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集会「金権」から「民権」へ ㊤
2024年4月1日(月)、「新しい戦前にさせない」共同テーブル連続シンポ第9回「「金権」から「民権」へー「政治改革」を問う」が衆議院第一議員会館B1大会議室で開かれた。
およそ200人の参加者が集まった。
午後2時の定刻に主催者挨拶が佐高信さんよりあった。
続けて駆けつけてくれた国会議員の中から立憲民主党の小西洋之参議院議員と日本共産党の宮本徹衆議院議員が短く挨拶をした。
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自民党派閥裏金事件から
そして、本日の目玉のひとつ、神戸学院大学の上脇博之(かみわきひろし)教授(憲法学)の講演があった。オンラインでの参加。
「裏金」問題の告発で政権と自民党を炎上させた張本人だ。
講演のタイトルは「「政治改革を問う」~自民党派閥裏金事件から~」。
まず、2022年11月6日付「しんぶん赤旗」のスクープに始まったという今回の問題の経緯について説明があった。
これまでの22年間の政治資金収支報告書不記載は5つの自民党派閥で6924万円発見されて、一番大きな額だったのはいわゆる安倍派(3290万円)だった。自民党は裏金の問題化を受けて、今年に入り2020,21,22年度分の同報告書を訂正した。
安倍派だけが問題なのではないと上脇教授はいう。志帥会(二階派)も1576万円の不記載が見つかっていた。
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上脇教授は「森喜朗をはじめ安倍派の幹部たちは不起訴になっている。他の告発をしてから、検察審査会に持っていこうと思っています」という。
「企業が政治資金パーティ券を買った場合、誰もチェック出来ていません。いくら献金したかわからない。だから簡単に裏金が作れたんです」。
「例外は二つ。一つは寄付だが選挙資金の場合。そしてもう一つは政党に寄付する場合。自民党は「政策活動費」と呼んでますが、受け取って何に使ったのかわからない。そして「調査費」名目でも使途不明金がある」。
「政治資金規正法の抜け穴で”合法的な裏金”が認められてきたのです」と上脇教授は力を込めた。
さらには内閣官房機密費についても触れて、「このお金が自民党のために使われたのではないかという疑惑があります」。
自浄機能を喪失した自民党
上脇教授は「自民党は自浄機能を喪失している。これには選挙制度が関係していると思います。なぜ彼らは裏金を作るのか」。
民主主義には「民意が正確・公正に国会に反映されていなければいけません。しかし、どうでしょうか。議会制民主主義の危機です」。
「裏金はお金が余らなければ出来ません。政党交付金という税金は、条件付きですが基金を作れば、翌年に繰り越すことが許されています。もらった額だけ翌年に繰り越している。ということは政党交付金は現在、自民党は要らない状況なのです」と上脇教授は話した。
また「派閥があるゆえの裏金作り」だとして、上脇教授は「まずは政治資金パーティを禁止すべき」だと訴えた。
2人目の講演者は平野貞夫さんでタイトルは「黒い金の実相」。
平野さんは元参議院議員。もともと衆議院事務局で園田直のもとで副議長秘書、前尾繁三郎のもとで議長秘書を務めた。
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平野さんは冒頭で「我が国に議会制民主主義は定着していません」と述べて、講演をスタートさせた。
「今年は150年前の明治7年、板垣退助ら8名が議員建白書を出したのです。自由民権運動の始まりでした。今国会が始まってから国会議員は誰一人としてそのことに言及していない。歴史を忘れている。だから自由民権運動のスタートはこの集会からということで」と平野さんは話した。
「60年安保から国会の様子はだいぶ変わりました」。
昭和40年代の自民党の黒いカネ
「昭和40年代の自民党の黒いカネの流れはということで話をしていきます」として、まずは河野一郎さん率いた河野派が派閥の親分が突然亡くなってしまったため、中曽根康弘氏や園田直氏らが争って分裂した話になった。
河野一郎さんが築いたお金に「黒いカネのもともとがありました。配給で使う麻袋を独占的に作っている同族会社があり、問題となる資金の原点はここにありました」。そこから8億円をもらってきたという。
河野一郎が亡くなり、その資金の管理はのちに総理大臣になる宇野宗祐に任され、平野さんは連絡係を務めたという。
余った8億円のうち、「園田さんは300万円を受け取って赤坂の若い姉ちゃんを身請けしました。昭和41(1966)年のことです」。
佐藤栄作首相は黒い霧国会で失敗して昭和41年12月31日に通常国会を解散した。翌2月に選挙があって、第二次佐藤内閣が成立した。
健康保険の高い負担について政府自民党は強行採決をした。最終的には野党のいう修正を受け入れて国会を終えた。
「その時に与野党合意がなされたが、それを議長が差し戻して正常な委員会に戻ったという改正をやったのです」。
「しかし、その合意を自民党は守らないんです。一番苦労したのはロッキード事件の田中(角栄)さんの態度でした」。
90年代の政治改革の取り組み
そうこうして平成4(1992)年、梶山静六と政治改革を巡ってどたばたやったもので、事務局にいられなくなったという。
竹下登さんと野中広務さんから話があって、参議院高知選挙区から出馬して当選。「私は前尾(繁三郎)先生の弟子だった。(当時の総理大臣)宮沢(喜一)さんもそうだった。鉄鋼資材メーカーの協和から鈴木善幸さんがいくらかもらったとされて問題になっていた。
「谷垣禎一さんから話があって、(当時の官房長官)加藤紘一さんと会ってくれと。そして二人で対応を相談しました」。
「その頃、私の部屋によく来たのが麻生(太郎)さんだった。麻生さんは野党に説明して歩く必要があるが、誰と話したらいいのかと私に訊ねたので、公明党なら市川雄一、社会党なら山花貞夫と答えた」。
「宮沢さんは翌年政治改革で失敗しました。宮沢さんは政治とカネの問題について真剣に考えていた」。「政治改革基本法が参議院で否決され、両院協議会に移された。梶山さんが改革なんてだめだと宮沢さんを抑えたのです」。そして宮沢政権に対する不信任案が通ったのです。
「私が反省しているのは外国の政治制度をどうやって導入するのかという話ばかりで、本来その国の人々の体質をみていかないといけないといいものは出来ない。自民党の狙いは戦後の選挙制度を変え、そして(目標として秘められていたのは)憲法を変えることだったのです」と平野さん。
選挙の本質は「選ぶ人と選ばれる人の人格の交流がないと選挙にはならないということです。日本人に一番いいものを作っていかないといけない」。
(㊦に続く)