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ジョージア映画「ピロスマニ」
2023年10月にジョージアを訪れた時、楽しみにしていたことの一つが画家ピロスマニ(1862-1918)の作品を観ることだった。
ピカソがこう言ったというー「ジョージアに私(ピカソ)の作品は要らない。というのはピロスマニがいるからだ」と。
ピロスマニは生前はなかなか評価されず、看板を描くなどして糊口をしのいだが、貧しい生活から抜けられなかった。
それは彼がほとんどのお金を絵を描くことに費やしていたためでもあり、大変質素に暮らしていたそうだ。
彼が亡くなるまで暮らした家を訪ねたが、現在「ピロスマニの家博物館」になっている。他の画家が彼をモチーフにした作品が展示されていた。
その家の前の通りはピロスマニ通りと名づけられている。通り沿いの街並み、家々を見ると決して裕福な地域ではない。
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ピロスマニの代表的作品はナショナルギャラリーに飾られている。今や国民的作家とまで称されている。
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日本ではピロスマニは加藤登紀子さんの歌唱で知られる「百万本のバラ」の主人公としても知られている。
フランス人女優マルガリータに恋をして、彼は気持ちを表すためにたくさんのバラを贈った。しかし、マルガリータは町を去ってゆく。
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もともとはラトビアの子守唄だった歌だが、紆余曲折を経て80年代にソ連でヒットしているのを聞いた加藤登紀子さんが気に入って、自分で日本語の歌詞をつけたのだ。
ジョージアをおとずれた時、現地で加藤さんのコンサートがあったが、ソ連のイメージが強く、しかもウクライナ戦争の真っただ中で、「百万本のバラ」を現地の人は歌うのをためらった。
しかし、加藤さんはロシア語での歌唱も交えて披露。どうなるかと思いきや、歌い終わるとスタンディングオベーションのよる大拍手だったのだ。
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さて、2024年10月2日(水)、ジョージア映画祭の一環として上映された映画「ピロスマニ」(ギオルギ・シェンゲラヤ監督/1969年/カラー/86分)を東京渋谷のユーロスペースで観た。
冒頭、重厚なオルガンの音をバックに、ピロスマニは聖書を朗読している。イエスのエルサレム入城のくだりだ。
イエスが十字架に架けられて亡くなった3日後に復活する、その一週間前にエルサレムに入った記念日だ。
映画のラストは復活祭の日である。再び、オルガンの音が聞こえてくる。
ピロスマニが家で寝ていると復活祭だといって起こされる。馬車に乗ったピロスマニが画面から消えてゆく。これでおよそ90分の映画は終わる。
この間にピロスマニの人生が描かれているのだ。
エルサレムに入った日、弟子たちは子ロバを引いてきてイエスはそれに乗ったと聖書は記述している。映画のラストシーンで馬車に乗ったのはピロスマニだが、ピロスマニとイエスをだぶらせているように思えた。
「かつて日本で、ラストシーンのピロスマニが馬車でどこへ連れてゆかれるのかという質問に、ギオルギ監督が黙って天の方を指さした」とジョージア映画祭2024のパンフレットは記している。
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ピロスマニの人生は厳しいものだった。居酒屋の壁に絵を描いたり、看板を描いたりして何とか生活をしのいでいた。
一時期、ピロスマニの作品を蒐集すべしとの動きがあったものの、新聞に彼の力量を疑問視する記事が載って振り出しに戻る様子が描かれている。
最後に暮らした部屋は本当の部屋そっくりに描写されていた。階段の下のスペースを利用したとても狭い部屋だ。
映画では馬車に乗って姿が消えてゆくというラストシーンだが、実際のピロスマニは家のすぐ近くで倒れて亡くなったという。
ピロスマニはジョージアがロシア帝国に併合されていた時代を生きた画家だが、亡くなった1918年にジョージアは一時的に独立を回復していた。ちなみに1917年にはロシア革命が起こっていた。
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ピロスマニの作品はジョージアの民族、歴史、風土などを映しているものであるがゆえ、ジョージアの国民画家といわれる。
そのことが映画によって分かる。映画は静かなトーンで貫かれており、静謐な中に深い内容が語られていた。