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週刊誌の時代の男たち⑮

第13章「よこはまたそがれ」 
 さて花田さんだが、まだ若手記者で、芸能記事を取材する前には必ず新宿東口の喫茶店「しみず」で桑原からレクチャーを受けてから取材に臨んでいたという。
 「桑原さんは親切でいろいろと教えてくれ、人脈も紹介してくれたんです。若くてド素人に対しても親切に教えてくれた。それが後にずいぶん役立ちました」と花田さん。
 花田さんは桑原と一緒に五木ひろしのヒット曲「よこはまたそがれ」の盗作問題を手がけたことがあった。
 長い下積み時代を経て五木ひろしに改名してからの第一弾シングルが「よこはまたそがれ」だったので大騒ぎになった。
 花田さんはいう「一番よく覚えているのは山口洋子のことです。作家になる前、銀座のクラブでママをやっていた。五木ひろしが改名した後の第一弾シングル「よこはまたそがれ」の作詞をしたが、これが完全な盗作だった。この情報を最初に教えてくれたのが桑原さんだった」
 「徳永康元さんという東欧学者がいた。ハンガリー語の先生で、東京外国語大学で教鞭をとっていた。その人が出した本に東欧の詩集があった。「よこはまたそがれ」は「よこはま たそがれ ホテルの小部屋・・・・あの人はいっていってしまった」という歌詞。
 その本のハンガリーの詩人の作品は「海辺たそがれホテルの小部屋」で始まって、最後は「あの人は行って行ってしまった」だった。同じなんだよ」
 「その東欧の詩を入手して、徳永先生に話を聞いた。五木ひろしとしてのデビュー作だったから徳間音工は大変力を入れていた。元「週刊新潮」の芸能に強い記者が徳間のパブリシティをしていて「やめてくれ」と言ってきた。こちらは桑原さんを通して情報を集めていた」
 「山口洋子は名古屋から出てきて成りあがったとか、いろいろと教えてもらいながら、氏素性を桑原さんに取材したが、話の中心はあくまでも盗作問題だった。「週刊文春」で3ページの記事になった」。

「週刊文春」がスクープ!
 「週刊文春」1971(昭和46)年10月18日号は「盗作だった“作詞家マダム”のヒット曲」という見出しでこのスクープを報じた。
 記事に東欧学者の徳永先生は登場しないものの、当該作品が世界の名詩集12「世界恋愛集」東欧篇(三笠書房)の207ページ「ひとり海辺で」(アディ・エンドレ=ハンガリーの詩人)に酷似していることを指摘。
 同詩集の編者・星野進一東京教育大学教授は「ひどいですねえ。一度でも彼女(山口)自身のフィルターを通して出てきた言葉なり、言い回しならいいが、これは明らかにそうじゃないからね。ひどいよ・・・」と発言。
 桑原自身も記事にコメントを寄せた。竹中労にいたっては超がつくほどの辛口で「ドロボーというか窃盗というか、どこか頭に欠落した部分がなけりゃできないことです」と話したコメントが掲載されていた。
 大いに話題となったスクープだったが、「結局、盗作にはならなかったという。「大ヒットして五木ひろしはスターになったけど、ぼくも桑原さんも悔しい思いをした。結局、盗作問題が盗作の基準って何だという話にすり替わっちゃった」と花田さんは今でも複雑な思いだと話した。

芸能人とヤクザの関係
 桑原は芸能評論家として取材も受けていた。中でも桑原が大変喜んだのは元読売新聞記者のノンフィクション作家・本田靖春氏に取材されたことだった。1987(昭和62)年秋に出ることになる「「戦後」美空ひばりとその時代」(講談社)のための本田の取材だった。


 桑原はもっぱら「芸能人や興行関係者と暴力団との関係」について話をしたようだ。これはもちろん、ひばりと山口組三代目・田岡一雄との結びつきがあったからだ。
 桑原の解説は単行本でおおよそ2ページにわたって引用されている。
 「芸能人とヤクザ、暴力団との関係は、写真のポジとネガの関係で、コインでいえば表と裏、表裏一体のものであることは自明の理であり、それ以外の何物でもないということですよ」
 「昨年(1986年)暮れの北島三郎の紅白問題、今年(1987年)になってからの勝新太郎のパーティ問題・・・私から言わせれば、何をいまさらと、もう笑止千万です。ヤクザや暴力団と関係を持たない芸能人が果たして何人いるか、皆無といっていいでしょう。もちろん、付き合いの程度などに個人差があることは否定できませんが、結論として日本の芸能人で直接的、間接的にヤクザと無縁でいられる人間はいないということです」
 「一般的に暴力団と芸能人の関係は、前者が甘い汁を吸うために後者に近づいて行く、弱肉強食の構図でとらえられているが、そうではない、と桑原はいう」
 「そうした一方的な加害者と被害者という図式であれば、これほど密接に結びつく必然性など求められない。芸能人のほうにも、ヤクザと結びつくことによってメリットがある」
 「とりわけ美空ひばりが歌謡界の女王に至るまでを、日本最大の暴力組織山口組を抜きにしては一言も語れないし、また、山口組の後押しがなければ、今日の美空ひばりはあり得なかったと断言できます」
 「では、山口組のほうのメリットは何であったのか。田岡一雄の美空ひばりに対する可愛がり方は普通じゃなかった。だから彼の個人的な美空ひばりへの愛情という部分もあったでしょうが、それ以上に、山口組という組織にとって、美空ひばりという芸能人は、その勢力拡大のために欠かすべからざる存在であった。そういう側面で捉えたほうがいいと思います」

リトマス試験紙
 「美空ひばりが地方の劇場で公演をやる。そこで地元の暴力団組織がどう対応するか。もし黙って看過するなら、それは山口組に対して、争う意思がないということであり、何らかの妨害をすれば、争うという意思表示になる。山口組にとって、敵か味方かという判断は、先方の組事務所と事を構えるといった面倒な手続きを踏まなくても、美空ひばりの公演をやれば、はっきりつくというわけです」
 その稲敏のコメントを受けて、本田氏は書いた「金銭的メリットもさることながら、暴力団にとって、「荷」として扱う芸能人が、先方が屈服するか、それとも抗争に立ち上がるかを知る、リトマス試験紙のような役目を果たすことのほうが、より大きなメリットだというのである」と。
   (続く)

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