写真のないグルメレポート①

 行きつけの鮨屋がある。
 それだけで、俺の人生は十分成功だ。

 「鱈の白子です」

 湯がいてポン酢、ではない。初っ端なのに焼き物だ。河豚、鯛、鮟鱇、鮭、白子を食する魚はいろいろあるけれど、とりわけ鱈の白子を最初に食べようと思った者には称賛の拍手を贈りたい。かの勇者のお陰で、俺はこの真っ白い脳みそのようなものを「美味そうだ」と認識できている。

 「しめ鯖です」

 人生で何度食べたか分からない懐かしくも色褪せない風味。季節によって山葵で食ったりポン酢で食ったり炙って食ったり燻製してあったり。どう食べてもうまいんだ、これが。

 「蛸です」

 薄めの味で炊かれた蛸は、噛むほどに旨みと塩気を放出する。

 かれこれ十年以上通っている鮨屋だ。
 今にして思えば、よく20代半ばの若造がカウンター鮨に一人で入れたものだと当時の蛮勇を褒めてやりたくなる。当時はまだこの店も、大将も若くて、もう少しだけお安く手が出せたのも要因だろうか。

 「カワハギです」

 今日は飛ばしてくれるな。四枚程の薄造りの前に、叩いた肝が乗せられて醤油が塗ってある。肝を醤油に溶かして刺身をそこにくぐらせるスタイルも乙なものだが、俺はこちらの方がよい。肝が美味いのは言うまでもないが、程よく寝かせたカワハギの身質をしっかりと味わいたい。
 強烈に旨い。
 早くも今日のピンネタかもしれない。

 「太刀魚です」

 なるほどね。
 太刀魚は口に入れた瞬間に旨さが押し寄せる魚ではない。上品な身が口の中でほろほろと崩れて、あとを追うように確実な旨みが余韻として響き渡る。先のカワハギの強烈な味わいを落ち着かせつつも、俺も高級魚の端くれなのだ、と確かな存在感を誇っている。

 今日はアテも全く外さない。大将のコンディションか、海のコンディションか、はたまた味わう俺のコンディションか、100回近い来訪の中でも五指に入るアタリ日の予感だ。

 「茶碗蒸しです」

 茶碗蒸しには野菜も魚介も一切の具材が入っていない。ただ上質な出汁の旨みを純粋に味わう生地の底に、甘めの梅干しだけが敷かれている。こういう一風変わった料理にも何の説明も与えられない。常連の喜びというものだ。

 三年以内の閉業率が七割とも言われる業界で、10年通いつめられる店のあることの何と幸福なことか。茶碗蒸しの温かさに来し方を思う。

 「握り、いかせてもらいます」

 鮨を載せる盛り台とガリが置かれる。アテとの惜別の瞬間にして鮨との邂逅の始まりである。鮨屋で最もロマンチックな時間だろう。

 「白甘鯛です」

 いきなりクライマックス。甘鯛に種類があることなどつゆも知らなかったのは遠い昔。シロアマは俺の最も好きな魚の一つだ。

 「ようやくいいのが上がってきましてね」

 嬉しそうな大将の呟きをBGMに、光り輝く白身を口に運ぶ。味付けは醤油ではなく塩と柚子。しっかりとした歯ごたえの底から上品な甘さが口内に広がる。鮮度がよい。

 「このくらい良いものだと、寝かす必要がないんで。旨さ的にはあと数日後がピークかなと思うんですけど、桒野さんには今日ので食べてもらえてよかったです」

 阿吽の呼吸だ。俺の好みも言いたいことも見透かされてしまっている。

 「ヨコワです。腹の一番脂のってるとこです」

 ヨコワ?珍しいな。この店では数えるくらいしか食べたことがない。微かな不安がもたげてくるが、口に入れた瞬間、そんなものは雲散霧消する。旨い。育ったマグロとは違う、上品な脂だ。旨い。

 「ケンサキイカです」

 ケンサキかあ。俺はスミイカの方が好きなんだけど、大将は多分ケンサキの方が好きなんだよな。いや、まあこれも美味しいんだけど。

 大将のシャリは、赤酢ベースの酸が結構しっかりしたものである。職人の数だけシャリの数があろうし、そのどれもが正解で、どれも正解ではないのだろう。ただ、俺にとってはこのシャリが永遠のスタンダードである。

 「中トロです。今日は塩釜です」

 マグロも旨いがヨコワもアリだな、などと考えた浅はかな食通気取りを張り手でぶん殴るような強烈な旨み。くそっ!旨い。結局旨いじゃないか!

