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セクシュアルハラスメント

卒論を書きながら、ふとした瞬間にこの事件を思い出した。

21歳のある日を境に、私は指導教官から約8ヶ月おばちゃんと呼ばれ続けた。

始めは聞き間違いかと思った。
何度も大学の相談センターにメールしようとした。
家族にも相談した、けど気にしなさんなと言われた。
自分を責めた。おばちゃんを彷彿させるような行動なのだろうか。私の心が狭いだけなのだろうか。
みんな周りの人もおかしいとは気づいてても声は上げてくれなかった。

そもそもこれは立派なセクシュアルハラスメントなのに、たかがおばちゃんと呼ばれたくらいで騒ぐなんてって思う曖昧なラインで悩みまくった。

8ヶ月たったある日、涙が止まらなくなった。やっと声を上げれ

その後、注意されたのだろう、ちゃんと名前で呼んでくれるようになった。

私はその後も何事も無かったかのように、全て水に流して、その指導教官の元で研究し、やっと卒論までたどり着いた。

私はなんの傷も負っていないように見えてるかもしれない。
この事件以降、私は指導教員たちに気を遣われてるように感じて仕方がない。「この子は、弱い子」とレッテルを貼られて優しく指導されてるのではないかと…いまだに思うし、自分の容姿が美しかったらこんな思いしなかったのではとか元々低い外見に対する自信ももっとなくなった。

この体験で得たことは、潰れて再起不能になる前に声を上げること。じゃないと自分がかわいそう。あと、同情してくれる人間はいても、行動してくれる人間は少ないこと。ハラスメントする人は本当に自覚がないから、宇宙人だと思ったがいいこと。自分が嫌なことは、我慢する必要がないこと。

卒論を書きながら今思うことは、ただ一つ。
耐えて、全て投げださなかったこと、水に流して、その後もその人の関係を切らなかったこと、過去の自分ありがとう。
病む前に声を上げれたのはすごいよ。

けど、この記憶もう捨てたい。
思い出したくない。
私は一生セクハラという言葉を聞くたびにこの思い出を思い出すのだろう。

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