最後まで付き合って下さった皆さんにもお礼を申し上げたいが、新入生諸君には、もうひとつ、学ぶということは、私が上に述べたような道行きのことではなかろうか、ともお伝えしたい。既定のルートを人に連れられて行くツアーのような旅は、楽で安全だが、これとは別に、楽でも安全でもないが、深い魅力を湛えたひとり旅がある。学びにも、ツアー型の学びと、ひとり旅型の学びとがある。諸君はこれまで、主に前者を経験してきたのではないかと思うが、これからは、後者の学びにも、是非ともチャレンジしていただきたい。幸いなことに、学びのひとり旅で遭難しても命を落とすことはまずないし、逆説的なことに、遭難すればするほど、学びはその深みを、諸君の人生はその輝きを増す。無限に枝分かれしながら未来へと延びてゆく諸君の学びの道行きが、多くの発見と感動と幸運に満ちていることを、心から願っている。

近藤 和哉
法学部・刑法

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。