ビートルズ側近マルの本④
【スピリチュアル・ビートルズ】1962年8月16日のことをビートルズのローディだったマル・エバンスは鮮明に覚えていた。そう、ピート・ベストが解雇されて、新たなドラマーとしてリンゴ・スターが加入した日である。
ニール・アスピナールとマルは親しかったが、ニールはピートの母モナとの間に息子ローグをもうけたばかりだったのだ。
傷心のピートはマルと徹底的に飲みたがった。でもマルはピートに言ったという。「ピート、お前さんはクビになったかもしれないけれど、俺はやめさせられていないんだ。仕事が必要なんだ」。
当時、マルはピート解雇の理由が分からなかったという。
のちにプロデューサーになるジョージ・マーティンがピートの音楽的才能に懐疑的だったと聞かされる。
リンゴがキャバーンでデビューした日、62年8月19日のことをマルは忘れられないという。大勢集まったピートのファンたちはキャバーンの前のマシュー・ストリートですすり泣いていたり、「Pete Forever, Ringo Never」(ピートよ永遠に、リンゴは絶対ダメ)という言葉をシュプレヒコールのごとく延々と繰り返していた。
リンゴを強く推した一人がジョージだった。ジョージはピートファンからだろうか、パンチを見舞われて鼻から出血した。
マルは、リンゴの加入はバンドにとってプラスだと分かっていた。しかし、ピートが車の中で泣いているのを見聞きすると心が揺れた。
リンゴ加入後の62年10月12日、マルはリトル・リチャードに会った。ニューバーミンガムのタワー・ボールルームでのショーでリトル・リチャードは12人のアーティストのヘッドライナーだった。
63年に入るとマルはほとんどの時間をキャバーンで過ごしていた。ドアのところにガードマンとして立っていた。同2月22日、ビートルズの第二弾シングル「Please Please Me」がヒットチャートの首位となった。
次は二枚目のアルバム作りだった。ヘレン・シャピロと一緒だったツアーから外れて、第二弾アルバムを録音するためにロンドンに向かった。
マルは一人でベースアンプを持ち上げることが出来るほどの力持ちだった。頑強なマルのことをリンゴは「サーカスに入るべきだったね」と冗談を飛ばしていたという。