運転中にみる走馬灯
一年前から車をまた運転している。
20年前は年に数回乗る程度だったし
ブレーキとアクセルがどちらかわからなかったし(今はわかります、念のため)
標識は覚え切れていないし
あおり運転のニュースをみては戦々恐々としていたし
公共の乗り物を乗ることにより環境への配慮だってしているつもりでいた。
つまり、
あの手この手で回避してきたのだ。
しかし一年前の引越しが
ライフスタイルの変化を引き起こし
それまで駅前に住まい、
車を必要としなかった我が家に
ついに車がやってくることとなった。
子供達の習い事への送迎…その時間動けるのがわたしだけ…というシチュエーションができあがり
車がある。
私がいる。
子供達が笑顔でドアを開けて乗り込む。
ゴールドに輝く免許証もある。
ようは
まさかこの私が【運転】などというチャレンジにチャレンジしてチャレンジする…などという
覚えられない古典の三段活用のごとく
しどろもどろになる状況に
なったのである。
20年ぶりに。
いや、正確には22年ぶりに。
しばらくは信頼がおけ、かつ
勇気のある人(主に主人)に助手席に乗ってもらい
超近距離街中をただただひた走る。
ホームセンターの屋上でひたすら駐車の練習もした。
車線だって人生で一番変更したんじゃないだろうか。
その練習が実を結び
ついに一人で運転をする日がやってきた。
そしてふと
気がつく。
私はバックミラーを見過ぎじゃないか、と。
バックミラーで何を見ていたか…
後ろを走る運転手の顔色を、である。
今でこそ、そんな余裕があるなら
他に見るべき場所があるだろ!と一喝するところだが
その頃の駆け出しのわたしは
後続運転手のご機嫌を損ねずに走ることに
全力を注いでいたのだ。
自分の運転に自信が持てないから、というだけでなく
それは運転時に限らず
私が普段からしてしまう癖でもある。
近づいてくる人の顔色や機嫌を
読んでしまう。
感じとろうとしてしまう。
そして、少しでも雲行きの怪しい気配を察知すると
自分の立ち位置をググッと下手にとってしまうのだ。変な笑顔で。乾いた笑い声で。
そして自己嫌悪。
そんな癖が、いつのころからか自然と身についていて
客観的に癖を発動しているな、と気が付けるようになったのも割と最近のことだ。
そして日に日に
癖×運転技術の無さ=の方程式は
ただただ事実上の車の傷として残る。
なんなら凹み、歪み…。
車体が日増しに痛々しい姿になるにつれて
ある日、私は
「もう、私は私の運転をするしかないのだ」
と
半ば開き直りのような境地になり
(当たり前なのだが 本人は至極真面目に思うのです)
特攻隊のような私の気持ちも落ち着き、
自分自身を大切にすることが
できるようになった。
運転に些かの自信がついてきたからなのもあるとは思うが
やはり
今の自分を見つめること…
それ以外にもそれ以上にもなれない自分。
自分とやってくしかないし
自分とやっていきたい。
まだ運転はドキドキするけれど。
バックミラーではなく
走り出した景色を楽しみたい!
まだ見ぬ世界へ飛び出したい!
人生でもバックミラーの使い方を
間違えない。