内面化された同性愛嫌悪と自問自答
※私は同性愛者であると同時にグレイセクシャル、グレイロマンティックと言われるマイノリティに属すが、ここではその件は横に置いておいて、「同性愛者である」ことに注目して話す。
「内面化された同性愛嫌悪」
英語だと「Internalized Homophobia」。
要するに、私は自分が異性愛者ではないことが許せない。同性を魅力的だと感じた時、自分に対し酷い嫌悪感を覚える。
でも私はホモフォビアではない。
本当にささやかな貢献だか、当事者になるまえから同性婚のための署名活動に署名したりしていたし、当事者になってからも気持ちに変化はない。同性愛は罪じゃないし、セクシャリティに関わらずみんな幸せになってほしい。同性婚だって大賛成だ。
ただ、自分だけは例外だ。
他のレズビアンの人が恋をしたら応援するのに、自分が同性に恋をすると「気持ち悪い」と吐き捨てる。
同性愛が罪だなんて微塵も思ったことがないのに、自分が当事者になったとたん罪の意識にさいなまれ、夜な夜な告解室のある教会を検索する。(クリスチャンですらないのに)
べつに誰に責められた訳でもないのに自分のセクシャリティを嫌い、メンタルを壊し、最終的に自死まで考えた。
なんでこんな風に自分だけが許せないのか、なぜこの自分の心臓に自分で刃を立てるような愚行をしているのか、悪癖を辞める方法はあるのか。いままで自分で考えて来たことを書いてみる。
あくまで自分語りなので、苦手な人はそっと閉じることをおすすめする。
内面化された同性愛嫌悪の原因
仮説その1
「自己否定をする癖があり、同性愛は自己否定する材料として大変適していた」
私は自己肯定感が低い。自分を大切にするのは得意ではないし、なにか自分に欠点を見つけると、その欠点をやり玉に上げて自己否定する。
「だからお前はやっぱりだめなんだ」とか、色んな言葉が浮かぶようになる。
こんな私にとって、同性に興奮したことは、前代未聞の大スクープだ。一大欠点だ。いままで大きな失敗もしたことなかったし、無難に暮らしてきたからこんないい餌はなかった。だから自己否定が爆発して、制御不能になったのかもしれない。
仮説その2
「私はいわゆる「普通」の人生を目指していたが、それをぶち壊した同性愛というファクターが許せない」
これは私の好きな小説「宝石商リチャード氏の謎鑑定」にでてくる登場人物とまるっきり同じなのだか、目立つのが苦手で安定志向の私の唯一の夢であり目標は「普通」であり続けることだった。
欲をいえば「普通」よりほんの少し上くらいがベストポジションである。
セクシャリティに気づく前はほぼ理想的なポジションにいた。四大卒、ホワイトカラー、すこし大変だけど総合職。一人暮らしに困らない程度の給料と、少ないけれど気の合う友人。恋人は居なかったが30前に婚活やお見合いをすればいい。順風満帆とはまさにこの事だとおもった。
しかしセクシャリティに気づいたら、一気に私の定義する「普通」からはみ出て、私の人生設計がぶち壊しになった。急に宇宙に放り出されたみたいだった。
30までに結婚。子供までは考えていないが、ボーダーラインは35かな、なんて考えていたのに。結婚すらできない。「普通」じゃない人になってしまう。
そんな恐怖から激しい自己嫌悪になったのではないか。
文字にすると、改めて自分が歪んだ考えの持ち主だと痛感する。
ただここで立ち止まっていてもまた自己嫌悪の材料を増やすだけなので、この仮説を元に自分のセクシャリティに対する嫌悪感をどう薄めていくのか考えてみた。
セクシャリティに対する嫌悪感をどう薄めるか
☆自己否定してしまった後は自分を肯定する言葉を考えてみる
☆だれが言い出したかわからない「普通」なんか忘れて新しい人生設計と人生の目標をつくる
☆心のどこかに潜む同性愛=普通じゃないという考えを改める
この3点が必要かな、と思う。
今回自分の考察を文字に改めることで、自分がまだ同性愛=普通じゃないと考えていることに初めて気づいた。たぶんすぐに変えられるようなことではないけれど、気付けた自分をとりあえず誉めることにする。
同じ一歩でも、0から1と、1から2では雲泥の差があるって昔誰か言っていたし。