ビートルズ側近マルの本③
【スピリチュアル・ビートルズ】キャバーンのドアマンやビートルズの何でも手伝い屋を始めたマル・エバンス。その彼の懐具合が一気に好転することが起こった。ブライアン・エプスタインが彼のレコード会社NEMSの用心棒として雇ってくれたのだ。
ある日のこと。マルは、髭をそっておらず、デニムのシャツを肩にかけて、ガムを噛んでいるポールが立っているのを見かけた。
マルはポールに声をかけて、その日一緒に過ごすことになった。二人は自動車展示場の前で立ち止まった。ポールが言った。「いつか俺はああいう車を持つんだ」。そう言うと並んでいたセダン・タイプの車を指さした。
ある日、ショーが終わるとマルは妻のリリィをビートルズのメンバーに紹介した。ポール以外は初対面だった。マルは「俺とリリィはフィッシュ・アンド・チップスを買ってみんなで食べた」と書いた。
リリィは皆と知り合いになることが出来て喜んでいた。いつもライブの後、ジョージがマルの家にやって来てベーコン&エッグを食べて行った。
またある時にリリィはジョージの髪をいじってあげた。「ほら、髪を後ろにやるとこうなるよ。私はこのほうが好きだわ」と言うと、ジョージは髪を戻して「こうしないとね。ビートルズカットなんだ」。
マルより前からビートルズの何でも係をやっていたニール・アスピナールは1941年10月生まれだった。
ニールが12歳だった1950年、彼はポールと同じリバプール・インスティチュート(LIPA)の英語・アートクラスに通っていた。
同じ頃、ニールはジョージとも出会う。LIPAにあった防空壕でニールとジョージは煙草をくゆらせたという。さらにリバプール・カレッジ・オブ・アートの学生だったジョンともお近づきになるのである。
ニールはビートルズをバンで送り迎えする仕事について、一回のギグにつき5シリングを要求していた。
のちにブライアンがマルに正式にローディの仕事をオファーした。マルは週25ポンドを要求した。新たな仕事によってマルは年収で1300ポンド(現在の価値で2万2152ポンド)を手にすることになる。当時の英国人の平均手取り年収は824ポンドだった。
ローディの仕事を手にしたのは幸運だった。ニールは一人で仕事をするのは無理だと感じて相棒を求めていた。マルはビートルズだけでなくゲーリー&ペースメーカーズの手伝いもしていた。
そのことを知ったニールはマルに目をつけた。しかし、最初の候補がいた。ブライアンの助手トニー・ブラムウェルだったが、彼は運転免許証を持っていなかったので却下されたのである。
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