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小豆色のグレタ・トゥーンベリ

夏期・冬期…空調装置で換気しているため窓を閉めて運行します。
端境期…換気のため窓を開けて運行します。


 新型コロナウイルスが流行して我々の常識や行動規範が一変してしまって以降、阪急電車に表示されるようになった案内である。感染予防のための換気の徹底と、SDGs推進のための節電の徹底とを同時に行っていることを表す表示であり、また両陣営の最右翼からの厚顔無な言いがかりを回避するための妙案といえよう。

 ところが気になるのは「端境期」という言葉である。こんな素人の書いた文章を読んで可処分時間を浪費している好事家の諸君は、全人類の中でも一際日本語に対して深い関心を持っているであろうから、この語を「はざかいき」と読むが如きことは自明の理といって差し支えなかろう。しかしながら、世の日本人の一体何割がこの語を読めるというのか、平均的な日本人の語彙力の乏しさについて平均的な日本人よりも遥かに多くの知見を有する俺は愁眉に閉ざされてしまう。

 また、その意味するところについても熟慮を要するように思われる。この表示の意図は、先に述べたように、車内は十分に換気が行き届いており感染対策は万全であるという旨の告知にあろう。とすれば、夏期・冬期・端境期という三つの期間を示すことによって、年間のすべての時期を通して換気は十分であるという阪急電車の主張を読み取るべきである。

 しかるに、「端境期」とは、「新米が古米に代わって市場に出始める時期、すなわち九月、十月の頃」を表すものであり、そこから転じて一般に「季節性のある生産物の取引が切り替わる時」を表すこともある。阪急電車は車内で季節の果物や野菜を取引することはないから、ここでの「端境期」のことは前者、すなわち九月~十月を表していると考えるのが通常である。要するに、阪急電車は日本における一年を夏期と冬期と端境期(九月・十月)に区分して考えているということであり、彼らにとって春期は存在しないということである(我々が一般に春だと認識している三月末~五月初頃は、冬期か夏期のいずれかに該当するのであろう )。

 ところで、「美しい四季」という語句が日本の特徴を指すクリシェとなって久しい。外国人にとっての日本とは、ニンジャ、ゲイシャ、そしてシキであり、日本人の中にも四季という概念は日本固有のものだとまで考えている人が少なくない 。しかしながら、冷静に振り返ってみるとどうだろうか?温暖化が進行し、猛暑日という言葉が日常と化した現代日本に、一体どれほど春や秋と呼べる期間が残っているだろうか?春も秋ももはや一つの季節として厳然と存在しているというよりは、冬から夏へ、夏から冬へと移行していく中での不安定なゆらぎのようなものとしてそのつど現象する、そうしたものに成り下がってしまっているのではないか。外国人の抱くニンジャとゲイシャがもはや幻想であり古典であるのと同様に、美しい四季という概念も現代日本では蜃気楼でしかないのかもしれない。

 このような現況に鑑みれば、件の阪急電車の広告は、現代日本人に警鐘を鳴らすものだと解釈することができよう。すなわち、現代日本には夏期と冬期しか存在しないのだと、それ以外の季節は端境期と呼ぶにふさわしい刹那的な移行期間でしかないのだ。阪急電車はそう言って我々日本人に環境意識を高めることを求めているのである。そうに決まっている。




 ということを去年書いたものだが、最近どの車両を見回しても阪急電車に冒頭の文言は見られない。阪急電車がグレタ化したのもあるいは俺の見た白昼夢であったか。


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