妖怪が語る近世 ―「ヘマムシヨ入道」を読む―|関口博巨
子どものころの日曜日の夕方、私は水木しげる原作のアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』を欠かさずに観ていた。「ゲッゲッゲゲゲのゲー、朝は寝床でグーグーグー、楽しいな楽しいな、お化けにゃ学校も試験もなんにもない……」というオープニングの歌をききながら、本気でお化けや妖怪を羨ましく思っていた。その名曲は、日曜の終わりと憂鬱な一週間の始まりを知らせる合図のようでもあった。鬼太郎は大好きだけど、この歌をきくと勉強嫌いの私の気分は落ち込んだ。
『ゲゲゲの鬼太郎』は妖怪ブームの先駆けといわれる。だが、妖怪のキャラクター化や娯楽化の起源は、実ははるか昔、江戸時代にさかのぼる。幕藩体制が曲がり角を迎えた18世紀半ば以降、多くの妖怪図鑑類が刊行され、厖大な種類の妖怪キャラクターが創作されていたのである。江戸時代の人たちに親しまれた妖怪のなかには、「ヘマムシヨ入道(にゅうどう)」「文車妖妃(ふぐるまようび)」「山水天狗(やまみずてんぐ)」「百目鬼(どどめき)」など、言葉遊びや文字遊びと関連するものが数多く含まれていた。
山東京伝作の黄表紙『怪談模模夢字彙』(1803)から、「ヘマムシヨ入道」を紹介しておこう。本書は二世蔦屋重三郎が出版した“化物尽くし”で、画工は北尾重政と推定されている。題名の「模模夢字彙」は、関東の妖怪「ももんじい(百々爺)」と『訓蒙図彙』(図入り百科事典の類)をもじったもので、漢字の類別解説書である『字彙』を当てた地口(じぐち。語呂合わせ)ともなっている。
掲出の挿絵は、典型的な「ヘマムシヨ入道(『怪談模模夢字彙』早稲田大学図書館蔵)」の姿である。入道がどこにいるかわかるだろうか?
図中の右手に描かれた雲水(修行僧)風がそれである。「ヘマムシヨ入道」とは、「ヘマムシヨ」の五文字で人の横顔を表し、草書体の「入道」で体の部分を描いた妖怪で、「へのへのもへじ」のような文字遊びがもとになっている。識字率がいちじるしく上昇した江戸時代は、出版が日本史上はじめて商業化され、高度な文字文化が花開いた時代であった。一般大衆の読み書き能力を前提とした遊び心は、「ヘマムシヨ入道」出現の不可欠の条件だったのである。
文字絵に添えられた京伝の詞書には、この妖怪と文字との深いかかわりがつづられている。
寺子屋に住むという「ヘマムシヨ入道」は、子どもたちの手習いの邪魔をして、読み書きできないようにする「恐ろしき化物」であるという。「ヘマムシヨ入道」は手習草紙(習字用の帳面)に姿を現す、文字通りの「無駄書き」にほかならなかった。今も昔も、教科書への落書きは熱心に学んでいないことの証である。手習草紙への「無駄書き」は、人生に必要な社会的スキルに欠ける「無筆」につながる恐るべき兆しであった。読み書きが普及した近世後期は、無筆がそのまま世渡りのうえの不利益につながった。寺子屋の優等生や勤勉に働く姿勢を良しとする価値観が育まれた時代なのである。
『怪談模模夢字彙』が板行される20年以上前、安永10(1781)年に、鳥山石燕(1712~88)による妖怪図鑑『今昔百鬼拾遺』が上梓されている。石燕は「ヘマムシ(ヨ)入道」に「火間虫入道」の漢字を当て、次のような詞書を添えている。
詞書によると、人生とは働くこと、あるいは修行することそのものである。ぐうたらな一生を送った者は、死んでも「ひまむし夜入道」となって現れ、灯の油を舐め、生きた人の夜なべ仕事を邪魔するようになる、というのである。この「火間虫入道」にもまた、“勤勉”という近世を代表する道徳観が潜んでいることがわかる。
「ヘマムシヨ入道」は、文字遊びから発生し、刻苦勉励をすすめる通俗道徳を宿した妖怪だった。そして、「ヘマムシヨ入道」に表象された価値観は、現代の私たちにもなお受け継がれている。告白しよう。小中学生のころの私は、先生ではなく、「ヘマムシヨ入道」のお気に入りだった。授業中の居眠りは当たり前、起きているときはもっぱらノートや教科書に落書きしていた。あの名曲が脳内にこだまする―「ゲッゲッゲゲゲのゲー」。それなのに私は「先生」と呼ばれ、いまもなぜか学校に通いつづけている。学生のみなさん、私が死んで「ヘマムシヨ入道」に化けないよう祈ってください。
『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。
この文章は2020年度版『学問への誘い—大学で何を学ぶか―』の冊子にて掲載したものをNOTE版にて再掲載したものです。