 「今日ね、マグロもええんですよ」

 俺の悔しさを悟って大将も微笑む。そして、ほとんど仰々しいまでの身振りで次の鮨を目の前に置く。

 「イワシ、です。」

 きたぞ!大将のしたり顔。中トロの後という自信の表れでしかない順番。そして何よりこの美しい肌艶。確定演出だ。今日のピンネタはこれだ。こんなもん食わなくてもわかる。旨いに決まっている。

 美味い。美味すぎる。気づけば5秒ほど目を閉じていた。悶絶のそれである。少しだけ酢を効かせてある。美味すぎる。イワシである。子供の頃から食べてきた、あのイワシである。あのイワシから、臭みというものを全て取り去り、圧倒的な旨みと育ちの良い脂を纏わせ、それでいてあのイワシの味をしっかりと残した、イワシに非ずしてイワシなるもの。イワシ2.0である。

 「結局ね、最後はこういうネタなんですよ。マグロとかノドグロとかそりゃ美味しいんですけどね。こういうイワシとか、鯖とか、アジとか、そういう魚のええやつを見つけたときの喜びってのがね」

 もげそうなくらいに首を縦に振る俺を見て大将も満悦の饒舌だ。今日はもう、これ以上は無いだろう。俺はイワシの鮨を食いに来たのだ。

 「赤貝です」
 「金目鯛です」
 「シマアジです」

 どれもこれも美味い。美味いが、もう今日のピンは出てしまった。キンメもシマアジも抜群の魚だが、そもそも美味い魚なのだから、そりゃ美味しいに決まっている。この美味さの鮨を食べて、感動せずにいられることの何という贅沢、何という喜び。

 「カマスです」

 ……!!!しまった、完全に油断していた。旨い……旨すぎる。カマス?これが?あの?カマス???
 いや、やけに高慢ちきなツラをしたカマスだとは少し思ったんだ。でも、もう無いと思うじゃん。中トロからの至高のイワシでピークに達してからの赤貝、キンメ、シマアジという定番の旨さの畳み掛け。その後のカマス。こんなん、ウニとイクラの前に、さっぱりと口をリセットしてくださいね、のお口直しだと思うじゃん。いやいや、イワシが今日のハイライトでしょ?カマスにそんな期待しないやん。

 「……今日の、メインかもしれないっすね」

 驚愕の表情で見つめる俺に、大将が悪戯な笑みを浮かべる。いやいや、まいった。今日何回ピークがあるんだ。アテのカワハギでクライマックスでもよかったのに、こんなん鮨ジェットコースターやんか。

 「車海老です」
 「ウニです」
 「穴子です」 

 あとはもう覚えていない。賢者タイムだから。イワシはまだいい。もう俺は大将のイワシが美味いのは知りすぎているくらい知っているから。でもカマスはダメだよ。カマスにまで警戒しないといけないなら、もう気を許して食える魚がないじゃん。

 「トロタクと、お味噌汁です。熱いんでお気をつけて」

  トロタクも結局旨いんだよなあ。そりゃ旨いよ。

 「玉です」

 これにて終了。大将の玉は、良い意味で家庭の卵焼きの延長にあって、俺はそれがとても嬉しい。謎の超絶技巧で作られたプリンのような、シフォンケーキのようなものは、なんだかびっくりしてしまう。甘みがあるのは構わないが、ちゃんとしょっぱい玉子焼きで締められる喜びよ。

 一人で食って、おまけに下戸だから、店からするとこれほど不味い客もそうそういないだろう。文字通りの細客、それが俺だ。

 「お忙しいとは思いますが、また年内、あと一回くらいは来てくださいね。桒野さん来てくれないと、仕入れのやる気も上がらないんで」

 もちろん来る。年内にも来るし、なんなら年始にもできるだけすぐに顔を出したい。あまり馴れ馴れしいことを口にするのも失礼だが、青二才の頃から鮨と仕事と人生を教えてくれた兄貴のような存在だ。この先どんなに旨い鮨を食うことがあろうとも、俺の鮨のふるさとはこの店以外にありえない。



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