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法学とはどういうものか|小谷昌子

小谷昌子
法学部准教授・民事法学

わたしはラジオを聴くのが好きなのだが、ここ数年、夏休みや冬休みによく聴いているのがNHKラジオ第一『子ども科学電話相談』である。中学三年生までの「子ども」からの「なぜ鏡に映ると左右が逆になるの?」「なぜ魚はアニサキスでお腹が痛くならないの?」といった素朴な疑問に、その道のプロの先生が答える番組である。

2017年8月30日放送の『夏休み子ども科学電話相談』では、「どうしてパンツを履かなければいけないの?」という質問が寄せられた。つい笑ってしまいそうになる質問だが、自然科学的な質問が多い同番組において、「法学のめがねをかけて」「法のモノサシを使って」も考えることができる質問はめずらしいなと思った覚えがある。

法学部生であると言うと、「法律の条文をぜんぶ覚えなきゃいけないんでしょ」とか「弁護士になるの」などと他学部の学生に聞かれることがあるだろう。そしてこれを否定することでちょっとした罪悪感を覚える人もいるかもしれない。しかし、法学とは決してそういうものではなく、法学を学んでいない人の勝手なイメージにマッチしていないからといってうしろめたく感じる必要もない。

たとえば、どうして人間は(下着の)パンツを履くのか。

人間の「パンツを履く」という行為については、歴史的観点から考えることもできるであろうし、人間の行動を社会科学的に研究する行動科学の観点からも、文化人類学の観点からも、あるいは経済学的にも分析し考察できるであろう。他方、「パンツを履かなければならない」というような、「こうあるべき」という決まりごと(わたしたちはこれを規範と呼ぶ)が実際にあるのか、あるのであればそれはなぜか、どのような目的で存在する規範なのか、また、パンツを履かないでいた場合、その規範との関係で何が起きるかを考えるのがさしあたり法的な観点からの考察ということになるだろうか(ちなみに番組でも、「心と体」に関する質問の回答者である篠原菊紀(しのはらきくのり)先生がこのような点に言及していた) 。

異論はあるであろうが、世の中で起きている様々な事象をあえて「法学のめがねをかけて」 「法のモノサシを使って」観察、分析し、考察する。このことは法学の重要な一面を成すであろう。たしかに、法学の場合、まずその「めがね」や「モノサシ」を獲得するまでがひと苦労ということはある。多くの場合、大学一~二年次の間には憲法や刑法、民法などについて基本的なことを学ぶ科目が配当されているが、この段階で「あ、法学って合わない」 「公務員試験を受けたり法曹を目指すのでなければ法学なんて役に立たない」と思ってしまう学生は一定数いる。そもそも「役立つ」 「役立たない」などと学問に関して述べること自体くだらないが、このような態度は法学の入り口に立っただけで見切りをつけていることにほかならない。ぜひ、 「めがね」や「モノサシ」を獲得し切れていないと感じても、それを使い、社会で起きている出来事について少し深く考えることをやってみてほしい。これは、使っていくうちに、その「めがね」や「モノサシ」を使いこなせるようになっていく面もあるからである。

つまり、そうした考察によって、基本的なルールについての理解が深まるということは確かにあるのである。単に授業を聴くだけではなく、新聞やニュースで報じられる出来事に目を向け、自分で考えてみることで、一歩踏み出すことができるだろう。また、ゼミナールなどでなにか問題やテーマを選び、調べ、深く考えること、他の学生と議論することもおすすめしたい。

さらに、そうやって考えていくと、 「めがね」や「モノサシ」自体への疑いが出てくることがある。この規範は、現在生じている問題の解決に役立たないのではないか。今まで考えられてきたように考えると、妥当な結論を導くことができない場合があるのではないか。このように考えることも法学においては重要である。法学とは、単に試験をクリアするための勉強ではなく、青臭いかもしれないが、社会を見つめ、社会がより良い方向に進むことに資する学問であるとわたしは考えている。

ところで、『冬休み子ども科学電話相談』2018年12月29日放送分では「人はなんで生きてるの?どうして結局死んじゃうのに勉強しなきゃいけないの」という質問があった。 「動物」の小菅正夫(こすげまさお)先生は“動物は健康で長生きして自分の子どもをたくさん産むために生きている。動物には迷いがない。何のために生きているのか考えるのは人間しかいなく、そういうことを考える存在こそ人間。わたしたちは死ぬために生きているのではなく、死ぬまでに何ができるかだと思うの。それは人によって違う。おじさん(注:小菅先生のこと)は何のために生きてるのかというと、動物はこんなにすごい、動物とこんなことをしたということをしっかりと伝えたい、そういうことのために生きてると思う。これは死ぬまでやる、おれはこれのために生きてるっていうことをみつけてほしい”と、また、 「科学」の藤田貢崇(ふじたみつたか)先生は“いまあなたがしているのは、昔の人が学んできたことを学び、自分の頭で考えるためのトレーニング。学校の授業だけが勉強ではなく、子ども科学電話相談を聴いて質問しようと思ったり、本を読んだり、考えてますよね。それらすべてが勉強です。世の中のすべてって学ぶことです。そして、人間ってお父さんお母さんがいて、命がリレーしている。次の人に何を伝えるかっていうことだと思います”と大要答えていた。

いまでも記憶に残るやりとりである。

小谷昌子
法学部准教授・民事法学

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために毎年発行しています。

この連載では『学問への誘い 2020』からご紹介していきます。