「漫画を読む精神的余暇をもてたので」【10月21日(月)】
どこまでが予定の連載だったのか。
それは『マイホームヒーロー』のことであり、『少年のアビス』のことであり、少し前なら『チ。』のことであり、もっと前なら『DEATH NOTE』のことである。
断じて『鋼の錬金術師』のことではないし、『SLAM DUNK』のことでもなければ、『進撃の巨人』のことでもない。このあたりは概ね異論が無かろう。
おそらく異論があるのは『ちはやふる』であるが、あれは蛇足の展開が最後の一首によって大いなる意味を吹き込まれるという稀有な成功例だと俺は思っている。連載開始当初から予め定められた結論に向かうために50巻という長大な時間を費やしたことに圧倒的な説得力を与えた作者の構成力と百人一首というモンスター古典の偉大さを感じずにはいられないのだ。『ちはやふる』については、エネルギーに満ち溢れているときに、全ネタバレ込みで思いをぶちまけて書きたいものだ。
『マイホームヒーロー』は、終わりだけを評価するなら大絶賛だが、あれを描くためにこの10巻くらいは必要だったのだろうか……出落ちになってもおかしくない設定の中で見事に話を展開させ続けたものだと感心もするが、予想外に売れ過ぎてしまった弊害も感じないではない。『少年のアビス』は、まあ半分ギャグ漫画だから、どういう終わりでもいいんだけれど、ラスボスがなぁ……悪意とか狂気とかは、手段として装置として描くのは効果的なんだけど、オチをつけるのが本当に難しいんだなあ。まあ、意味を見出すと陳腐化するというのは、あの作品を通底するテーマではあるのだろうけれど……
その点で言うと、『FACT』が四巻で締めくくったのはよかったな。『ひゃくえむ』のときと同じ爽やかさで読むことができた。『チ。』がやたら高評価な気がするけれど、魚豊がすごいのは『ひゃくえむ』だよ、やっぱり。
祈るようにして読み続けて、祈りが通じた『潮が舞い子が舞い』には最大限の敬意と感謝を評したい。報われた思いだ。今後も「阿部共実を読んでいる」ということには一定の色が付きまとうだろう。それでももう俺は構わない。『潮が舞い子が舞い』を読んで何も感じない人間の言葉は痛くない(3巻くらいまで読んでさすがにきっつ……となって脱落した人は俺に請求書を送ってもいいから、7、8巻くらいまで頑張って読んでほしい)。そう思えるくらいに青春の残滓が俺の中に残っているのは、(それが多分に幻想的なものの残りカスであるとしても)一つの人生の喜びといえるだろう
『成程』の一作だけで平方イコルスンが俺にとって生涯記憶に残る漫画家となったことは今後も揺るぐことはないのだが、『スペシャル』の3巻以降をどう読むべきなのかはまだ定まっていない。読み返すべきだと感じてはいるのだが、読み返さなければ価値を定めることができないものは、俺にとって本当に価値のあるものといえるのだろうか。
とかく長期連載は難しい。あれほど夢中であった『ダンス・ダンス・ダンスール』も『フラジャイル』も『ブルーピリオド』も、相変わらず面白いのだが、同時に早く終わって安心させてほしくもある。一方で『ボールルームへようこそ』の新刊は一体いつになったら出るのかとやきもきしているのだから我ながら勝手なものだと思う。
それが終わればいよいよ俺は少年であることから卒業できるのだと思うと、『ONE PIECE』には一刻も早く終わってほしい気もするし、一生終わらないでほしい気もしている。『トマトイプーのリコピン』ですら結局は終わっていない世の中だから、そんな心配はまだまだしなくて良いのだろうけれど。