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「大吉原展」を観た

 吉原とは何か?それは、この世に幻として作り出された「別世」である。
 江戸時代はおよそ270年間にわたり内外ともに戦争の無い時代を実現した。それはそれで見事なことだ。かくの如き完璧に近い治世とは平和ではあるが、その一方で「治める」ためのさまざまな秩序と統制が行き届き、緩むことを許されない社会でもあった。
 そこに「別世」が必要になる。別世を生み出す多くの文化が生まれた。
 そして歌舞伎芝居と吉原という二大「悪所」が出現したのである。儒学からは「悪」とされながら、江戸文化がそこに集まり、賑わい、新たな文化が次々に生まれた。
 歌舞伎に比べると、吉原はもうとっくに消滅し、遊女の一人もいない。正式には1958(昭和33)年の売春防止法実施によって無くなったのだが、すでに明治の末から凋落が始まり、吉原ではなく銘酒屋や、芸者を呼ぶ待合や料理屋、植民地の遊郭の拡大が起こって、吉原は衰微していった。
 そういう吉原に、現代の私たちは何を見るべきだろうか?
(田中優子法政大学名誉教授「大吉原展」図録より)


 2024年5月19日(日)まで「大吉原展」が東京・上野の東京藝術大学大学美術館で開催中だ。
 開幕前から多くの議論を巻き起こしている美術展だ。批判されているのは主に人身売買といった問題もあるし女性蔑視をはらんだシステムだったことなどを棚に上げて文化などとほめそやしていいのかということだ。
 2024年4月19日付東京新聞夕刊の美術評で評論家の小田原のどか氏は「吉原に江戸文化の煌びやかさを見てとる際、そこが人身売買と奴隷労働による売買春の場であった事実を後景化させてならないのは当然だ・・・性の売買はいまもなおこの社会に存在する。かつての吉原を過剰に美化し神聖視することも、いまセックスワークに従事する者たちを蔑視することも、根は同じである」と書いた。
 そうした議論を踏まえたうえで、美術展の紹介をしていこう。

勝川春潮《吉原仲の町図》天明後期・寛政前期(1785-1795)大英博物館 ⓒThe Trustees of the British Museum

 まずはどうして東京藝術大学美術館は吉原を取り上げることになったのか。同美術館の田中圭子助教が朝日カルチャーセンター新宿教室で講演されたのを受講したので、その話を参考にしてゆく。
 同美術館は高橋由一の「花魁」という重要文化財を所蔵しており、昨年大規模な修復を終えて、それを機にこの作品を改めて考えてみたいというところからスタートした美術展なのだという。
 「花魁」は日本で初めて油絵で描かれた女性の肖像画だ。明治5年、西洋文化が日本に入って来たが、吉原のシステムはまだ昔のなごりがあった。世の中が変わっていく中、吉原の文化や遊女独特の風俗を知ることは大切なので記録しておこうということから描かれたという。
 同美術館は吉原と同じ台東区にある。その地域の文化をきちんと考えていくべきだろうと考えた。江戸文化の拠点だった吉原を正面から取り上げてみようということが原点にあったと田中助教はいう。

高橋由一《花魁》[重要文化財] 明治5(1872)年 東京藝術大学

 さて、吉原の歴史を見て行こう。
 江戸に各藩から人々が新しい町である江戸に集まった。単身男性が一旗揚げようと気軽に江戸に集まって来た。7対3ぐらいで男性が多く、アンバランスな男女比だった。女性の安全を担保するため遊女屋を集めた場所を作ろうという話になった。全国には25の遊女屋エリアあったが、江戸にはまだなかった。きちんと幕府が管理したかたちにした。
 1618年、日本橋(現在の人形町浜町あたり)に開設された幕府公認の遊郭は吉原と呼ばれた。40年後、明暦の大火(1857年)直後に浅草北に移転してからは新吉原と称された。
 その際、吉原のライバルになるだろう江戸市中の風呂屋にいた湯女たちは新吉原に集められた。非公認の遊郭も潰されてゆく。
 当時、この地域は湿地帯で葦が茂っていた。そのため「葦原(あしわら)」と称された。しかし「葦(あし)」が「悪し」に通ずるので縁起が悪いとして「吉」という縁起がいい字をあてて「吉原」になったとされる。

 吉原では独自のしきたりや遊興のルールが定められた。
 吉原は、文芸やファッションなど流行発信の最先端でもあった。
 3月にだけ桜を根っこごと植えて花見を楽しむ「仲之町の桜」や、遊女の供養に細工を凝らした盆灯籠を飾る7月の「玉菊灯籠」、吉原芸者が屋外で芸を披露するため8月1日から晴れの日に30日間、吉原にある九郎助稲荷で行われる「俄(にわか)」など、季節ごとに町をあげて催事を行った。
 贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界。そこでは、書や和歌、着物や諸道具の工芸、書籍の出版、舞踊、音曲、生け花、茶の湯などが盛んだった。そうした吉原の様子は多くの浮世絵師たちによって描かれ、出版人や文化人たちが吉原を舞台に活躍した。

 遊女の一日はどのようなものだったのか。

 朝8時、見世の若い者が掃除を始める。
 朝10時、起床、入浴、朝食。
 正午、化粧、身支度をする。
 午後2時、昼見世の営業開始。
 午後4時、昼見世の終業。
 午後6時、夜見世の営業開始。
 午後8時、宴席で客をもてなす。
 午後10時、大門が閉じる。
 午後24時、夜見世の終業。
 午前2時、大引け。
 午前4時、引手茶屋が泊り客を迎えにくる。
 午前6時、大門が開く(後朝の別れ)

 街の人口は8000以上、吉原遊女は3000人といわれた。そのなかで浮世絵に描かれたのは太夫といわれる遊女たちだった。
 展示では次のような作家の作品が鑑賞出来る。 
 英一蝶、菱川師宣、歌川豊春、酒井抱一、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、葛飾北斎、歌川広重らの絵画や錦絵などだ。
 それらに工芸品を加えた約230点による構成となっている。
 開館時間は午前10時から午後5時(入館は閉館の30分前まで)。
 休館日は月曜日、5月7日(火)(5月6日(月・祝)は開館)。
 観覧料は一般2000円、高校・大学生1200円。中学生以下無料。
 問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル)まで。展覧会公式ホームページは https://daiyoshiwara2024.jp/


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