「試練も終わったので」【9月21日(土)】
そろそろちゃんと書き仕事に時間を充てないと罰があたろいというもの。
そう、試練、もといシレンも一段落着いたのでね。俺の睡眠時間を奪うものが一つ減ったわけ。
兼好法師に「〜に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ」と言われたその年齢に限りなく近づきつつあるというのに、今更ゲームソフトを買うなどというのはいかにも「こどおじ」(子供部屋から出てきただけおじさん)の風があって、しばらくは自重していたものの、ダウンロードコンテンツの充実の報を知って、56億7千万年ぶりにSwitchを起動したっていうわけ。
いや、だって俺って初代シレンどころか初代トルネコから不思議のダンジョンに潜っている生粋の風来人だから、原点回帰を謳うシレン6くらいプレイしたって、弥勒菩薩は人類に愛想をつかさずに救済に来てくれるだろうと目論んだのよ。
そんなふうに考えて二週間ほど前に購入して、寝食を惜しんで不思議のダンジョンに潜っていたのだけれど、人間というのは偉いもんで、もう十年くらい不思議のダンジョンには潜っていなかったのに、身体はダンジョンの潜り方を覚えているもんなんだよな。
自転車の乗り方よりはちゃんと覚えてるよ、
不思議のダンジョンの歩き方。
少々剣盾の強さバランスが変わっていようが、新システムが導入されていようが、かつてダースドラゴンを仲間にしたくらいの中堅不思議のダンジョニストにとっては、縛りもない99階もっと不思議のダンジョンなんて、裸にした赤子のようなもので、打開するのはお茶の子さいさいってわけ。
そうしてめぼしいダンジョンを打開しつくしてやることがなくなったので、そろそろ仕事をしましょう、となった次第だけれど、手慣れでゲームがクリアできてしまうというのはそこはかとなく寂しい。
「1000回遊べるRPG」という触れ込みのこの不思議のダンジョンシリーズを、通算でいうなら10000階はプレイしたけれど、そのよろづの経験で鍛えられた俺の身体は、最新回を30回ほどのプレイで概ね満足いくほどに遊び尽くしてしまった。せっかく身体技術が向上したのであれば、かつては想像も及ばなかったような鬼畜な縛りを化して楽しめばよいのだろうけれど、「死なむこそめやすかるべけれ」と兼好のクソジジイに言われる齢にさしかかった若きロートルの堕落した精神ではそこまでの向上心は見込めない。
精神的に向上心のないものは馬鹿だ
だと?うるせー、単におじさんになったんだよ、若さに陶酔したまま死んだお前にはわかんねえだろうけどな。
まあでも1000回遊べる体力も気概も失ってしまったけれど、10030回目も楽しく遊べたというのは不思議のダンジョンのもつ大いなる魅力ではあるものだ。
おじさんは10月31日までは風来人を名乗るのは中断するけれど、この魅力的なチュンソフトの魂が若い世代にも継承されることを切に願うよ。