なぜネット世論は分断されてしまうのか

このところの様々な選挙をテーマにネット世論を見ていると、かなり分断が進んでいるなと感じるようになりました。
例えば、今回の兵庫県知事選においても反齋藤派と齋藤擁護派でネット世論は完全に分断されています。
反齋藤派は今回の出来事を「民主主義は死んだ」と述べ、齋藤擁護派は「民主主義の勝利だ」と述べています。
私が今回気になったのは、ただ残念がっているというだけでなく、お互いにお互いの主張をデマや誹謗中傷と罵りあっている点です。

フィルターバブルやエコーチェンバーという言葉がこれほどまでに広がったのにもかかわらず、お互いにまるで魔物に囚われているかのような偏った認識をしてしまうのはなぜなのでしょうか。
一般人だけでなく、ジャーナリストや数多くの知識人などがここまで分断されてしまうのはなぜなのでしょうか。

齋藤知事の是非に関する私の見解については別の記事で述べるとして、本記事ではなぜこのような認識の齟齬が起きているのかについて考えた私なりの結論である「エコーチェンバーやフィルターバブルは偏った意見だけ見てしまうのではなく、対立する主張をゆがめてしまう」についてまとめてみようと思います。
大事なことは「公平な視点だと勘違いさせられてしまう」ということではないでしょうか。

 

フィルターバブルやエコーチェンバーはざっくり言うと、アルゴリズムなどによって自身に都合の良い情報が一方的に流れてくることだと理解されます。
この言葉自体は近年盛んに報じられ、インターネットに触れる多くの人が知るところとなりました。
従って「自分に都合の良い意見ばかりではなく、相手の意見も聞かないといけないね」というのは多くの人、少なくともある程度の知識と判断力がある人々にとって常識になっているだろうことは想像に難くないです。

ではなぜこのような分断はいまだに維持されているのでしょうか。
維持されるどころか、もっとひどいことになっているとさえ感じられる原因はなんなのでしょうか。

私がたどり着いた結論は、「公平であると錯覚させられている」ということです。

公平を期すために人々が行うことは「対立相手の意見も聞いてみる」ということでしょう。
例えば今回の兵庫県知事選でいえば、自分が反齋藤派であれば、齋藤擁護派の意見を調べてみるということをするわけです。
その際にたどり着いた主張を聞いてみて、是非を総合的に判断すればどちらの意見も聞いた公平なジャッジということになります。

実はここに落とし穴があるのだと思います。

たどりついた相手の主張、それは本当に対立軸の主張でしょうか。
対立軸の主張の中でも相当偏ったものである可能性が大きいと私は感じています。
ネット上には様々な意見が玉石混交の状態で存在することは周知の事実ですが、対立軸の主張についてもそれは同義です。
対立軸の意見の中には、事実に基づいたものから眉唾の噂程度の話、完全なデマや誹謗中傷まで様々です。
その中のデマや誹謗中傷を選んでしまっているのではないでしょうか。

例えば今回の兵庫県知事選でいえば、齋藤擁護派の意見として「既得権益による齋藤下ろし」や「港湾利権」は証拠のない陰謀論(動機の推察として考えうる案ではあるが証拠はない)と分類されるものですし「元局長が10人と不倫関係だった」というのも証拠はありません。
分かっているのは不倫日記ということまでですし、これも片山元副知事が言っただけで真実は分かりません。
立花氏の言説は裏どりが不十分なもの、その場のノリで言った結果訂正されたものもあり、デマと言われても仕方ないものも混ざっています。
齋藤擁護派の中でも冷静な方々はこのあたりの情報については眉唾ということを認識したうえで話しているだけですが、一部の熱狂的な方々が声高にこれらの情報を叫んでしまい、それが対立陣営に伝わってしまいます。
そして大事なことは、反齋藤派はこれらの真偽不明のものを見つけて「齋藤擁護派はこんなものを信じている」と考えているわけです。

つまりフィルターバブルやエコーチェンバーによって、対立軸の意見を拾おうとした際に、過激すぎる対立軸の意見を無意識のままに拾っているということが起こっているのではないでしょうか。
これは当たり前といえば当たり前で、エコーチェンバーの中では基本的に対立相手を否定したいわけですから、否定しやすい情報が出回ってしまうわけです。
その否定しやすい情報を相手のすべてと思い込んでしまうと、これはもう抜け出せません。
というよりも、自分目線では対立軸の意見をちゃんと確認した公平なジャッジなわけで、よりたちが悪いです。
「ちゃんと対立軸の意見も見てみたけどやっぱりダメだった。あんなの信じるなんてバカだよ」と一度思ってしまえば、そこからはそうそう戻ってこられないでしょう。

このような間違った認識をしないためには、冷静に対立相手の輪の中で行われている議論を様々チェックし、どのような論理でその意見が出されているのか、陣営の中でどの程度重要だと思われているのかを読み解かなくてはいけません。
陣営の中にも過激派から冷静派まで様々な人々が意見を発信していますのでそのあたりの事情も汲む必要があります。
果たして自分の中で間違っていると考える対立軸に対して、そこまで落ち着いて情報収集ができるでしょうか?
私はなかなか難しいと思います。

近年より深まるネット世論の対立について、その理由を考えてみました。
ただでさえ情報収集が難しいこの時代、どのようにすれば偏りすぎないかというのは本当に難しいなぁと今回の一件を通して改めて考えさせられました。

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