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映画「あらかわ」上映会
2025年2月20日(木)、荒川上流にある滝沢ダムでの23年にもわたる争議を中心に、水問題、環境問題を含む川と人の暮らしを見つめていく長編ドキュメンタリー「あらかわ」(1993年/80分/萩原吉弘監督/配給:シグロ)の上映会が東京・武蔵小金井の宮地楽器ホールであった。
主催は「小金井水の連絡会」。
プロデューサーの矢間秀次郎氏から挨拶があった。
自らの戦争体験を語った後、「水は澱んではいけません。多くの問題を孕んだ構造物ー鉄とセメントを効率的に捨てるのために行うのがダムなどの公共事業なのです。先の大戦は鉄とセメントの売り場を作るための戦争だった」と矢間氏は強調した。
矢間氏は地元の野川を清流に戻す市民運動からスタートした「千曲川・信濃川復権の会」の事務局長を務めている。
映画「あらかわ」は荒川上流にある滝沢ダムの23年にもわたる反対同盟会の抵抗をめぐる地域闘争を中心に描かれている作品。
上映後、製作者である山上徹二郎シグロ社長そして小金井水の連絡会の山内美穂氏からそれぞれトークがあった。
山上監督によると、矢間氏から川で映画を作って見ないかといわれて始めた企画で、最初から荒川を取り上げようと思ったのではなく、萩原監督と一緒に日本の河川をいろいろと見て回ったという。
「最初、自分の故郷熊本の球磨川をテーマにしようかと思いましたが、結果的に自分たちが暮らしている東京、その東京と直接つながっている川の映画を撮るべきではないかという結論になりました」。
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山上監督は高校を自主退学した後、公害問題に関心を持つ中で映画製作の話と出会い、32歳の時にシグロという会社を設立し、そのわずか5年後に映画「あらかわ」を作ったのだという。
その映画で監督を務めた萩原氏はもうこの世にいない。
山上監督の話は萩原氏の思い出話となった。
「その後、ぼくは仕事で一緒になることはありませんでした。2012年、彼(萩原氏)は60代で亡くなります。彼は非常に繊細な人で、家庭問題もあって一時アルコール依存症にもなり、大変な人生だったのでしょう、結局自死してしまいます」と山上監督は話す。
「もし彼が生きていれば72歳になっている・・・冷静にこの映画を語るとなると思いつくことが少なくなりますね」。
そしてシグロの活動について、ドキュメンタリーを80本、劇映画を30本弱作ってきて、今年は4本同時並行で制作中だという。
そのうちの一本が「森に聞く」という作品になる予定だと話した。
「36年前、この映画「あらかわ」で提起した問題はまだ何ら解決していません。今この映画を観て頂く価値があるとしたら、この映画のテーマそれ自体が解決していないという皮肉だと思います」。
続いて小金井水の連絡会より山内氏が挨拶に立った。
山内氏によると、同フォーラムはPFAS(有機フッ素化合物)の問題が浮上してきた時に市民有志が集まって出来たという。
PFASの代表的物質であるPFOSやPFOAは発がん性などのリスクが指摘されており、それらが混入した水道水などを飲むと健康被害をもたらす可能性があるため、現在全国で問題化、血液検査を行う動きが広がっている。
小金井など多摩地域では大きな汚染源として米軍横田基地が挙げられ、そこでPFASが消泡剤として使われたことがある。
PFAS汚染の実証実験を地元で
映画「あらかわ」で扱ったのは「ダムの問題ですが、小金井で今問題になっている都市計画道路計画も環境問題であり、その視点を忘れてしまうと未来に残さなければならないもの(良好な環境)がどれだけ大切なことなのかという共通事項があるなと思いました」と山内氏。
PFAS汚染については2020年頃から報道され、同フォーラムは2022年に発足した。山内氏自身は昨年までネットメディアに所属していて、PFAS汚染についてもこれまでに取材してきた。
「私には夫と息子がいて、血液検査をしてみると、夫は米国ガイダンス値を超えており、息子の値は私より高かったんです・・・市民でも米ガイダンス値を上回る人が多かった」という。
自らの問題でもあるという意識から活動を展開していった山内氏らのグループだが、一つの成果として農工大と民間とでPFAS汚染の実証実験を小金井で行えないかという話が出てきているという。
そして2つ実証実験を行うことになったと山内氏は話した。