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国立二小桜応援:李政美ライブ

 東京の西部に位置する国立市。そこの国立第二小学校(二小)は校舎を建て替えるために約100本の桜などを伐採する計画だった。
 しかし、子どもたちから声が上がった。「嫌だ。桜の木を残して」と。
 そうした声を聞いた親たちが何とかならないかとプロジェクトを立ち上げた。市の教育委員会と協定書を交わし、2023年の5月に、全国から造園家が集まって、伐採予定だった約40本の樹木を仮移植した。当初、解体業者が樹木を「始末」するはずだったところをだ。
 しかし、里親を探して一時移植させている樹木を落ち着かせるためなどにはまだ費用がかかる。これまで保護者らが負担してきた費用だが、今は広く支援を求めている。当面の目標額は400万円。
 その一環として2024年4月5日(金)、「二小の桜応援!チャリティ―コンサート~李政美さんと共に~」が「くにたち市民芸術小ホール」(東京都国立市富士見台2-48-1)にて開かれた。

 オープニングは、岩井としえさんと二小の生徒4人と大人2人による「30年後のおはなし」。大きな桜の木があって子どもたちに大人気だった。というのもその木は子どもたちと話が出来るからだった。
 その木は切られてチップにされるところだった。続いていく。
 岩井さんがあらすじを語り、生徒たちと大人2人が寸劇を披露した。
 「木を切るのは人間を切るみたいなんだな」
 「校舎の改築とコロナ禍のなか、生きていてくれた木が残ったら子どもたちの希望になると思って残そうとしたんだよ」。


 ここで主催者挨拶となった。
 「去年の5月、急に話が出てきたが、今も校舎の隅に(木々は)生きています。新しい移植先を探しているところです。頑張って、100本切られるはずだったのを、残しています」。
 そして映像で「二小の桜救出 これまでのあゆみ」を振り返った。

 


 見終わると前田せつ子さんが解説した。前田さんは「~つづく つながる~くにたちみらいの杜プロジェクト」事務局長だ。
 「最初、造園業者ではなく解体業者によって切られるはずでした。奇跡的に木々は救済されました。今、木々は命をつなぎながら里親のもとに旅立ち始めています。傷を負った木々をもう二度と傷つけられないようにと祈って、教育委員会と交渉を続けています」。
「最後の一本まで命をつないで根付きますように。樹木も人もすべての命が大事にされる社会になりますように」。

 そして応援トークへと移った。
 最初は恵泉女学園名誉教授の澤渡早苗さんが国立との関りについて話した後、有機農業に携わってきて「人間も自然の一部だということで研究をしてきた。命あるものは最後は亡くなるが、人間の都合で絶やしてしまうことはあってはなりません・・・いろいろな命を大切にする社会になるように種を撒いていけたらいいと思います」。


 続いて梨の木舎の羽田ゆみ子さんの話と、桜の里親になっている長野県佐久穂町の大日向小学校と同じく里親の埼玉県秩父市のMahara稲穂山からのビデオメッセージが上映された。
 ここで国立育ちの小林碧葉(あおば)さんのピアノ演奏。


 まずはドビュッシー。続けて松任谷由実の「春よ、来い」。
 最後に国立第二小学校校歌で生徒たちなどが声を合わせた。


 ここで第一部が終了した。
 第二部は李政美(い・ぢょんみ)さんによるチャリティコンサート。
 一曲目は「つぼみ」という歌ーー「はなはさき はなはちる」。
 「この詩は永六輔さんから、亡くなる3、4か月前に頂いたのです」と李さんは話した。李さんは韓国の済州島から帰ったばかりだという。
 済州島は李さんの両親の出身地だが、今回、李さんは1948年4月3日前後に起こった「4.3事件」の慰霊式に出席してきた。
 実に島民の四分の一がこの事件で虐殺されたという。
 済州島では桜が満開だったという。韓国の本土に日本が植民地時代にソメイヨシノの苗を持ち込んで植えた。そのソメイヨシノの木々が約100年経ち老木化したので、違う種類の桜に植え替えられているところだという。
 そして李さんは国立音楽大学で学んだことを話した。さらに出身の葛飾のことに触れて述べた。「自分のことを否定して、自分の親を否定して、どこか西へ行くことで変われるんじゃないかと思ったんです」。
 李さんの地元を走る京成線を歌ったずばり「京成線」という歌を歌った。

『李政美LIVE201』』


 「私はおてんばな女の子だったのが、中学生になると暗い女の子になっていました。自分の中に閉じこもって。すごく辛い時期があって、そんな自分を励まそうとしました」と話して歌ったのは「ありのままの私」。
 次は大正時代に活躍した童謡詩人・金子みすゞの作品から取った「私と小鳥と鈴と」などを歌った。手話でも歌詞が会場に向けて「話された」。
 今度は与謝野晶子をモチーフにした「君死にたまふことなかれ」。これは晶子が日露戦争に出征した弟の無事の生還を祈って詠んだ詩だった。
 そして、途中のお囃子の部分などを太鼓演奏した「ひでり」。その後はアンコールの代わりだといって「つながる命」で締めくくった。
 李さんの透き通った、かつ力強い歌声が堪能できた。
 最後に閉会挨拶があった。
 「桜が満開になろうかとしていて、まさに桜とつながっているんだなと心から実感しています」。
 移植する桜など樹木の里親探しを続けなければいけないがだいぶ費用が掛かると話し、これまでも保護者らが負担してきて、今回のチャリティコンサートの収益もすべてが当てられると説明された。
 そのうえでさらに多くの方々から支援を求めた。


 


 

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