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Nと画餅と人生と
『息災そうで何よりだ』
およそ公務員らしからぬ大型の体躯に模範的な微笑を浮かべて男は言う。同じ学部・院生活を共にした唯一の友達Nである。
「久しぶりやな。そちらも元気そうでよかった」
『元気そうに見えるか?この私が?人生に希望など何も無いというのに』
「それはNの平常運転やんか。相変わらず元気に絶望してるなら、君は大丈夫やろ」
『これはひどい』
「それにしても、まあ当たり前やけど京都は暑いな。おっさん二人が歩ける気温じゃないぞ」
『然り。せっかくの久しぶりの京都だから、寺社仏閣を巡ってみるのも一興かと思っていたが』
「そもそもこんな夏休み期間の寺社仏閣なんていう外国人観光客かカップルしかおらなそうなところを、俺とNで並んで歩くのが絵面的に厳しいものがあるわな」
『これは手厳しい。では、ひとまず喫茶店にでも避難しようかね』
「君が煙草吸えるように、昔ながらのとこ探しましょか」
Nと俺が知り合ったのは大学三回生の憲法ゼミである。大学に来るのはゼミとテストがある日ぐらいのものでほとんどの同回生から存在を認知されていない俺とは対照的に、Nは極めて実直かつ品行方正な学生で周囲の不真面目な同回生たちからノートをせびられては嫌な顔一つせずコピーを取らせてやるような絵に描いたような善人に見えた。そんな質実剛健の地に足ついたNと怠惰の波に翻弄されるばかりの俺がどうして仲良くなったのかはよく覚えていないし、どうして友達でい続けているのかもよく分かっていない。ただ、彼が煙草を吸っているのを初めて見た瞬間は鮮明に覚えている。
「相変わらずうまそうに吸うねえ」
『体に悪いものは大抵うまいものだよ。死に近づいていくことをきっと体が喜んでいるんだな』
「いやー、Nは長生きすると思うけどね」
『一理ある。悪人ほど世に蔓延るというのは、天地開闢以来の道理であるといえるな』
「いや、善悪なんてものが出来るまでに天地開闢どころか、人類が誕生してから数えてもすげえ時間かかってると思うけど……まいてやNのもつ性質を悪ととらえるような価値観なんて、まだ新生児みたいなもんやと思うぞ」
『この絵に描いた善人をかつては悪とは捉えられなかったと?』
「それが絵だと気づくには相応のリテラシーが醸成されんといかんからねえ」
『やはり俺は生きる時代を間違えてしまったのか……』
Nは実に絶望的な人間である。口を開けばいつも世界と自分に対する呪詛ばかり吐き散らしていて、とても人生を謳歌しているとは言い難い。そのくせ他人に対しては親切かつ親身に対応するものであるから、世間的には真面目で仕事熱心な好青年である。しかも高学歴というおまけつき。婚活市場では非常に優良物件として扱われるに違いないのだが、当の本人は絶望を生業としているのであるから、人生というものの皮肉に髀肉の嘆を覚えざるを得ない。
「そんだけ世を儚んでいるのなら、いっそのこと自堕落な人間になりきってしまえばもっと楽に生きられるだろうにねえ」
『性根が堕落というか腐敗しているからこそだろうな。およそ社会的に義務とされている事くらいは全うし続けないと生きられる気がしないのだ』
「根っからの社畜精神やなあ……じゃあ案外現代社会はNの生存に適した環境なのでは?」
『論理の上ですら逃避場所を無くすのはやめてくれよ』
「勝手に絶望したようでいてその実、極めて社会に適合的な生活を送って、それゆえにさらに絶望を深めるとか……N、そういうのを表すのにぴったりな四字熟語知ってる?」
『百鬼夜行?無間地獄?』
「自己責任」
『蓋し美しき日本語である』
文章にしている以上、ほんの少しばかりの脚色はあるといえ、俺とNはもうかれこれ十年くらい、会えばずっとこういう話ばかりしている。名状しがたい気色悪さであり、互いに結婚の気配もまるで無いままに年齢が2の5乗を迎えるに至った点には納得の二文字しかない。
