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ビートルズで復興支援:Genky松浦

 「私は政治批判はしたくないけれど、非常にカチンときたことがありました。それは東京オリンピックです」と音楽の力による復興支援プロジェクト「ビートルズのチカラ!」のGenky松浦代表はいう。
 東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から2年半しか経っていない2013年9月、当時の安倍晋三首相は福島の原発は完全にコントロールされているので「安心してきてください」と五輪誘致を訴えた。
 「私は今でも覚えています。悔しかった」。
 「現場は何が起きるかわからない状況だったのです」。


 松浦代表は2024年12月21日(土)にパネル展「731・原爆・ビキニ・フクシマ」の会場、八王子市中央図書館で講演した。
 五輪誘致のため、「避難指示エリアをかなり無理して小さくしていました。実際に行ってみると人は住んでいないし、除染出来ない山だったりしたのです」と松浦代表は憤慨する。
 2021年3月、双葉駅前を聖火リレーが通った。「そこはすごくきれいになっている。でもそこから100メートルくらい行くと3.11当時のままになっている。でもテレビはそこを映しません。それぐらい報道と現実との差異があるのです」と松浦代表。

 東日本大震災・福島第一原発事故による死者は全国で15900人。そのうち関連死は3800人に上る。
 松浦代表はいう「本当の復興とはこうした人々が亡くならない、関連死が出ないようになるということなのです。関連死が出ているということは復興はまだまだだと思っています」。
 福島第一原発から発生する汚染水の海洋放出が始められた。「ニュースを見ると今のところ問題ないといっていますが、海外のほうが厳しくてあまりいい評価になっていない。こうしたことからも原発についてもう一回考えるべきなのではないかと思っています」と松浦代表。
 また除染土も問題となっていることに触れて、松浦代表はその土をどこに持っていくのかと問う。「頑張れフクシマと言ってくれても、自分のところに除染土が来るとなると反対になる。当然ですよ」。
 それに加えて、帰還出来ずに放置されている家屋についても解体したくてもその費用は国から出ないと松浦代表は溜息をつく。

 ここで松浦代表から「ビートルズのチカラ!」について説明があった。
 2011年3月11日、松浦さんの実家は埼玉だが、仕事の関係で福島の伊達市にいた。ただ震災当日は出張で東京に来ていたという。
 震災を受けて、松浦さんは車で伊達市の自宅に向かったが、いつもならば4時間ほどで着くところが16時間かかってやっとたどり着いた。
 なぜ原発が福島の来たのかを考えてみると、浜通りの辺りは過疎地域あるいは貧しい地域でアメリカがそこに原発を売ろうとしたのだと松浦さんはいう。「中曽根(康弘)さんがOKした。過疎なのでおカネに弱い。実際、原発が来ることで雇用が生まれ、7割ぐらいの人は原発で働いていました」。
 「原発は絶対に安心だと言われてきた。それなのに大事故を起こした。飼い犬に噛まれたようだと仲間が言っていました」。


 そんな中、松浦さんは何か出来ることはないかと考えた。
 もともと松浦さんは福島でビートルズのバンドをやっていた。
 松浦さん自身が被災した。
 そして、「ビートルズの音楽は人を幸せにすることが出来ると東北のバンド仲間たちに声をかけるとみなやろうとなって7月16日にライブをやったのです。東北の7バンドが参加してくれました。みなノーギャラです」。
 松浦さんたちの活動はビートルズのメンバーらにも伝わった。ポール・マッカートニーは2013年のコンサートに被災者たちを招待し、ライブでは「Yesterday」をFukushimaに捧げると言って歌ってくれたという。
 そしてリンゴ・スターのコンサートではステージ上で「ビートルズのチカラ!」の横断幕を掲げてくれたのだ。

今度は助ける番だ
 その後、日本各地で災害が発生するようになり、東北は今まで助けてもらってきたので今度は助ける番だということになった。
 「一番印象的なのは2016年の熊本地震です。九州の人たちはずっと東北を支援してくれていたので今度は私たちがとなりました」。
 松浦さんによると、復興支援ライブは年2,3回のペースで行っており、トータルで360万円の寄付金になったという。
 「360万円って大きな金額ではないと思われるかもしれないが、一回のライブで数万円ずつ貯めてきたんです」と松浦さんは語った。

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