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ビートルズ側近マルの本⑫

 【スピリチュアル・ビートルズ】ビートルズの1964年の北米ツアーが8月23日にロスアンゼルスに達する頃には、ローディのマル・エバンスは疲れ果ててしまっていた。
 バンクーバーでのライブの後、会場から逃げ出す時に、押し寄せるファンからジョンを守ろうとしていた時に、一人の少年がビートルズの車のほうに行こうとしているのに気づいて対応しようとして、大変だったのだ。
 ロスではハリウッドボウル公演を行った後、一行は英俳優レジナード・オーウェンのベルエアの家に滞在させてもらっていた。


 エルビス・プレスリーのマネージャー、パーカー大佐が、エルビスからの挨拶文と贈り物を持って何回か訪ねて来た。エルビスはすでにメンフィスのグレースランドへと帰った後だったので一緒ではなかった。
 ビートルズとニール・アスピナールはLPレコードとワゴン・テーブル・ランプをもらった。しかし、マルはのけ者にされてしまった。
 「私(マル)はのけ者にされて傷ついた」。この時、気がついたビートルズの一人がパーカー大佐に耳打ちした。全部のアルバムのコレクションを持って戻ってきてほしい。そして特別な駅馬車のワゴン・テーブル・ランプも一緒にマルにあげて欲しいと頼んだのだ。
 それらの贈り物を手にしたマル。リバプールに戻ると家でそのランプを自慢げに飾った。妻のリリィがのちに語ったが「もし家が火事になってもマルはそのランプとレコードだけは守らなきゃいけないって言っていた」と。


 数日後、英音楽誌NME(ニュー・ミュージック・エキスプレス)編集長のクリス・ハッチンズがポールとエルビスが電話で話が出来るようアレンジしてくれた。マルは書いた「ポールは10分間エルビスと話をした後、こう言ってくれたんだ「エルビス、君の大ファンに一言挨拶してやってくれないか。ローディーのマルコム・エバンスという男なんだけど」」。
 マルは挨拶をしようとしたが舌がもつれてしまった。エルビスが最初に言ったのは「お話出来てうれしいです、サー」だった。マルは頭が真っ白になってしまった。エルビスは親切だった。一ファンにすぎなかったのに。
 ロス滞在中、マルは多くのスターたちと出会った。フランク・シナトラ、ジェーン・フォンダ、カーク・ダグラス、ディーン・マーティンなどなど。当時17歳の女優ペギー・リプトンもいた。
 8月28日、ビートルズ一行はニューヨークに入った。クイーンズのフォレスト・ヒルズ・スタジアムでのコンサートが予定されていた。デルモニコ・ホテルにチェックインした。
 最初のコンサートはハードだった。マルやビートルズにとって厳しかったというより、ライチャス・ブラザースにとってハードだったのだ。
 彼らのパフォーマンスの最中にビートルズがヘリコプターで会場の隣に降り立ったのである。マルは回想した。「ライチャス・ブラザースの演奏はヘリの音と”ビートルズ”と叫ぶファンの声とでかき消されてしまった」。
 コンサート終了後、マルとビートルズはホテルに戻りスイートに落ち着くと、ボブ・ディランが立ち寄った。ちょうど、ブライアン・エプスタインやニール・アスピナールと一緒に夜食を食べているところだった。


 「ニューヨーク・ポスト」紙のコラムニスト、アル・アノヴィッツも同席した。ディランが来てしばらくすると、ビートルズはディランに「ドリナミルズ」と「プレルディン」を試してみないかと誘った。
 ディランは「もっとオーガニックなものはどうだい?」
 ディランは話をビートルズの歌に移した。
 「あの歌はどうなんだい。ハイになるっていう歌だけど」というと「I want to hold your hand(抱きしめたい)」のミドルエイトの部分を歌ったー「And when I touch you, I get high, I get high」。するとジョンが即座に「そうじゃないよ。そこはI can't hide I can't hideだ」と訂正したのだ。
 最初にマリファナを試したのはリンゴだった。ディランのジョイントから吸い込むと床が自分の上に落ちてくるような気がしたという。すぐにそれは完全に落っこちてしまった。
 ジョージは「ぼくらは笑いすぎて苦しかった」。
 とりわけポールは「悪魔」を試すのは初めてで、彼にとってはぶっ飛んだだけでなく、とても重要な瞬間となったのだ。マルにペンと紙を持たせて、自分のいうことを書くようにとポールは命じた。マルはビートルズの最も内省的な考えを記録することに努めた。
 翌日、メモを見てみると「7つのレベルがある」と書いてあった。
 8月30日、アトランタにいた。まだ16都市での公演が残されており、北米ツアーもまだ折り返し地点にも来ていなかった。しかし、もうバンドも取り巻き連中も疲労困憊だった。

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