ジョンvs.トッド・ラングレン
ジョン・レノンと、マルチな才能で知られる米アーティスト、トッド・ラングレンが70年代半ばに繰り広げた論争をご存じだろうか。
音楽誌上でのことだったが、ラングレンがジョンの「革命家」としての資質に疑問を呈して非難すると、それに対してジョンが公開書簡で反論するというやりとりがあったのだ。
また、ジョンを1980年12月にニューヨークの自宅前で暗殺したマーク・チャップマンは大のラングレンファンだった。崇拝していた。
ジョンとラングレンとの論争は暗殺者に影響を与えたのだろうか。ラングレンはそのことをどう考えているのだろう。
後年、リンゴ・スターのオール・スター・バンドに参加したこともあったラングレン。もともとはビートルズのファンで、音楽的にも多大な影響を受けたことが知られるラングレン。
ジョンとヨーコは70年代に入ってベトナム戦争が激化し反戦運動が高まりをみせる情勢のなか、二人は平和を歌い、そして自らも反戦活動に加わり、さらには人種差別反対や女性の権利擁護の活動に参加する。
こうした活動に異議を唱えたのがラングレンだった。74年のことだ。
「ジョン・レノンは革命家ではない。彼は革命を叫んで、馬鹿みたいにふるまっているが、人はそれを見て不愉快に思うだけだ」とラングレンは「メロディ・メーカー」誌に語った。
「彼はただ目立ちたいだけ」
「彼は革命を利用して注目を集めるだろう」
ロサンゼルスのロックバー「「トラバドール」でウェイトレスを殴ったりして、それはいったいどういう革命なんだい?」
これに対し、ジョンは「ソッド・ラントルスタントル」宛てにオープンレター(公開書簡)ならぬ「オープンレタス」を書いた。
ソッド(sod)とは「糞・畜生・おかま」の意味だと、レイ・コールマン著「ジョン・レノン」の訳者・岡山徹氏は説明している。
その書簡の出だしでジョンは、ラングレンの作品「アイ・ソー・ザ・ライト」はメロディー的にビートルズの「ゼアズ・ア・プレイス」に似ているという「ジャブ」を繰り出した。
それに続けて「ぼくは革命家であると言った覚えはない。しかし、自分の好きなことを何でも歌っていいはずだ」
「ぼくはトラバドールのウェイトレスを殴っちゃいない。ただバカをやっただけだ。飲み過ぎていたのだよ」
「きっとぼくたちはみんな目立ちたがろうとしているんだ。ロッド(Rodd)。ぼくが「革命」なんか使用せずとも目立つ方法を知らないとでも本気で思っているのかい?」など一つ一つ反論した。
後年、ラングレンはこの論争について、ジョンの言行不一致が許せなかったのだと語った。
例えば、ジョンは当時ヨーコと別居中、ロサンゼルスでハリー・ニルソンといった仲間たちと毎晩のように酒を浴びるように飲み、乱痴気騒ぎを繰り返していた。いわば「失われた週末」のピークだった。
トラバドールでウェイトレスと口論になって暴れたのもその頃の話で、ジョンはその時額にタンポンを張り付けてわざと野卑に振舞っていたが、あまりのことで店を追い出されてしまった。
ラングレンは「その時分のぼくの意見だけど、もしあなたが人々を勇気づけて一緒に世界を変えようとするのならば、まずある程度の個人的な信頼がなければならない」と話していた(2016年10月18日付「クラシック・ロック」)。
「もしあなたが堕落し始め、表面でフェミニストを気取りながら女性を虐待するのならば、そのままでいくのか、それとも革命家の看板を下ろして品行方正にするのか、どちらかを選ぶ時なのだ。だから(ジョンとの間で)衝突が始まったのだ」。
興味深いのは、ジョンを射殺したチャップマンがラングレン・フリークだったことだ。チャップマンは、ラングレンのキャリアのほぼ最初からのファンで「真の音楽的天才」と崇めていた(ジャック・ジョーンズ著「ジョン・レノンを殺した男」リブロポート)。
根本原理を厳格に守るキリスト教の価値観へのジョンの冒涜に対する潜在意識的なはけ口をラングレンがチャップマンに与えてくれたのだという。
そしてチャップマンはジョンを殺す前に滞在していたホテルの部屋のドレッサーの上に「準備」としてパスポート、聖書などを半円状にレイアウトして並べて置いたが、その中にラングレンの音楽を録音した8トラックのテープもあったという。
ラングレンはいう、チャップマン「と接触したことはない。僕は信じている、ぼくとジョンとの間の小競り合いがチャップマンに影響を与えたという証拠はないって」。
ラングレンと他のビートルズたちとの関りと言えば、ポール・マッカートニーとは会ったことはあるが、「とても気難しい人だった」。
ジョージ・ハリスンとは、彼が手がけていたバッドフィンガーの『ストレート・アップ』のプロデュースをラングレンが引き継いだのだが、彼とはほんのわずか会っただけだという。
一番親しんだのはリンゴだった。ラングレンはリンゴに声をかけられたことから、オール・スター・バンドに参加。92年の第二期、99年の第五期、2012~13年の第十三期とコンスタントに加わり、「バング・ザ・ドラム・オール・デイ」、「ブラック・マリア」、「アイ・ソー・ザ・ライト」といった代表曲を歌った。
ジョンへのわだかまりもないのだろう。オール・スター・バンドのコンサートではジョンの代表的メッセージソング「平和を我等を」を他のメンバーと一緒に演奏し歌ったくらいだからだ。