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洋楽あれこれ:雨に微笑みを

 「カレンダー・ガール」「おお!キャロル」「すてきな16才」「悲しき慕情」「かわいいあの娘」「間抜けなキューピッド」「悲しきクラウン」「小さい悪魔」「恋の片道切符」・・・
 1950年代末から60年代半ばまで米ヒットチャートを席巻した感があったシンガーソングライターのニール・セダカ。
 しかし、その後、ビートルズらによる、いわゆるブリティッシュ・インベージョンのあおりも受けて、不遇をかこつことになる。
 ニールは英国に行けばレコード制作の仕事にいい刺激になると考えて、家族とともに大西洋を渡った。そこでマネージャーのハーベイ・リストバーグのアドバイスで、のちの10CCのメンバーらとレコーディングに励んだ。
 その結果出来たのが『ソリテアー(Solitare)』で英国では評判になる。もう一枚、10CCとタッグを組んで作ったのが『ピース・アンド・ラブ(The tra-la days are over)』だったが、米国では発売すらされなかった。
 これに怒ったニールは次のアルバムをロサンゼルスで録音することにした。一流のミュージシャンを揃えてレコーディングされた意欲作だったが、米国のレコード会社に見向きもされなかった。
 このアルバムの中の一曲が「雨に微笑みを(Laughter in the rain)」で、この曲は74年に英国のヒットチャートを15位まで上昇した。
 ニールと妻レーバはロンドンで祝賀パーティを開いた。出席者にはエルトン・ジョンもおり、ニールはエルトンのロケット・レコードと契約させてくれないかと頼んだ。答えはイエス。そしてニールが10CCと制作した2枚のアルバムを編集してアメリカでアルバムを出すことにした。

戻ってきたニール・セダカ
 タイトルも「セダカズ・バック(Sedaka is back)」--そう、セダカは戻ってきた、復活劇の始まりだった。
 米国での復活をかけた第一弾シングルは「雨に微笑みを」で、発売と同時にヒットチャートを駆け上がり、75年2月に首位を獲得した。ニールにとっては「悲しき慕情」以来13年ぶりの全米1位の曲となった。
 作詞者のフィル・コディによれば、何時間もアイデアが浮かばなかったあと、突如5分くらいで書き上げてしまったという。
 同年、エルトンがバックボーカルで参加した「バッド・ブラッド」もヒットする。また、カーペンターズが取り上げた「ソリテアー」も人気を博した。さらにA&Mでファーストアルバムを制作中のキャプテン&テニールも『セダカズ・バック』に収録されている「愛ある限り(Love will keep us together)」を気に入ってカバーし、4週間連続全米1位に輝いた。そしてこの曲は翌76年にグラミー賞を受賞した。
 85年、ニールは日本の人気テレビアニメ「機動戦士Zガンダム」の主題歌として「水の星へ愛をこめて」という楽曲を提供し、話題となった。森口博子が歌い、ガンダムソングの中でもとりわけ人気がある作品となっている。

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