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チョコあ~んぱんを食らうセンター分けの青年と珍説を真顔で披露する初老男性と同じ車両に乗り合わせた話
電車に乗っていると、いろんな人を見る。
だから、車内でチョコあ~んぱんを食べているセンター分けの青年を見かける程度のことはさして大騒ぎするほどの怪奇現象ではないのだろう。
センター分けというのは数多ある男性の洒脱とされる髪型の中でも未来永劫理解できる気のしないイカしたヘアスタイルで、俺が輪廻転生を繰り返してついにセンター分けに出来るくらいのオシャレマスターのさとりを手に入れる頃には、56億7千万年くらいの時が流れてしまって、弥勒菩薩が顕現してこの世を救ってくれているだろう。あるいは弥勒菩薩の髪型こそがセンター分けなのかもしれない。
ともかくセンター分けとは、そのくらいのお洒落上級者でなければ果敢に挑もうとできない、トンチキな髪型なのであって、斜め前に座る青年は俺の56億7千万倍ほど、他者からどう見られるかということに関心を払う人物であるのは間違いない。その彼がチョコあ~んぱんを電車の中で食べているというのだから、かの営みは電車の中で飲食をするのはマナー違反だ、などという古臭い道徳で非難するべきではないのだろう。チョコあ~んぱんは他者の歓心を買うための令和最新版のベストバイなのだ。
さて、目線をふと上にあげると、仕立ての良さそうなスーツに身を包んだ初老の男性が二人立っている。車内は満席ではないにせよ伽藍堂とはおよそ言い難い程度の疎らな空席で、近いところだと俺の隣席かチョコあ~んぱんを食らうセンター分けの青年の隣が空いているものの、初老男性が二人揃って座れるほどのスペースは見当たらない。俺が少し気を利かせてチョコあ~んぱんを食らうセンター分けの青年の隣に席をうつせば、もともと空席の隣と合わせて初老男性二人が座れる空間を確保できるのだが、青年からすれば突然斜め前の男が隣席に移ってくるのは奇妙なことで、チョコあ~んぱんを無心するつもりやもしれぬと警戒されてしまうかもしれない。銘菓メイカーとして名高いブルボンであるが、チョコあ~んぱんはブルボンtearでも下の下であると考えている俺にとって、そんな危惧を青年に与えるのは不本意なことだ。彼の食らうものがルマンドであれば、それを目当てに席を移ったと誤解されてもやむを得ないことだが、チョコあ~んぱんごときでかかる錯誤を惹起するわけにはいかない。
わずかばかりの罪悪感の重みで少しだけうなだれて座っていると、二人の初老男性はチョコあ~んぱんの咀嚼音よりは幾分大きなデシベルの声で会話を始めた。二人はそれほど親しくない仕事の付き合いといった感じで互いの関心を探るようにして世間話をしているらしい。チョコあ~んぱんを食らうセンター分けの青年のような個性溢れる存在が語る内容ならば、俺も熱心に耳を傾けるというものだが、何の変哲もない初老男性二人の会話に神経を張り巡らせるほど俺の心身は健やかではない。特段面白い話が期待できるわけでもなさそうなので、俺はいくばくかの休息を取ろうと徐ろにまぶたで瞳を閉じようとした。
「……で、つまりね、猿田彦というのは天狗でありますが、あれはつまりガネーシャ神なのですな」
いかんな、ほんの一瞬目を閉じただけで浅い眠りについてしまっていたようだ。まさに夢現という塩梅で、初老男性の発言が荒唐無稽に変換されているようだ。猿田彦とガネーシャなんて単語が電車の中で聞こえる一文に同時に登場するわけないだろ……
「ガネーシャというとインドの神様ですね」
「そうです。あのガネーシャに対する信仰が日本に到来して、猿田彦と呼ばれているのです」
「ははあ、ガネーシャは確か象の神様だったと思いますが……」
「そう、だから鼻の長い天狗と結びつくのです」
やんぬるかな、現実のようである。鼻が長いという共通点があるから猿田彦とガネーシャが同一の存在なのであるなどという論理は、俺の乏しい想像力からは決して生み出されることがない。夢と言えども俺が見るものである以上は、もう56億7千万倍くらいは論理的なものでなければなるまい。
初老男性の会話などにかたむけるような耳は持ち合わせていないと書いたばかりだが、珍説を披露する初老男性のそれとなれば話は別だ。
「それでいうと、ハタ氏というのがあるてしょう」
「ハタというのは、秦の始皇帝の秦という字を書く……」
「そうそう、その秦です」
「古代日本の渡来人の氏ですな」
「その秦氏がユダヤ人であるというのはまた有名な話で……」
お!これはなんか聞いたことあるな。日ユ同祖論とかいうやつだ。というか、聞き手の初老男性もなかなか教養があるな。出し抜けに「ハタシ」という音を聞いて「秦氏」と変換できるとは大したものじゃないか。ガネーシャの話は行方不明になってしまったけど、なかなか聞き応えがあるぜ、楽しくなってきたな。なあ、チョコあ~んぱんを食らうセンター分けの青年よ、お前もそう思うだろう?
期待をもって斜め前の席に一瞥をくれると、センター分けの青年はチョコあ~んぱんを既に食べ終えたのか、ハイチュウの最外皮を剥こうとしていた。個包装の銀紙ではない。細長い直方体をまとめているアレである。あの状態からハイチュウを剥いて電車内で食べる成人がこの現世に存在するのか……これが令和最新版だというのか……
「猿田彦でいうと、京都に貴船という場所がありますな」
「ははあ、鞍馬山にある神社ですな。天狗にゆかりのある地ですが……」
「古来、船という語がつく地名はUFOと関係があるとされていましてな」
ゆ、ゆ、ゆ、ユユユ!UFO?UFOて言った?今。猿田彦→ガネーシャ→秦氏→ユダヤ人、ときて、UFO?ゆー、えふ、おーのこと?あんあいでんてぃふぁいどふらいんぐおぶじぇくとのこと?マジ?本当にそのUFO?マジで?ミーかケイのどっちかが貴船出身とかそういう話ではなく?
「ははあ……船がつく地名というと、他に何がありますか、ああ、磐船神社というのが大阪にありますな」
「そうですそうです。天の磐船というのが実はUFOだったということですな」
いやいや、まあ天の磐船は実在を確認できていないから定義上UFOではあるのかもしれないけれど、そういうことじゃないんだろう。こんな真顔で珍説を披露する初老男性を見るのは初めてだから、何かぐっと込み上げるものがあるな。それにしても聞き手の男性の教養がすごい。磐船神社なんて切り返しが咄嗟に出るもんなのか。聞きながら俺はググってしまったぞ、なあ、ハイチュウ最外皮剥き剥きセンター分け青年よ、君もそう思うだろう?
高鳴る胸の鼓動を抑えて斜め前に視線をやると、彼のハイチュウの外皮は剥けに剥けており、もう二粒くらいしか残っていない高さになっていた。
いや、ペースが早すぎるだろ……一度にハイチュウを二粒同時に食べているのか?そんな細身で平成中期のフードファイターみたいなことするなよ……
電車の中でチョコあ~んぱんを食らいハイチュウの外皮を剥くセンター分けの青年の正体が、令和最新版のジャイアント白田であることに口をあ〜んぐり(angryとはさせていない)とさせていると、珍説を真顔で披露する初老男性とその聞き役の令和最新版の池上彰は次の駅で降りて行ってしまった。
電車に乗っていると、いろんな人を見るものだ。
次に彼らを見かけるのは56億7千万年後だろうか。