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映画「ジョン失われた週末」

 【スピリチュアル・ビートルズ】1973年から75年にかけての18か月、ジョン・レノンはオノ・ヨーコと別居して主にロサンゼルスで中国系アメリカ人のメイ・パンと暮らした。いわゆる「失われた週末」である。
 その期間にフォーカスした映画「ジョン・レノン 失われた週末」を2024年5月11日(土)にアップリンク吉祥寺で観た。
 いいドキュメンタリー映画だと思った。

 そして、こんなことを思ってしまった。
 ヨーコと一緒にいる時のジョンは幸せだったのか?
 メイと一緒にいる時のジョンは幸せだったのか?
 どちらがより幸せだったのだろうか?
 どっちのジョンがより自分に正直だったのだろうか?
 どっちのジョンが自分に嘘をつくことが少なかったのだろうか?


 この映画はメイ・パンが主役でもある。
 メイはジョンとヨーコの個人秘書をしていたが、ニクソン政権の目の敵にされてストレスフルとなってやんちゃを繰り返すジョンに手を焼いたヨーコが「愛人」として指名した女性がメイだった。
 もちろんのこと、メイは最初は戸惑った。しかし、ジョンの熱烈なアプローチもあって二人は深い仲になっていく。
 映画はメイの著作「Loving John」(1983)にも基づいている。

May Pang and Henry Edwards「Loving Joh The Untold Story」

 これは一つの歴史の見直しでもある。
 そう、今までのビートルズ後のジョン、あるいはジョンとヨーコが出合ってからのジョンの歴史はジョン亡きあとは特にヨーコの目線を通して語られることが多かったと思う。
 失われた週末。ヨーコにとって「失われていた週末」かもしれないが、メイにとっては「失われていなかった」。
 ジョンはヨーコを一時的にせよ失っていたが、すべてを失っていたわけではなかった。メイがいて、多くの仲間たちがいた。
 そう、これは一種の「ヨーコ史観」からの脱却である。
 ヨーコの年齢を考えると終活に入っていることがそれを可能にした。
 もちろん、ヨーコとメイの見方の両論併記という手もあるだろうが、それが必ずしもいいわけではないのだろう。
 確かに、それぞれにそれぞれの真実が宿ることは事実だが。
 一例を挙げよう。もう閉鎖されてしまったが埼玉県にあったジョン・レノン・ミュージアムで見た「失われた週末」の展示は寒々しかった。
 金属製の冷たい棒が多数床から天井に刺さっていた。
 明らかにヨーコの心象風景だったのだろう。
 それはそれで正しかったのかもしれない。
 でもそれだけだったのか?

「ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド」

 ジョンがもしヨーコの元に戻らずにメイとそのまま一緒にいたらどうなっていたのだろうか?
 誰もが考えざるを得ないことだと思う。
 失われた週末のように仲間たちとコラボを続け、作品を積極的に出し続けていたのかもしれない。
 確かに失われた週末の期間に、ジョンは『Mind Games』『Walls and Bridges』『Rock and Roll』を制作し、エルトン・ジョンともコラボし、中でも「真夜中を突っ走れ」は全米首位になった。またデビッド・ボウイと録音した「フェイム」もナンバーワンを米国で記録した。
 そのほか、ハリー・ニルソンの『Pussy Cat』をプロデュースして、リンゴ・スターにも曲を提供していた。
 そして、もしジョンがメイと一緒にいて「失われた週末」が続いていれば、ポールと再び曲作りをしていたかもしれない。
 映画の最後のほうで触れられているように、ジョンとメイは、ポールとリンダがレコーディングをしているニューオーリンズに行くつもりだった。
 それは「ジョン・レノン レターズ」(角川書店)という本に収められている、デレク・テイラーに宛てた一枚のハガキでも触れられている。独特の「ラリルレノン言葉」でニューオーリンズに行きたい気持ちがしたためられていた。

 ヨーコは75年に入って突然ジョンを取り戻そうとする。
 それも奇妙なことに新しい禁煙法を教えるからという理由でニューヨークに戻って来いというのだ。
 にわかには信じられないが、ジョンは戻ってしまった。
 メイはかつてテレビ番組で語っていた。
 ヨーコが一番恐れていたのはジョンとメイとの関係よりも、ジョンがポールともしよりを戻してしまうと、ジョンはもう二度とヨーコの元には戻らないということだった。
 あくまでも仮定の話。歴史のIf(もし)だ。

アップリンク吉祥寺にあった映画の宣伝パネル


 ただ言えるのは、ジョンがヨーコのもとに戻らなければショーンは生まれなかっただろうし、あの5年間の「主夫」生活はなかっただろう。
 あの5年というのは、63年にジョンの最初の妻シンシアとの間にジュリアンが生まれてからも、自分がアイドル時代真っただ中で超多忙で子育てに全く関われなかったことへの「リベンジ」でもあった。
 今度こそはちゃんと親として子育てをやろうと思ったのだろう。
 そして、ヨーコはジョンを守りたいためか、多くの友人たちを遠ざけた。
 何よりも罪深いのはジュリアンさえも近づけなかったことだ。
 この映画のハイライトの一つは最後で、話をするジュリアンの後ろからこっそりとメイが近づいていく、それから起きるシーンだ。
 ネタバレになるからこのへんで止めるが、涙を禁じ得なかった。
 そしてエンドロールでメイは、今は天国にいるシンシアに「ようやく真実を話せる時がやってきた」というメッセージを伝えている。



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