Nがこうした悲観的な物言いばかりするのは「心を許せる」俺を相手とするときだけらしい。「絵に描いたような善人」ならぬ「絵に描いた善人」というのは、称賛すべき彼の善人性のそこはかとない胡散臭さを揶揄して俺が思いついた冗句であるが、Nはこれをいたく気に入ったらしい。俺のような事実しか言わない人間には想像することしか出来ないことだが、「善い人」を演じている自覚のある人間には、「善い人」だと評価され続けてしまう心苦しさがあるのかもしれない。俺がNの善人性の胡散臭さを論ったことで、Nにとって俺は「誰にも理解されない自分の本質」を曝け出せる格好の相手となったわけだ。無論そこには二重の錯覚が介在している。俺は気の向くままに口からでまかせを言っているだけで「Nの本質」など本当は知る由も無いし、そもそも「自分の本質」などというものはすぐれて幻想的なものでしかない。
『つまり、本来あるべき対象を欠いている、あるいは少なくとも欠いているように見える。したがって意識が【ある】という言い方が出来ない、とそういうことか』
「そうそう。でも、振る舞いとしては、何かしらに対して意識がある人のように思えるから、意識が【高い】という言い方をせざるを得ない。ただし、そこには明瞭な対象が確認できない以上、どうしても揶揄的なニュアンスが強くなり、意識高い系という言葉が出来たってことだ」
『ふうむ。相変わらず、それらしいことを納得させる技術に長けているなあ』
「まあ、そういうお仕事をしているからねえ」
本線がどこにあったかも思い出せないほどに話は脱線していき、いつの間にか「なぜ意識が高いなどという言い方が生じるのか。意識は有るか無いかの二択ではないか」というNの心底どうでもいい疑問に付き合わされていたが、またすぐにNは絶望を語る。いや、騙る。
『結局仕事をしていないと不安に駆られるから、常に仕事をさせてほしいが、さりとて、今している仕事に何らの意義を見出せているわけではない。辛い』
「生き辛いやっちゃなあ」
『否、生き辛いわけではない。端的に、生きるのが辛い』
「めんどくさいおっさんやなあ。あれよな。Nは人生に絶望してるというか、本当のところは絶望しきれてないんよな。なんというか、グダグダ言いながら、人生への期待値が高すぎる」
『むべなるかな。そうだな。俺は真っ暗な洞窟にいるのだ。ただ、完全な暗闇ではなく、高い高い天井に仄かな灯りめいたものが見える。その灯りが決して消えてはくれないから、俺はこんなに苦しいのかもしれない』
「メンヘラかよ。あのさあ、N。その洞窟も、その灯りも、全部お前の幻想やで」
『手厳しい。俺を取り巻くこの現状は全て俺の脳内が創り出したものに過ぎないというわけか』
「そういうことやで。洞窟にいるのも、幽かな灯りに囚われているのも……」
『自己責任、ということか』
「世知辛い世の中やねえ」
Nとの話は終始こういう感じで、俺にとっては正直楽しいものでも何でもない。というより、俺とは根本的に思考の方向性が違っている。にもかかわらず、十年超もの間彼との友人関係が続いているのは、彼が俺のことを大切な友人と思っているからに他ならない。こうした生産性も建設性も無い与太話をするために、Nは帰省のたびに俺と会う時間をわざわざ作ってくる。見た目は無骨なおっさんだが、まこといじらしい心根という他なく、俺の存在意義を承認する。Nは存分に呪詛を吐きつけられる毒壺のようなものとして俺を利用しているのであろうし、俺は自らの承認欲求を満たすためにNを利用している。一方的でありながら結果として互酬関係めいたものが生じているというのは、友情という美しい言葉のもつ生々しくも味わい深い作用だ。
「ところでさあ、N。ずいぶんと進んでいるけど、それ、どんな味すんの?」
Nと話し始めて数時間が経過し、彼の吸う煙草は早くも二箱目に突入している。
『そうだな。基本的には苦味とメンソールの刺激ばかりで、客観的にはうまいといえるものではないはずだな。さしずめ人生のような味、といったところか』
そんなものの依存症になっている男。それが俺の大切な友人Nである。