住む場所は選べます
こんにちは。木のいえ設計室くわくわの巻 京子です。
今日も、素晴らしいお天気でしたね。大工さんとの打ち合わせのために通り過ぎた月廻り公園があまりにきれいで、思わず写真を撮るために立ち寄りました。
実は、私は、埼玉から2012年の1月に熊本へ移住してきました。 2010年ごろから、農的な暮らしや、エコビレッジに興味があって、パーマカルチャーデザインコースを受講したり、自分の暮らす場所を探し始めていました。
2011年3月、大きな地震、災害があって、地震がとても苦手な私は、地震の少なそうな場所を探すようになりました。原発もいつ再度爆発するかわからない日々が続いていたこともあって、不安とともに暮らしていました。
夏のある日、阿蘇に移住した友人家族を訪ねて、やってきました。そして、そのエネルギーの素晴らしさに感激し、いつかここに移住したい、と考えるようになりました。熊本がどこにあるのか?阿蘇が活火山ということも知らなかった、生粋の関東人でした。
親戚も、多くの友人たちもいる関東を離れる不安よりも、ここに暮らしたい、という気持ちが強くて、所沢から幾度か車で往復もしました。
2011年の12月、寒い寒い南阿蘇村にやってきて、空き家を見つけて、借りることを決めて、それから移住の準備を始めました。
移住を考えている方は、まずは、賃貸を見つけて、1年住んでみる。四季を通して暮らすことで、その場所のことはなんとなくわかるようになります。友人関係は、腰を据えてじっくり暮らすことになれば、自然とできるので心配はいらないと思います。もちろん、性格に寄るとは思います。孤立して暮らすには、地方は、寂し過ぎる、と私は思ったので、積極的にイベントを主催して、仲間づくりをしたり、そのおかげで9年経った今、多くの友人たちと出会う事ができました。
ところが!2016年の4月、あの地震が来ました。現場を持っていたので一回目の地震の翌日は、被害がなかったか確認をして回りました。ところが二回目の本震がきた後、電気、水道、通信が止まり、阿蘇大橋が落ち、俵山トンネルが崩れ、通行止めになって、移動の手段が全くなくなりました。
直後、何をしたかというと、母がお世話になっていた近隣の介護施設に飛んで行きました。夜中の停電で、きっと職員さんは大変な思いをされていると思ったからです。朝になれば、停電・断水の中、利用者さんたちのお食事は提供しなくてはならない。トイレも洗濯もできない状態で、どれほど大変な数日を過ごされたことかと、頭が下がります。
関東の友人に頼んで、様々な支援物資を送ってもらったり、ようやく通れるようになった道を使って西原方面から支援物資を南阿蘇の施設に、配って走ったりしていました。
私の記憶では、2週間くらい続いたと思うのですが。その間、気持ちは昂っていて、活動する事ができました。
振り返ると、もし、あの大きな災害が関東で起こったら!と考えると少し怖い。
311の後、マーケットやコンビニから食料がなくなり、赤ちゃんを抱えているお母さんが、水を買えずにいるのに、年配の女性が何本もカートに入れて購入している姿をみたりして、本気で怖いと思いました。
阿蘇に移住してから、洪水や噴火や地震がきましたが、どんな時も、近隣に声をかけて、お互いに何かしら支え合う事ができている今を、私はとてもありがたいと思っています。
何より、地震恐怖症の私が、震度6の熊本地震を乗り越えて、ここで暮らしていける大きな理由の一つです。
阿蘇で採れる野菜も水も美味しくて、こちらにきてから10キロほど太ってしまいました。
念願だった庭畑は、一昨年から一緒に耕してくれる友人のおかげで、玉ねぎやニンニク、じゃがいもなどの他に、沢山のものが採れるようになり、願っていた暮らしに近づいてきています。
寒いのはどうしようもありません。火山灰も時には降ってきます。雨や、雷は埼玉に暮らしていた時には経験したことのないほどの凄まじさ。
でも、ここが大好きです。
あと、2ヶ月我慢すれば素晴らしい春がやってきます。
移住してきた他の家族たち半分は、阿蘇から離れているようです。 若い家族が、どんどんやってきてくれないかなあ。こんなに子育てに向いている場所はないと思うので。
南阿蘇に興味がある方には、木のいえ設計室くわくわは家さがしのお手伝いもしています。ご相談ください。