映画「セッションマン」
セッション・ミュージシャンとしては知られていたがその素顔は謎のピアニストのドキュメンタリー映画「セッションマン:ニッキー・ホプキンス ローリング・ストーンズに愛された男」(「The Session Man」/2023年/イギリス/90分)が2024年9月6日(金)から日本でも池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺などをはじめ全国で上映される。
この日は奇しくも彼の命日(94年)だ。
ニッキーは1944年、ロンドンに生まれた。ブルース・ミュージシャン、シリル・デイヴィスのバンドで頭角を現し、60年代半ばにはセッション・ピアニストとしてキンクス、ザ・フー、ローリング・ストーンズらのレコーディングに参加(日経BP社「ザ・ビートルズ人物大事典」)。
ストーンズとは60年代から主要アルバムのレコーディングに加わってきた。『サタニック・マジェスティーズ』(67)『ベガーズ・バンケット』(68)『レット・イット・ブリード』(69)『スティッキー・フィンガーズ』(71)『メイン・ストリートのならず者』(72)などに参加。
68年にはビートルズのレコーディングに参加して「レボリューション」(68)のエレクトリック・ピアノを弾いた。
ジョン・レノンの『イマジン』に参加
これが縁で、ビートルズ解散後にはジョン・レノンの『イマジン』(71)で共演。ニッキーはいう「ぼくは「イマジン」のオケ(のアウトテイク)でエレクトリック・ピアノを弾いた。「ジェラス・ガイ」でメインのピアノを弾いているのもぼくだ。「クリップルド・インサイド」と「オー・ヨーコ」と「兵隊にはなりたくない」にも参加した」(ジョン・レノン「イマジン:アルティメイト・コレクション」のライナーノーツ)。
また、ポール・マッカートニーの『フラワーズ・イン・ザ・ダート』(89)、ジョージ・ハリスンの『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(73)『ダーク・ホース』(74)『ジョージ・ハリスン帝国』(75)、リンゴ・スターの『リンゴ』(73)などのアルバムにも加わった。
50歳で亡くなるまでに携わったアルバムは250枚以上といわれる。また膨大な数のシングル・リリースにも貢献した。
自身も10枚以上のスタジオアルバムを残している。中でも一番知られているのは『夢みる人(The Tin Man was a Dreamer)』(73)だろう。
ビートルズのアップルスタジオで、ジョージの前述アルバムとローリング・ストーンズの『山羊の頭スープ』のレコーディングの合間に制作された。ジョージ、クラウス・フォアマン、ボビー・キーズらが参加。
平凡な楽曲が特別なものに
多くのミュージシャンがニッキーはロックンロール、ブギウギ、ブルースとさまざまなスタイルを弾けて、彼が手を加えると曲の幅が広がり、平凡な楽曲が特別なものになると証言する。
映画の中では、ニッキーの才能を高く評価する音楽プロデューサー、共に活躍してきたミュージシャンたちが彼の才能豊かな音楽性を語る。
出演は:ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ビル・ワイマン、ピーター・フランプトン、ピート・タウンゼント、デイヴ・デイヴィス、ニルス・ロフグレンら。アーカイブ映像では:ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、アート・ガーファンクルも証言している。
ニッキー自身のインタビュー、コンサートや録音スタジオでの演奏風景、参加したバンドやミュージシャンとの写真など、ロック史を辿る貴重な資料もこの映画には多数収録されている。
闘病生活を送りながら
1963年、ニッキーは病院に緊急搬送され、クローン病と診断される。原因不明の炎症性疾患である。闘病生活を送りながらも、30年以上にわたるロック人生において数々のミュージシャンたちと共演し愛された「最高のセッション・マン」の物語を、彼を知る仲間たちが語る。
監督・脚本・制作はマイケル・トゥーリン。制作総指揮はフランク・トルチア。共同プロデューサーはマイク・シャーマンとジョン・ウッド。撮影監督はルーク・パーマー。ナレーターはボブ・ハリス。
字幕監修はピーター・バラカンと朝日順子の両氏。