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タイガース「再結成」

 「 沢田研二 2022~2023 『まだまだ一生懸命』ツアーファイナル バースデーライブ!」が2023年6月25日(日)、さいたまスーパーアリーナで行われた。2部構成。第1部ではザ・タイガースが「再結成」され、第2部ではジュリーのソロとしてのヒット曲が次々と披露された。
 この日はちょうどジュリーの75歳の誕生日だった。
 午後5時になると会場が暗転、正面左右の巨大スクリーンに「1948年6月25日」の文字。そう、ジュリーが生まれた日だ。続いて「1967年2月5日」の文字に続いてザ・タイガースのデビュー曲「僕のマリー」のレコード・ジャケットが歌とともに映し出された。


 こうした趣向が続いた後、いよいよライブがスタート。ステージ上には寅(タイガー)の着ぐるみに入ったジュリーのほか、ドラムに瞳みのる(ピー)、ギターに森本太郎(タロー)、ベースに岸部一徳(サリー)らがスタンバイしており、「再結成」されたザ・タイガース。
 その1曲目は「シーサイド・バウンド」だった。会場は興奮のるつぼと化した。スタジアムが文字通り揺れたのだ。


 タローのハーモニカでイントロが始まり「モナリザの微笑」が続いた。会場からは一緒に歌う声が聞こえる。
 ここからはジュリーのMCだ。まずは「まいど」を連発した。そして「おかげさまで完売しました」と言うと大きな拍手が起こった。
 「昨年、銀座の料理屋にタイガースの4人のメンバーを集めて来年の6月25日にライブをやるべくやっていますとみんなにお願いして、今日は一日中、稽古は正味10日間お願いしました」とジュリーは話した。
 3曲目は「落葉の物語」、続けて「銀河のロマンス」。ジュリーが「それではぜひ一緒に歌ってください」とのコメントで演奏されたのは「花の首飾り」だった。終わるとジュリーは「自分でいうのはなんですが、名曲の数々をお届けしています」。確かにそうだった。

思い出話に華が咲いた
 ジュリーのMCでは最初から人気が爆発したわけではないことが語られた。「でもサインを頼まれた時はびっくりした」とタロー。それに対してジュリーが「練習したの?」。するとタローは「完成していなかった」。
 ジュリーは続けたー「京都ではロータリークラブでの仕事などをしていて、ビートルズやデイブ・クラーク・ファイブをやっていたから、おじさんたちは聞いてくれなかった。大阪に行ってからリーダーがサリーからピーに代わって、ピーが取ってきた仕事ってのがミナミのお姉ちゃんがドレス着ているのような大きなところで、演奏しても早く終って帰るだけだった」。
 「カルーゼルって店があったでしょ。カルーセル麻紀さんが無名の時にやっていた店で、そこでやった時はもう大変。勤めている人たちはカルーセルさんみたいな人たちばっかり。僕たちは若くて未成年だったけれど、お姉ちゃんたちがまわりに来てお尻とか触ったりするの」(ジュリー)。
 トークが続いた。下宿ではジュリーとタローが一緒の部屋、ピーがサリーと一緒だったことを話すと、サリーは「あの頃は仲良かったんだね」と一言。ピーは高校の先生をしていたが芸能界に復帰した。「こっちの世界に帰ってきてどう?」と訊かれて、ピーは「帰ってきてよかった。ステージを一緒に出来るのは最高の楽しみです」と答えた。
 ジュリーが大阪時代3回スカウトされたと語って説明した。1回目はスパイダースのスパイダクションからの誘いだった。でも「スパイダクションに入っていたらスパイダースより上にいけないじゃないかと話していました」とジュリー。2回目は小山ルミや西城秀樹を発掘した人からだったが全員一緒のスカウトではなかった。「この5人だったら、絶対日本一になれるってみんなで話していた」から即断ったとジュリーは振り返った。
 次が内田裕也だった。寺内タケシがブルージーンズを抜けてた頃のこと。「ステージを観に行こうと階段を上がろうとすると、上から裕也さんが降りてきて「俺と一緒にみんなやらねえか」っていう。

内田裕也


 「楽屋に行ってみんなで相談した」とジュリー。後日、「ピーが宣材の写真を持って、あてもなくただ代々木ってのを頼りに東京に行って、会って写真を渡してきた・・・その写真が渡辺プロのプロデューサーが見る機会があって、(ジャズ喫茶)「ナンバ一番」でオーディション。裕也さんと相談してどの曲をやるかサジェスチョンを受けて演奏して受かった」。
 長いMCが終わって演奏再開。「青い鳥」に続けて「君だけに愛を」。観客が大興奮。ジュリーの「指差し」も健在だった。
 そして休憩に。場内にはその間、BGMが流れていたが、それは「傷だらけの天使」と「太陽にほえろ」の音楽だった。
 これはジュリーが、スパイダースのボーカルとしてジュリーと人気を二分し、タイガース解散後に参加するスーパーグループ「PYG」で一緒だったショーケンこと萩原健一に対する深い思いからの選曲だと思った。

ジュリーのヒット曲連発に大興奮
 第2部がスタート。ここからはジュリーのソロのヒット曲が満載だった。「そのキスが欲しい」「お前にチェックイン」「サムライ」「ダーリング」。次の「勝手にしやがれ」で会場はおそらくこの日一番の盛り上がりを見せた。さらに「時の過ぎゆくままに」「危険なふたり」「六番目のゆううつ」「TOKIO」。


 そのあとには「LUCKY/一生懸命」「ROCK'N ROLL MARCH」「時計/夏がいく」「君をいま抱かせてくれ」「愛まで待てない」「いつか君は」。ジュリーはステージの右に左に行ったり来たり走りながら歌った。しかし、息が切れることもなく、素晴らしいボーカルがそのままなのは見事だった。
 アンコールは、ジュリーが音楽劇をやっていた時期に覚えたという「河内音頭」。石野陽子、南野陽子ら劇で同じ釜の飯を食った仲間たちがステージに登場した。音頭の最後には「ともに長生きしましょ~ね」と繰り返した。そしてサリーが小さなケーキをのせた台をひっぱりながら、ピーとタローとともにステージに再登場。「ハッピーバースデー」が歌われた。
 ここからはカバー曲。まずは「Time is on my side」。ローリング・ストーンズで有名な作品。タイガースが1971年1月24日に日本武道館で開いた「解散コンサート」のライブ盤『フィナーレ』のオープニングを飾っていた曲である。その曲の配置がこことは憎いね。
 2曲目は「Do you love me」。アメリカのリズム&ブルース・グループ Contoursの曲だがデイブ・クラーク・ファイブで有名な作品で、タイガースの前身「ファニーズ」の時代から取り上げていた。3曲目はローリング・ストーンズの全米チャート1位を記録した大ヒット曲。


 最後の最後は「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。最後は「ララララ」のあとに「愛ある限り」と続くのが繰り返されて、一番最後は「愛こそすべて」と歌って締めくくられた。1967年7月にビートルズがリリースしたシングルの邦題「愛こそはすべて」と一文字違いだが、メッセージは同じだ。67年6月25日にはビートルズは全世界同時生中継テレビ放送で「愛こそはすべて」を演奏した。ジュリー19歳のバースデーでした。
 ジュリーはその愛のメッセージとともに、ピー、タロー、サリーをはじめとする音楽仲間たちに対して、そしてファンたちに感謝の気持ちを示しつつ、記念のコンサートを締めくくったのだった。
 

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