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吹っ切れたか?ジュリアン

 2020年4月、ポール・マッカートニーが手書きした「ヘイ・ジュード」の歌詞が書かれた紙が91万ドル(約9千900万円)で落札されたというニュースが飛び込んできた。
 1968年にビートルズが「ヘイ・ジュード」をレコーディングした際に使われたものだという。この曲はポールが、ジョン・レノンと最初の妻シンシアが離婚することになったことで落ち込んでいた息子のジュリアンを励ますために書いたことで有名だ。
 当時ジュリアンは5歳。ジュリアンは父ジョンがオノ・ヨーコとともに去り、自分たちが置き去りにされて深く傷ついたと、たびたび口にしてきた。
 だが、そんなジュリアンも今年還暦を迎えた。
 2022年にジュリアンが11年ぶりにリリースしたアルバムのタイトルはそのものずばりの『Jude(ジュード)』だった。


 ジュリアンは「ヘイ・ジュード」には「愛憎半ばする感情」を抱いてきたという。「ポールがあの曲を書いて、これから起こりそうな出来事に希望を持たせてくれたことには感謝している。でも一方では、あの時に実際に起こった離婚のことを暗く思い起こさせるものだった」とジュリアンは「シリウスXM」のラジオ番組で語っていた。
 「スマッシング・インタビューズ・マガジン」(2022年6月21日付ウェブ版)によると、「アルバム・タイトルをJudeとしたのはまさに一人前の大人になったということだよ」。
 「父が母とぼくのもとを去って行って、それ以来、父と会うことはまずかなわなかった。本当に、本当につらい時期だった。母が教えてくれたのだけれど、ぼくは狂ったように泣いたり叫んだりして『パパはどこに行ったの?』と言っていたのだという」。
 だが、自らアルバムをJudeと名付けたということは「全てを理解できたということなのだ。それを甘受し、自分自身と折り合いをつけたということなのだ」とジュリアンは語った。
 アルバム・ジャケットには74年にジョンの「愛人」だったメイ・パンが撮影したジュリアンの写真が使われている。メイはシンシアとも良好な関係を築いて、ジョンとジュリアンとの間の橋渡しをしていたのだ。
 アルバム『Jude』の内容は、父であるジョンが生涯訴えた世の中の平和を希求する声に満ちている。
 さらにジュリアンは父ジョンの代表曲のひとつ「イマジン」をカバーした。ジュリアンは本当に新しい境地に立ったのだろう。
 ようやく吹っ切れたようなジュリアン。
 だが、これまで何十年にもわたって心に負った傷がなかなか癒えることなく、彼を苦しめてきたことも事実だ。
 激しい言葉で父ジョンを責めたこともあった。「ジョンは世間に対し平和と愛を訴えたが、その平和と愛は最初の家族には訪れなかった」(シンシアの伝記本『ジョン・レノンに恋して』河出書房新社の序文)。
 複雑な感情を持つ一方で、やはり血は争えないのだろう。
 最初はシェフになりたいと思っていたジュリアンは結局、父と同じアーチストの道に進むことになった。84年、アルバム『ヴァロッテ』でジュリアンは鮮烈なデビューを果たす。弱冠21歳だった。


 父ジョンを彷彿させる容姿と歌声は、文字通りジョンの遺伝子(DNA)を受け継いでいるとファンの間で話題になる。
 ラジオで流れてきた「ヴァロッテ」の歌声を聞いて、ジョンの未発表の音源だと勘違いした人も多くいたというぐらいだ。
 タイトル曲は全米7位、第二弾シングル「トゥー・レイト・フォー・グッバイ」が全米5位を記録。ジュリアンは初めてひのき舞台に立ったビートル2世となる。順調な滑り出しをしたジュリアンはアルバムをコンスタントに発表していく。
 〇『シークレット・バリュー・オブ・デイドリーミング』(86)


 〇『ミスター・ジョーダン』(89)


 〇『ヘルプ・ユアセルフ』(91)


 ここまでの4枚のアルバムは計550万枚の売り上げを記録したという。
 91年のアルバムに収録された「ソルト・ウォーター」という作品は、オゾンホール、森林破壊、飢餓といった問題を取り上げており、全英ヒット・チャートで6位、全豪1位という大ヒットとなる。
 順風満帆に見えたジュリアンだが、独自レーベルを立ち上げたことなどで音楽業界の「壁」にぶち当たり苦悩する。7年のブランクを経て98年に第5弾アルバム『フォトグラフ・スマイル』を発表。さらに13年の間をあけて、2011年に『エブリシング・チェンジズ』をリリースした。


 その後、何をしていたのかといえば、2014年2月7日付の音楽専門ウェブサイト「ソングファクツ」に掲載されたインタビューで、絵を描いたり、写真を撮ったり、慈善活動に取り組んだりしているのだと語った。
 ジュリアンは環境問題、人道問題に取り組むために「White Feather Foundation」(白い羽基金)を立ち上げた。
 彼いわく「ここのところ何年もオフだけど、それは自分を見つめ直し、本来の自分自身を見つけようとしているからなのだ」(2014年2月12日付米ニュージャージー拠点の週刊紙「アクエリアン」)。
 ジュリアンは世界中を飛び回って撮った写真をインスタグラムに投稿するなど、写真家として活動するかたわら、子ども向け絵本を手掛けている。
 子どもたちに環境保護の必要性を理解してもらうことを目的とした絵本三部作『タッチ・ジ・アース』、『ヒール・ジ・アース』、『ラブ・ジ・アース』である。売り上げの一部は白い羽基金に寄付される。


 ジュリアンは2019年4月のデジタル・ラジオ「シリウスXM ’sビートルズ・チャンネル」で他のビートルズ・チルドレンについて尋ねられると「みんな自分自身の道を見つけなければならない。彼らはみんな強くて、若くて、賢い奴らだ」。特にジョンとヨーコの間の子どもつまりジュリアンの異母兄弟であるショーンについては「彼と一緒に仕事をする話をしたことがあるし、きっとそうするだろう」と述べた。
 そして「自伝も書き始めるつもりだ」と話していた。

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